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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる、逆名(サカナ)のぼやき。
 
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前回の続き。
中世に入り、宗派もぐっと多様になります。
全部は追い切れないので、ここは、変形袈裟のバラエティーに絞って見ていくことにします。


袈裟の変遷その6。

祇園精舎の鐘の声ェ~~♪

というわけで盛者必衰、武士の世となりまして、法衣・袈裟にも新しい刺激がもたらされます。
禅宗がやってくる!ヤアヤアヤア!
この時、教えと共にもたらされたのが
(前褊)で触れた、直綴です。

袈裟の変遷(6) 絡子、直綴 禅僧、虚無僧、茶人、茶坊主、琵琶法師


直綴は僧侶に広く用いられるようになっただけでなく、
色ものの生地で仕立てた直綴「道服」が、半俗の茶人や連歌師などなどにも広く着られ
さらに公家・武家内々の上衣としても用いられるようになり
(時代は下りますが、腰から下に襞のない「小道服」もつくられました)
「羽織」のもとになったとも云われます。

ちなみに禅宗の直綴は、黒くて袖が深くて、
禅僧がその袖に風をはらんで早足で歩み去る大烏の如き様子は、
煩悩の汚泥にまみれた衆生の横っ面を、颯爽たる笑みでしたたかひっぱたいて正道に立ち戻らせる、
そんな恐るべき済度力をそなえているように思えます。フー。
いや、その位の含みはあると思うんだ、普通に考えて日常動作にあの袖はご不便だろうなあと思うもの。

また、五条袈裟がさらに小型化されて、二本の紐(サオ)で首から懸ける
「掛絡(から)」または「絡子(らくす)」と呼ばれる小さな五条袈裟がつくられました。
サオの一本には、絡子環(らくすかん)という留め具がつきます。
(宗派によってはつかない)
サオは、首の後ろで「マネキ」という長方形の布でまとめられています。

旅姿の禅僧も、風呂敷などでまとめた荷物の下にちゃんと絡子を懸けています。
しかし、これ…「まとめた」「包んだ」って、一言で言えるようなものじゃないですよね…。

また、「大掛絡(おおがら)」と呼ばれる、大振りの絡子があり、、
御存知虚無僧(普化宗の行脚僧)が横懸けにしています。
首から提げた偈箱(明暗と書いてある木箱)は、尺八の楽譜を入れる物。
お布施入れにもなったそう。

小野塚五条は、真義真言宗豊山派のみで用いられる小型の五条袈裟で、
つくられたのは大正時代だそうですが、威儀細とも呼ばれ、確かに紐が細くて瀟洒な印象です。
(絵はちょっと威儀が長すぎた…)

※茶坊主はたまたまスケブから発掘してきたおまけです
さらにおまけ。
omake_mousu.jpg
琵琶といえば蝉丸さんですが
百人一首の蝉丸は ときどき帽子(もうす)をかぶってる。
時代的に云えばこういう形のモノはなかったはずなので
お能の「蝉丸」からのイメージなのかも知れません。
他に立帽子、観音帽子などいろいろ並べてみましたが
なんだか、上杉謙信の図像ってまちまちで、こういう、法体が被る帽子(頭巾)みんな被っている気がします。
中に変なの混じってるけど気にしないで下さいw



その7。
袈裟を細く畳んで巻いたり懸けたりの巻。
袈裟の変遷(7) 修験者の結袈裟 梵天袈裟 磨紫金袈裟

本来なら、こちらを(6)にしたほうが、時代的にみたらよかったのかも知れませんが。

遊行僧が五条袈裟を細く折って畳み、襷掛けにしていました。
おそらくこのような着用法から生まれたのが、畳んで首に懸ける方式の「折五条」、「輪袈裟」であり、
それらをさらに複雑化したのが「結袈裟」だと思われます。
(結袈裟は九条袈裟を畳んだ物だそうですが)
結袈裟は修験者が懸けるもので、胸へ垂らす部分と、背へ垂らす部分と分かれています。
前後に、特徴的な球状の総が付きます。これは「梵天」とよび、この袈裟を「梵天袈裟」といいます。
この梵天は、水干などに付く菊綴の変形だといいます。
それにしても見事なポンポン!梵天とはナイスネーミング!
さらにこの梵天を金飾に代えたのが「磨紫金(ましこん)袈裟」
(※紫磨金しまごんは、紫色を帯びた最良の黄金のこと)
胸に垂れる部分の組紐を縮小版の修多羅に代えた「修多羅袈裟」もあります。

