大河の後白河さん御落飾記念ということで『上皇御落錺部類』から引いてきました。
といってもいつ録画見るかわからないし、たぶん剃髪シーンなんか一瞬だろうし、自力でおいしいとこを調達…。
といってもいつ録画見るかわからないし、たぶん剃髪シーンなんか一瞬だろうし、自力でおいしいとこを調達…。
『兵範記』の引用部分には特に仔細が書かれていますね~。
もう少し法衣について詳しく書いてあれば嬉しかったのですが。
御剃髪の次第をまとめると、
○上皇が御簾内から外の御座につく。
○剃手の僧が御髪を左右二つに分け、紙縒(こより)で縛る。
○御衣(このときはまだ俗服の布袴)の襟をくつろげ、湯帷子を肩に掛ける。
○二人いるうち、上位の剃手がまず左の御髪から剃る。下位の剃手がお湯を懸けて濯ぐ。
この時、頭頂部をわずかに剃り残す(周羅髪)。
(剃っている間、梵唄あり)
○紙縒で束ねた二房の御髪は檀紙に包んで、左右を書いた名札を付ける。
○下位の剃手がお髭を剃る。
○剃り終わると上皇は御簾内に戻り、布袴を脱いで法服を召す。
○お召し替えの間にささっとその場をお片付け。
○再びお出ましになった上皇の周羅髪を、戒師が剃り除く。
○法名を定める。(『行眞』は後白河さんが前から決めていたもの)
○戒師が袈裟を授け、法皇は捧げ持ち一拝、一度戒師に返す
○戒師が法皇に袈裟を着せ懸けて、威儀の緒を結ぶ。
○戒師が念珠(菩提樹の実と水晶のもの)を授ける。
○沙弥十戒、菩提戒を授ける。
○法名を授ける。
○法皇が御簾内の御座に戻る。
という感じのようです。
後略のあとはまだ御修法が続くのですが、今回は御落飾の部分メインということで。
なお『逆修』とは、生前から自身の冥福の為に供養を行うことです。
名が省略されているので付け足し。
当時の大臣は
摂政 藤原基房
太政大臣 藤原忠雅
左大臣 藤原経宗
右大臣 源雅通
です。
凡例:()傍注、(イ)異記、[]割注
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上皇御落錺部類
後白川天皇
《百練抄》
嘉應元年六月十七日。太上天皇御出家[御歳四十三。]御戒師前大僧正寛忠。法名行眞。自今日被始御逆修。
《玉葉》
嘉應元年六月十七日壬寅。時々雨降。今日上皇御出家也。所被始御逆修也。限以五十ヶ日云々。一向被逐保延鳥羽院例也。下官自去正月依所勞籠居。雖尚不快。依爲天下之大事相扶出仕。午前着直衣。[隨上臈冠。]參法住寺殿。候公卿座。先是内府。新大納言[隆季]等在此座。自餘公卿徘徊便所云々。大和國。左府候御前座。已有御出家云々。彼(イ仍)兩人早參。仍被召御前。余内府等遅参故無召云々。頃之少将光能來臨[人々多參御所方。仍招光能。]問云。御布施歟。答云。未事訖。令申御參之由畢(イナシ)事始畢(イナシ)。於着座者。只今不可然同事也。御布施之時可申之由。有其仰云々。卽光能來云。事畢云々。仍余内府已下參御所方。[其所当方御懺法堂也。經□殿南□參也。]先五位院司光長取被物。授大和國戒師布施。次事了。此中有装束二具。前大納言實定。新大納言隆季取之。是保延之例也。奉行成頼卿進云。永治之時於御装束者。大納言上臈取之云々。實定隆季暫相讓之間。左府早可進之由示實定。仍先取之。次隆季取之。次泰經[五位也。]取被物櫃。左府須上臈。次第取了。[相國左府竝歸着御前座了。]次顯方[五位]傳被物。余取之。唄下臈法印憲覺也。着座次第了。