結袈裟は背の緒を帯に固定するようです。
修験者の衣は、「篠懸衣(鈴懸衣、すずかけごろも)」、袴は共布。形は直垂によく似ていますね。
頭上には頭巾(ときん)、手甲に脚絆、後腰に獣皮の引敷(ひっしき)をつけ、護摩刀を佩き、
お山を走るときにザイルとして使う「貝の緒」を組み結びにしたものを両腰から垂らします。
なんとなく並べてみたくて僧兵もかきました。


******************

あー楽しかった。後半ダレましたが。

ここまでお付き合い頂いた方(もしいらっしゃれば)有り難う御座いました。

しかし、袈裟、法衣と一部を挙げただけでもこれだけ多様で、改めて驚かされます。
絵だけでも御覧頂いて、法衣・袈裟の多様性を感じて頂けたら嬉しいです。

あ、
勿論小型改良袈裟だけでなく
従来の袈裟も大事に扱われていました。
師から弟子へ相伝される「銘物」も遺されていますし!

全部ではないにせよ、各時代に生まれた袈裟が、実用品として使われているのも本当にすごい。
よく考えたら、指貫袴なんて、直衣や狩衣とセットで見るよりも、法衣セットで見てる方が多いのかも?
装束好きにもやっぱり法衣っておいしいですね~~ほくほく。

実はまだ入手できてない資料などありますので、いつか再チャレンジできたらなと思ってます。
記事をちょこちょこ修正加筆っていう方が現実的だけど。



おまけ。
梵天のもとになった、菊綴です。直垂と童水干で見てみましょう。
kikutoji.jpg
ほつれやすい部分の補強の為に結んだ紐の裾をほどいて、花のように開いたのが菊綴です。
「くくりとじ」の訛、という説も。
のちにはただの飾りになっても、少なくとも菊綴がついた衣は、当初は消耗の激しい日常着だったことを窺えます。

童水干は平安末期ごろから華美な童子服という向きが出てきて
生地や、菊綴、袖括も大分カラフルになりました。
紐結びのもの、皮紐で結ぶものもありますが、皮紐のものは直垂の亜種である「素襖」に使われました。


……と、袈裟関係ないおまけで締めてすみませんw

◆(前編)天竺~唐まで はこちら
◆(中編)奈良~平安時代まで はこちら。
[袈裟・法衣の目次]はこちら。
「つづきを読む」に、参考文献。


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前回の続きです。

唐で色々と改造された袈裟ですが
日本ではまた独特の変遷を辿ります。
善哉極東ガラパゴス。華麗な変化を御覧あれ!


その4。

日本への仏教伝来当初は、唐代の褊衫裙と袈裟をそのまま用いていたと考えられます。
褊衫裙に木蘭色(もくらんじき)の七条袈裟「如法衣」を懸けた姿は、「律衣(りつえ」として
今でも鑑真和上が伝えた律宗によって用いられています。
現存唯一の左前の法衣だそうです。
袈裟の変遷(4) 袍裳、横被七条袈裟、裳付衣 附、文武官朝服

さて、仏教が国家の統制下に入り、僧侶も「僧官」に叙せられて朝廷に奉仕することになります。
朝官の官服に準じて、「僧官服」とでもいうべきものがつくられました。
「袍裳(法衣)」は式正の場で用いる法衣で、褊衫と裙を、官服の袍(ただし、盤領から垂領に変わり《※》僧綱襟という高い襟が加えられている)と、
裳(当時の物は、襞付きの巻きスカートのようなもので、
動きやすさと装飾の為に上衣から裾を出して着る)に代えたものです。
袈裟は、七条以上の「大衣(だいえ)」が用いられ、のちに横被も加えられるようになりました。
袈裟を結び吊るのに使った紐の先に「修多羅(しゅたら)」という長大な飾り結びがついていて、
これを左肩から背へ垂らします。
(当初は総角(あげまき)結びをいくつか連続して結ぶなど、もっと簡易な物であったと思われる)
下具(したのぐ)は、朝官と同じく表袴、大口袴、襪(しとうず、指無しの足袋)、
沓は鼻高沓(びこうぐつ)といって、甲がすこし尖っているものを履きました。