次内府已下剃手上臈尊覺取了。内府又着座。次實定已下公顯之布施取了。次各從僧等參進取布施等了。次僧退下。次公卿退各着便所。次打僧集會鐘。次僧等參集。次光能來仰可始之由。之相國示也。成頼云。先例以鐘聲公卿參着也云々。而相國尚入來可仰之由示也。仍仰之。卽相國已下參上着座。次僧侶參。次堂童子二人。[一方也。]盛隆兼光着座。次唄。次分花筥。次散花。次説法。未事了。余依所勞更發退出了。今日攝政早參早出云々。是日來發心地所勞。今日發日和勞之故云々。今日戒師。[三井寺長吏前大僧正覺忠。]唄。[法印公舜。法印憲覺。]剃手。[法印尊覺。法印公顯。]
御逆修僧名
(三)法印禪智。
(三)憲覺。[但護摩師也。不着座。]
(三)尊覺。(山)實寛。
(三)公顯。(山)僧都隆憲。(山)法眼顯智。(三)觀智。
(山)律師良明。
(三)法橋實慶。
(山イ重)尊量。智秀等也。
攝政太政大臣奉行。左府。余。内府。
公卿。
大納言公保。 隆季。
實房。 中納言邦綱。
宗家。 資長。
兼雅。 成親。
忠親。 時忠。[此不露見也。]
参議資賢。 成賴。[奉行。]
宗盛。 實綱。
前大納言實定。 前中納言光隆。
光忠。 非参議俊成。
俊盛。 實家。
定隆。 朝方。
今日先有御奉書。使成賴(イ卿)。作者俊經。淸書朝方。次御隨還祿。廳官取之云々。將曹以下仰可令候本府之由。重近兼賴等被仰可令候召繼所之由云々。保延之度。此條不被仰。追仰(イ三字ナシ)歟云々。隆季卿語也。隆季又語云。今日御隨等不帶劔云々。未知其故。又内府不帶。
《兵範記》
嘉應元年六月十七日壬寅天陰。今日太上皇令遁世給。御年四十三。追鳥羽院例。此四五ヶ年雖有御願。于令遅引。宿善期至。令逐素懐給也。於法住寺御所御懺法堂有其儀。兼奉仕御装束。其儀。御懺法堂西面母屋并南(西カ)面兩面廂懸御簾。鋪設莊嚴具見指圖。
院司修理大夫俊成卿。左少將光能朝臣。兼日奉仰致其沙汰。且隨御所便宜。且准保延七年例所奉仕也。
今朝左中弁俊經朝臣持參御報書草。院司右中弁長方朝臣奏聞。[入莒。]卽令皇后宮權大夫朝方卿淸書。御覧了又給長方朝臣。納朴函以檀紙四枚。[各重二枚。]褁立押合。前後結中如常。表褁了又進上。次修理大夫賜之。令院司權中納言成親卿被獻内裏。判官代藤原光章給莒主典代大藏少輔基兼於中門外又給函相從。權中納言引率判官代主典代逐電参内。於大内頭中將相逢奏御報書。次内乱納御厨子。次權中納言以下歸參。報書使進發之後。長方朝臣賜御隨身祿。左右將曹秦兼任兼國各六丈絹四疋。府生秦賴文中臣延武各同絹三疋。番長秦公景兼宗各同絹二疋。主典代等取之。近衛六人各手作布二段。廳官取之。修理大夫仰云。各可候本府。次將曹以下退出。
御報書事。永治例。右少弁朝隆奉行。左中弁顯業朝臣草之。右少弁朝隆淸書。院司權中納言家成卿爲御使。
今度作者淸書御使。併爲彼子息。吉例相叶。自然之前表也。
今度御報書有裹紙。其上巻禮紙二枚。又巻一枚。次入莒以檀紙四枚[各重二枚。]裹之。結中如常。巳刻。攝政殿太政大臣。[忠。]左大臣[經。]右大臣。[兼。]内大臣。[雅]以下。納言。前納言。參議。散三位廿六人參入。依召殿下令參御前給。有御對面。次殿下令退出給。日來令煩發心地給。已有御氣色云々。
午刻。前大僧正覺忠。[香染法服令着衲袈裟。]法印公舜。同憲覺。尊覺。公顯。[已上四人宿装束平袈裟。大僧正以下作五人宿房遠。又依別仰自去夕參宿近邊。大僧正令宿熊野御精進屋鄺給。參上御所之間。乗手輿。從僧歩行。]參上暫被候西廊。