(※盤領…あげくび、首紙を入れた細い立て襟を紐で留める領(えり)。束帯袍や直衣、狩衣など。
 垂領…たりくび、前身頃の左右を垂らし、引き違えて着ること。単、小袖、直垂など。
 水干は造りは盤領だが、垂領に着ることも普通に行われた)


袍裳よりもっと軽い装束の「裳付衣」も作られました。
上衣と喪が一体になり、入襴(喪のように襞を寄せる)の様子が、こちらも、平安初期の文官の袍によく似ています。
余談ですが、文官袍の蟻先ってほんと謎形状ですね。描きづらいし(笑)


その5。

僧官も国家行事へ列席することになります。
灌仏会だとか、仏教的なものだけでなく、神道に基づいた行事へも。
袍裳は位階に応じた「当色」(律令制では官一位は深紫、二位三位は浅紫、等々)で仕立てられていましたが、
神道的な色の濃い行事に際してはどうにも差し障りがあります。
平安中期頃と思われますが、
官人の「浄衣(じょうえ)」のように、清浄色である白を基調とした法衣がつくられました。
(ちなみに、本来の袈裟・法衣は、青・黄・赤・白・黒の五色の「正色」を避けた
「壊色(えじき…くすんだ色などで『染壊』する)」であるべき、とされていました)
袈裟の変遷(5) 鈍色(椎鈍)、素絹、半素絹。附、御祭服、浄衣。


し、白い!!!!
まばゆい!!!!
清楚!!!!!


袍裳と同型で、裏地のない単、白地無文の
生絹(すずし)、精好(せいごう)、穀織(こめおり)で仕立てたものが「鈍色(どんじき)」です。
もとは白を意味して「純色」と書いたそうで、「にびいろ」とはまた違うようです。
また、「椎鈍(しいにぶ、ついどん)」は、鈍色と同じものか、或は薄墨色のものをいうと思われます。
この法衣自体を「浄衣」と呼ぶこともあります。
五条袈裟を掛け、下には指貫袴を着けますが、
式正の場では袍裳と同じく七条袈裟に表袴、という料も用いたようです。

裳付衣の裾を長く引き、白生絹で仕立てた「素絹」は、鈍色よりは一段軽い参内用の装束で、
袈裟は五条袈裟、袴は指貫と決まっています。
なお、折角長く仕立てた裾を、簡便の用のためにまた切りつめてしまったのが「半素絹(切素絹)」
これは結局は型が裳付衣に戻ったことになるので、ほぼ同一視されますが
半素絹が広く用いられるようになり、白以外のさまざまな色も使われるようになって
黒は裳付、それ以外の色は素絹、ということに、大体、なっているようです。

また!忘れてならないのは、鈍色以下の特殊な法衣に合わせて、袈裟もまた改造されたということです。
本来は腰に巻くような形であったらしい五条袈裟に、威儀という細帯を付けて、左肩から吊る形に。
当初「横五条」と呼ばれた、いまの五条袈裟です。
そうです、実は五条袈裟は、日本独特のものなのです。

しかも、神と仏がうまくやってく為に生み出されたとは。
なんていじましいんでしょうかッ!
噫、愛す可き哉、やまと五条袈裟!(ナデナデ)

このあたりの法衣の構成、また、袈裟については
過去記事【法衣・袈裟 構成比較 附、袈裟図解】もご覧下さい。

袈裟図解

…素絹ともうひとつ「裘代」についても、過去記事で何回も取り上げているので御一瞥下さると私が喜びます。
いや、描きたかったのです、裘代は。でも白服じゃないから今回は自粛しました……


さて、続きは(後編)にて。
[袈裟・法衣の目次]はこちら。

※参考資料については、(後編)の最後にまとめました。
先日、平安末の僧官の法衣・袈裟構成表を載せましたが、やっぱり表だけではピンときませんし
どうせなら、袈裟の変遷をたどってみたいと思います。

袈裟といえば当初は一枚で体を覆うものでしたが、
所を移り、時を経るに従って、その土地、その時代の服装に合わせて変わっていきました。
ここではインド→中国→日本という移り変わりを、大まかに見ていきます。
なお、筆者の贔屓が「平安密教」であることを先に申し上げておきます。

袈裟にはたくさんの尊い意味が込められています。 が
そういった大事なことをお話しするというのは、
単なる袈裟モエーな筆者にはなかなか腰の引けることですので、
ごっそり省かせて頂いています。どうぞ御寛恕下さいませ。

なお、前中後編通じて、絵の多くは「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳舎出版)の図版を参考にしています。
この本の著者であられる井筒雅風先生は、日本の装束研究、そして法衣研究の泰斗でいらっしゃいます。
装束の参考書として日頃から大変お世話になっているだけでなく、
筆者が法衣に転んだのはこの本との出会いが切っ掛けであり、
そうでなければ、このような記事を書くこともなかったでしょう。
ゆえに、多少大袈裟の感ありと覚えつつも、
この場を借りまして、井筒雅風先生と「原色日本服飾史」へ、
衷心よりの感謝を申し述べるものであります。


それでは、まず原始仏教の袈裟から。
hensen01.jpg

一枚の大きな袈裟で、体の上下を覆っていました。
『糞掃衣』などの名に見る如く、もうお掃除にしか使い道のない様な襤褸布がもっとも尊いとされました。
しかし、質はともかく、これでは量が要ったろうなあと思うのは私だけでしょうか。
衣を縫うのも修行のうちだからいいってことでしょうか。

畳んでひだを付けながら腰へ巻いていき、石帯で結び、帯の上に余った布を折り返します。
その後、右腋から左肩へ一度巻き付け、
二回目をもう一度同じように巻いて右肩を露出させるのが「偏袒右肩(へんだんうけん)」
二回目は右肩から右肩へ、胸元を覆うように掛けるのが「通肩」です。
仏さまの中でも、もっとも位の高い如来は、世俗を遠く離れて、装束ももっとも質素ですから、
こういった原理に近い袈裟の巻き方をしておいでです。


その2。
教えが広まり、インドからアジア各地へ伝わるに従って、
さすがに布一枚では不便が出てきたのか、袈裟の下に着ける衣が加えられます。
hensen02.jpg

「僧祇支(ソウギシ)」は、もとは比丘尼が胸を覆うものだったようです。覆膊、掩腋衣とも呼びます。
「覆肩衣」には、仏弟子の阿難陀が美しすぎたので、皆の目の毒だから玉のお肌を隠しなさいと仏陀がおっしゃった(阿難端正なり、人見て皆悦ぶ、仏覆肩衣を著せしむ、此れ右の肩を覆うなり。)、というような小咄がくっついています。
のちの横被(オウヒ、横皮、横披、横尾とも)のもとになったとも云われます。

この二つを加えると、いまのチベットや東南アジアのお坊さんがぱっと思い浮かぶようになりますね。

ただ中国唐代のぼんさんは肩出しには抵抗があったらしく、
僧祇支と覆肩衣をくっつけて、両肩を覆う「褊衫(ヘンサン、ヘンザンとも、偏衫)」をつくりました。
襟(衽)と袖がありますが、左前に着ます。
更に、袈裟の、腰に巻いていた部分が切り離され、巻きスカートのような袴のような「裙子(クンズ、裙)」がつくられます。

その3。
hensen03.jpg

裙が分離してしまうと、袈裟自体のあり方も変わってきます。
巻きが足らなくなり、袈裟だけではほどけてしまうので、紐を付けて左肩から吊すような形になりました。
紐だけで結び留めたり、鐶(かん)という円い留め具を使ったり、
また、袈裟をたくしあげて結び目を覆い隠すような着方もあります。

そうして、褊衫と裙子が直に綴じ合わされた「直綴(ジキトツ)」も考え出されました。
衽が右前になり、腰紐で前を留めます。腰から下には襞が寄っています。
直綴は禅宗と共に日本へ輸入されることになるので、ここでは飛ばします。