未尅。上皇自東廊御所渡御西面御所。[御装束布袴。]先御坐母屋簾中。次太政大臣。左大臣。依召候御前座。次被召僧徒。前大僧正爲戒師。公舜。憲覺爲剃除。此外法橋實慶。阿闍梨眞圓。同源猷。爲勤雜役祗候北廂障子外。[大僧正以下于役人併八人。皆爲園城寺門徒。叡慮之所及凡夫難知云々。]次戒師從僧參三衣莒置掖机上。次戒師(三字ナシ)。上皇出御御簾外御座。次於南面御拜。[永治例云々。]次戒師着説戒座灑水。次三禮唄。次打磬表白。次請和尚文。[在答。]〔請阿闍梨文。在答。〕次御拜。先太神宮。次八幡。次鳥羽院陵。次待賢門院御墓。各向其方兩段再拜云々。[先例多召人笏。今度被用元御笏云々。]次流轉三界中頌。次髭毛爪皮文。次善哉大丈夫頌。次歸依大世尊文。次雜役僧等持参雜具御脇息。實慶法橋打敷。眞圓阿闍梨御手洗。源猷水瓶。又實慶御髪剃莒。又眞圓御湯帷御手巾等。又源猷。[已上置御座邊并打敷上。]此後雜役三人僧相替勤之。次上皇取御髪中。次剃手結分左右御髪。[用紙捻。]次令開御衣襟給。[頗袖下以御湯帷令引懸御肩上給。]次上臈剃手尊覺奉剃左御髪。下臈剃手公顯奉懸御湯。此間下臈唄師憲覺唱唄。次剃除了。左右御髪褁檀紙付札。[件札兼書儲云光能朝臣所作歟]。次下臈剃手奉剃髭鬚。[御剃髪之間。和菊奉懸之。]次法皇入簾中。脱俗服令着法衣給。次供御手水。此間僧徒撤雜具投具。御髪暫置御同厨子。次法皇取御袈裟出御。次戒師奉除周羅髪。[件周羅髪頂三五莖殘者見戒律作法云々。]次定御法名。行眞。次戒師置袈裟袖上。頌文。大哉解脱服。以御袈裟奉授法皇。以左右手令受給。次捧御袈裟一拜卽返給。戒師如此三反了。法皇令着給。[永治寛遍法眼奉結御袈裟緒。今度尊覺法印結之。]次召御念珠。[菩提子水精装束念珠。戒師被獻云々。]次遇哉値佛者偈。次奉授沙彌十戒。次説戒相。次神分。次廻向。次令授菩提戒給。被授申御法名。[行眞。]日來被案撰哉。次法皇入御簾中次戒師復本座。次巻南廂御簾。次給布施。
先戒師。
綾被物一重。
太政大臣取之。判官代盛隆傳之。
布施二裹。[絹裹白布各七反。]
民部卿光忠。治部卿光隆取之。
布袴御装束一具。[裹白絹裹。當日着御之御装束也。脱御之後帖之裹調也。]
皇后宮大夫實定取之。
直衣御装束一具。[同裹。]
權大納言隆季卿取之。
鈍色装束一具。
権大納言實房卿取之。
長絹二裹。[各五疋。]綿二裹。[各百兩。]
已上四裹權中納言邦綱以下取之。
次唄師二口。
各綾被物一重。
左大臣。内大臣取之。[判官代光長奉經傳奉之。]
布施一裹。[各白布五段。]
参議散三位取之。
鈍色装束一具。
長絹一裹。[五疋。]綿一裹。[五十兩]。
已上納言已下取之。
次剃手二口。
被物以下色目同前。
公卿侍臣次第取之。
次事了。戒師以下退下。
此間以蔵人頭右中將實守御願逐了之由被申大内。[修理大夫奉仰。於渡殿邊仰之。]
寛平法皇御遁世之日。以院司中納言被奏聞。萬壽上東門院御遁世日。以藏人頭被申大内。永治依吉例。以頭中將教長被申大内。今度依彼二代吉例。被用頭中將也。
次被始御逆修。
【後略】
【後略】
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底本:
『上皇御落錺部類』 所収「続群書類従 第26輯上 釈家部」(塙保己一編纂/続群書類従完成会)1926
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