次は袈裟が天平の日本へやって来ます。(中編)へつづく。
[袈裟・法衣の目次]はこちら。

※参考資料については、(後編)の最後にまとめました。

なお、カテゴリに「装束関連」を新設しました。いつか装束記事がたまったら、と思っていたので嬉しいです。
こちらのレンタルブログだと、一つの記事に複数カテゴリ設定が出来ないのがちょっと不便です…。

裘代と長素絹。

法皇・法親王、高位の入道の宿(とのい)装束である裘代。
それ以下の僧侶が国家祭祀などで参内する時の素絹。
袍裳、鈍色より一段軽いため袈裟は五条である
(というより、五条袈裟自体が、こういった法衣に合わせる為に平安時代に創案されたという)

構成は前回日記を参照。

裘代は直衣の料にならって、冬の表白・裏二藍 のつもり…。
おずずは刺高(いらたか)だよ。算盤の珠みたいな形だよ。
素絹の五条袈裟は薄墨色。

………清楚だ…………。。。(ほわわわん)


闕腋、有襴、裾長で、ほぼ同型ですが、
素絹には縁(裘代の裾の喪の元まで飛び出ている箇所)が付きません。
僧綱襟もなく、裏地もなく(単)、文もありません。絹も練らない生絹です。
すっきりさんです。
法衣というよりは、
清浄(しょうじょう)を追求する、浄衣に近い考え方で作られたものなのだそうです。

キンキラ金襴法服も素敵ですが
こういう、神道の影響を受けた潔癖な匂いのする法衣もたまらなく好きです。


後日追加分あるかもないかも。



【追加というか過去記事から再掲】

22c18f9c.jpeg
裘代の料は、
・五条袈裟
・衵
・大帷
・指貫袴
・大口袴
・襪
・檜扇(夏は蝙蝠)
・数珠
です。
 
裘代とほぼ同じ形の「素絹(そけん)」という法衣もありますが、こちらはその名の通り、生絹(すずし)などで仕立てた裏無しのもので、裾も長くて清楚でよいのですが、やっぱり裘代のたっぷり感に分があると思います…。ふ…っ。
のちに、短く仕立てて裾を引かない「半素絹」「切素絹」など呼ばれるものが出来ましたが、短く簡便な方が一般的になったので、それをただ「素絹」と呼び、本来の長く裾を引くものは「長素絹」と呼ばれるようになりました。
参考資料:「原色日本服飾史」井筒雅風/光琳社出版
『法躰装束抄』(新校群書類従第六巻所収)内外書籍株式會社

おまけのおまけで、『法躰装束抄』から裘代の項。
※[]内は割注
******

一、裘袋事。[丈数三(ィ五)尺。此内ひろはゞ一丈五寸。ひろはゞなき時は七丈なり。たゝみやうはもつけ衣のごとし。下具かさねながらなり。]
しゞら綾。のしめ綾。又平絹。
俗の直衣の調様也。文法皇竹園は菊八葉。其外は家々文不同。白裏あり。[若人裏色]ぬいやう付衣に同じ。夏は裘袋を之を用いて着せず云々。又夏も冬を(ィも)之を通じて用ふ。別にすゞしはなきなり。
凡上ざまばかりめさるゝものなり。大納言入道まではゆりて着用参内すと云々。僧正又同也。是以下の人之を着ず歟。
○香織物裘袋事。
正安五十二。圓山殿下に於て十種供養の時。法皇之着御す。

(裏書)応永三年四月廿八日。尊道法親王青蓮院天台座主宣命之時。御見物の為に彼の門跡へ入御有り。室町殿ご装束。御裘袋。冬の如し。白張袴。文桐。長大帷。御指狩。[白平絹生。]香御袈裟。[同織物練。文桐唐草。]白生御帯。香御扇。御念珠。[予奉仕也。]

○下具白綾。[丈数四丈二尺。]衵。大帷。[丈数衵に同]白丁。大口。指貫。下袴五條香袈裟。念珠。[いらたかなり。]扇。[夏はかうもりあふぎ。]帯。[白生。]
○上絬之時は腰次あるべし。
 
○著さるべき様。
下絬上絬兩様なり。俗のごとし。あこめ以下なににても、下具は指貫下、したのはかまの上に入べし。まへふくらなし。よくひきちがゆべし。きうたいはさしぬきの上也。をびをあてて、まへうしろのわきをよくつくろひて、御裳をとりに(ィゆ歟)かめて、まへへをしやるなり。直衣の欄のごとし。又えんはもゝより三へにたゝみて、御裳(ィ裏)のつけめにとぢ付る也。
とほへ、かゝるほどにふかくちがへれば、そうかうのむねわろきなり。そうかう衣文さ(ィど)んじきに同也。但うらある程にはた袖をかへさず。
応永三元三垸飯。室町殿(年丗九)御出座之時。御裘袋。[しゞら。文桐丸。] 白綾御衵。[文桐。] 白綾御指貫。[熨目。藤丸。] 白下御袴。五帖香御袈裟。[堅織物。文桐唐草。] 御檜扇。[垂糸。]  御韈。平絹。御衣文。御はかまぎは。以下予之を沙汰す。以前のごとし。

******

「法躰装束抄」「法中装束抄」など装束書の記述から、法衣と袈裟の構成を比較してみました。
文献は室町時代の物ですが、今回は平安~鎌倉初期の僧官装束を想定しています。

芦引絵の坊さん古典文学の中で、『衣』『袈裟』と出てくるけど、具体的には一体どんなものを着ていたんだろう?
(例えば、芥川龍之介「鼻」の内供が着ていた『椎鈍の法衣』って? だとか)
絵巻で←こういうお坊様が着ているものはなんていう装束だろう?
この人はどのくらいの位で、寺院内の序列は……?

…というような疑問の手がかりにするために、ちまちま書き出していたものですが、大河の信西さん達の謎衣(※前回記事参照)のせいでフンガーフンガー云わされ、こりゃ一覧表にでもしないとあたいのおつむじゃあ無理だよ!と思ったので、まとめてみました。
 禅宗が入ってきてからのものと思しき『直綴』などは入れていません。直綴の木訥とした襞が三度の飯より好きだ!という方には申し訳ございません…。

(図)五条、七条、九条、二十五条袈裟、修多羅、横皮。
修多羅がんばった(つぶれた)
袈裟図解
※袈裟の名所は、京都国立博物館2010年特別展覧会「高僧と袈裟」リーフレットを参考にした。

袈裟」は三衣(さんね)といって大きく三つに分けられます。
いくつか言い方がありますが、
大衣(九条以上の袈裟、僧伽梨)
上衣(七条袈裟、鬱多羅僧)
下衣(五条袈裟、安陀会)です。
その昔インドで僧侶が袈裟以外の衣を着けなかった頃には、大衣は上着や寝るときの掛布団代わり、上衣は衣、すこし小さめの仕立ての下衣は下着(腰巻き)でした。


法衣構成比較表
法衣 着用者 調 袈裟 下具
法服(袍裳) 法皇、法親王
晴儀料
赤 小葵文、浮織・堅織、裏有。夏は薄物。 打裳同色。 有文(轡唐草、蓮花菱襷など様々)綾織物、平絹 
袷(=裏地付)
打裳、別仕立て、単(=裏地無し)、
方立(僧綱襟を立てる)
縫腋
衲・甲・平等、七条・九条の袈裟、横被 表袴、大口、襪、鼻廣沓、念珠、檜扇、帽子
修多羅
法親王 料か
僧正
上下通用
受戒儀
薄墨(衣袍裳とも。表袴も薄墨)
鈍色 僧正 香(別名、香鈍色・星月夜) 無文 単 生絹・精好・穀織 
方立 裳別(単、白或は黒)
縫腋
五条袈裟
(平袈裟も)
表袴、大口、襪、鼻廣沓、念珠、檜扇。 
また、下臈は多く指貫。指貫の料は、白下袴、指貫、冬は衵、夏は単大帷子
凡僧以上僧正まで上下通用 白が本義。後代は正色も使用。浄衣の別称も
薄墨色のものを椎鈍というか
裘代 法皇、法親王の宿装束 有文 袷 縮羅(しじら)織、熨斗目綾、平絹等、
俗体直衣の調に同じ
方立 入襴(裳付)で長く裾を引く 闕腋
五条袈裟
指貫、大口、大帷子、衵、
檜扇(夏は蝙蝠)、念珠(刺高)
 
素絹 法会、参内時など 白を本義とする 無文 単 生絹 方立無 入襴引裾 闕腋 裘代とほぼ同型
(長素絹とも)
指貫 単 帷子、数珠、檜扇
半素絹 上下、無位
通用
常の衣
無文 単 生絹、麻など 方立無 入襴 闕腋 素絹を丈短に仕立てる(切素絹とも) 五条袈裟
内々では省略
指貫 単 帷子
裳付衣 墨 墨染衣、空衣(うつほ)とも 無文 単 生絹、麻など 方立無 入襴 闕腋
付衣 凡僧
以上か
香薄物、白薄物、薄墨 着用例;菊文(法皇・法親王)牡丹文(摂家)桐文(足利義満) 有文或は無文 薄物、長絹、布(麻、葛等の織物) 裳付衣に僧綱襟を立てたもの 五条袈裟 表袴、大口、襪、鼻廣沓、念珠、檜扇。
略儀には襟を半分に折る、袴を指狩に変える等する


袈裟について。
袈裟構成比較表
袈裟 法衣 着用者 調 横被(皮) 条数

袈裟
法服
(袍裳)
晴儀、大僧正
以下凡僧まで
綾織物、或は紺地錦 縁と
甲は
別布
、袷
唐錦、織物
縫物等、様々
・七条

袈裟
僧正 『香甲』縁濃香、甲(田相部分)香 綾、有文 仕立様
袈裟に同じ

僧綱 『紫甲』縁黒、甲紫 綾、有文
凡僧(有職、非職) 『青甲』縁黒、甲青 綾、有文
已講 『櫨甲』縁黒、甲櫨 有文
威儀師・従威儀師 『赤甲』縁黒、甲赤 有文

袈裟
法服
(鈍色にも)
僧正以上 香 浮堅織、有文 縁甲
共布
、袷
清華家入道以下 白 浮堅織、有文
上下通用 白 生平絹
法服の時
五条
袈裟
鈍色、
裘代、
素絹等
法皇・法親王・
摂家入道
香 練浮織物、堅織物
凡人僧正、聴りて
大納言入道の料
香 精好織
貴人入道 紫 浮織物に白貫文
上下通用 白 薄物、精好
薄墨 有文薄物、織物、
綾、平絹等 裏付も
※主に、『法中装束抄』『法体装束抄』(所収『新校群書類従 第六巻装束部(二)』内外株式式会社)に拠り、
適宜「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳社出版)「有職故実大辞典」(鈴木敬三編/吉川弘文館)を参照した。
※法衣構成に於いて、『布袴』『直綴』については省略した。

【2014/03/01追記】比較表のPDF版を作成しました。
『法中・法体装束抄』による 平安~中世世密教系法衣袈裟構成比較表(pdf)

[袈裟・法衣の目次]

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イチ推しはみづら
(美豆良/鬟/鬢頬/総角)。

中古日本史、東洋史、仏教史(仏教東漸期の東アジア、平安密教、仏教芸能、美術、門跡寺院制度等)、有職故実、官職制度、風俗諸相、男色史。古典文学、絵巻物、拾遺・説話物。

好きな渡来僧:婆羅門僧正菩提僊那、林邑僧仏哲
好きな法皇:宇多法皇
好きな法親王:紫金臺寺御室、北院御室
好きな平氏:重盛、経盛、敦盛
好きな法衣:裘代五条袈裟
好きな御衣:御引直衣
好きな:挿頭花と老懸を付けた巻纓冠
好きな結髪:貴種童子の下げみずら
好きな童装束:半尻、童水干
好きな幼名:真魚(空海さん)
好きな舞楽:陵王、迦陵頻、胡蝶
好きな琵琶:青山、玄象
好きな:青葉、葉二
好きな仏像:普賢・文殊(童形)はじめ菩薩以下明王、天部、飛天(瓔珞天衣持物好き)

やまとことばも漢語も好き。
活字・漫画・ゲーム等、偏食気味雑食。

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