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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる、逆名(サカナ)のぼやき。
 
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全日本及び三千世界のみづら愛好家の皆様こんばんは。
ただいまみづら祭を開催中です。

今回も引き続き「埴輪のみづらを描いてみよう!」の回です。

ぎせいし…ゲフゲフン
モデルはこちら~
靫負人の美豆良

大和高田市池田遺跡9号墳の靫(ゆぎ)を負う武人の埴輪。
かなり凝ったつくりの埴輪です。
面長で首も長くてめずらしい造形ですよね。
上半身しか残っていませんが、背中には弓箭を入れる靫を背負っています。
靫は単体の埴輪でも出ているみたいですが、絵に描いたものなんかはすごく装飾的ですね。
実際の物は鮮やかに彩色されてたんじゃないかな…。

というか
ドリル…そして角…

妄想でこねくり回した結果、
ドリル美豆良は細い紐で縛り上げ、
兜の角状突起は飾り羽に
頭頂部のなだらかな割れ目は髪の分け目に
額にかぶさった部分を前髪に
…してみました。あながち間違いでもないような気もしますが
ど…うでしょうか…。

あと
夕べ五輪の馬術障害を見ながらスケッチしてたので
活用してみました。

靫負武人埴輪のみずら

よい子は上のと顔違うーとか云わないの。
弓は実用重視で小さめにしました。。

馬形埴輪はおなじみですが
改めて見てみると馬具が結構豪華ですよね。
神馬に載せる唐鞍の雲珠の、簡易版がついてたり。雲珠好きだー。
儀式用装備だから余計きらきらしくしてあるんでしょうけども。
今回は実用シーンということでちょっと控えめ…。

そういえば、馬型埴輪はあるけれど
騎馬のかたちでは例がないみたいで
それも意外といえば意外だけど…さすがに難しかったんだろうか。
小さいものならできないこともなさそうだけど。

描きながら「ワンダと巨像」が懐かしくなりました…。


もう一回くらい埴輪みづらかな?
次回は埴輪のみづらをあれこれ並べてみようと思います。


◆◇みづら祭の目次はこちら◇◆
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全日本及び三千世界のみづら愛好家の皆様、こんにちは。
ひきつづきみづら祭を開催中です。

今回から数回に分けて、埴輪のみづらをお絵かきしてみよう、という…
まあ…写真を見て妄想するだけというと…身も蓋もないのですが…w

と、とりあえず一回は古墳時代の装束全身を描いてみようかな、ということで
比較的プレーンなところから。
鷹匠埴輪の美豆良(みずら)

鷹匠埴輪(群馬県伊勢崎市出土/大和文華館所蔵)。
この埴輪 鷹がそっぽ向いちゃってるんですよねw

着ているのは衣褌(きぬはかま)。
筒袖、左前の上衣に帯を締めて、褌(ズボン)を履き、
帯には短めの倭刀を佩いて、弓を射るときに腕を守る防具、鞆(とも、革張りのドーナツ状のもの。
弓弦が当たるといい音がした)を下げています。
…なのかなー。弦巻かもしれないけど…。
そういえば、鞆をまともに装着した図って見たことがないのです。
のちに儀礼化して、武官が形ばかり帯から下げていたりはするのですが、
腕につけているところって、どんな感じなんでしょう。
「高鞆(たかとも)」とか「鞆音(ともと)」とか、ことばが好きなので、いつか見てみたいなあと思うんですが。

褌は膝下に結ぶ足結(あゆい)で長さを調節します。
兜はちょっとわからなかったので、鉢金風にしてしまいました…。

お供の子は、鷂(はいたか)です。
大物狙いの大鷹狩ではなく、小さな禽獣を狙う小鷹狩では、
鷂や雀鷂(つみ)の雄・悦哉(えっさい)、長元坊などの「小鷹」を使います。
埴輪の鷹が小さめなので、小鷹から選んでみました。
鷹の埴輪は単品でも見つかっていますが、どれもかわいいですね。

みづらは……
ちまき……w
ではなくてw
結ぶものの手がかりが何もないので、無難にまとめました。
長く垂れるものだと、元はある程度しっかり結わないと…。
今回はみずらについては、あまり書くことがないので(しっかりしろ)

「狩りと王権」(斎宮歴史博物館発行)から、

日本における鷹狩りのおおまかな流れをまとめてみます。

◆中央アジアが起源とされ、いまのアムール地方やウラジオストクなどから中国・朝鮮に伝わった。
 沿海州産の鷹は「海東青」と呼ばれて、中国で珍重された。

◆騎馬民族の狩猟法なので、馬がいなくちゃ始まらない。鷹狩りも馬と一緒に輸入されたもよう。(4~5世紀ごろ?)
 鷹は短い距離を全速で飛ぶので、瞬発力のある足で追いかける必要がある。

◆日本書紀では、鷹狩りを伝えたのは百済王族の酒君ということになっている。

◆日本では馬そのものが珍しく、従って鷹狩りを行うのも支配者の特権であった。
 食料や皮の調達、害獣駆除のためではなく、示威、軍事演習を兼ねたレジャー。

◆律令制下では、兵部省の管轄に「主鷹司」があり、河内・摂津・大和に「鷹養戸」が置かれていた。

◆奈良時代に入ると、貴族が自分の邸内で鷹を飼うこともなされた。
 大伴家持は、飛んでいった鷹を惜しんで夢を見たことを、長歌に作っている。(万葉17-4011)

◆平安初期、桓武・平城・嵯峨朝あたりが帝による鷹狩のピークで、桓武さんは自ら鷹の世話をしたり、
 嵯峨さんは鷹の飼い方本(新修鷹経)を書いたり、鷹狩り用の別荘(河陽院)を造らせたりした。

◆禁野での狩り、無届けの鷹狩りが禁止され、鷹狩りが帝の専有になる。

◆一時絶えて、光孝天皇によって再び行われるようになった頃には、天皇の出御自体がおおごとという時代。
 日帰りの狩りでも「野行幸」という一大行事になっていた。野行幸は宇多・醍醐でピークを迎え、
 この頃の事を取材して源氏物語「行幸」にも描かれるが、次第に衰退する。

◆白河さんによっていっときだけ復興される。

◆武家が政権を執るようになると、ふたたび為政者の狩が行われるようになり、鷹狩りも江戸幕府で盛んに行われた。

日本での鷹狩りって、最初から権力と結びついていたんですねい。
そういえば、弟切草の名前の由来になったのも、平安時代の鷹匠兄弟の話でしたね。


次回も埴輪のみづらになると思います。


◆◇みづら祭の目次はこちら◇◆

参考文献:
「日本の美術No.23 結髪と髪飾」(至文堂)
「狩りと王権」(斎宮歴史博物館 平成7年特別展図録)
「もっと知りたい はにわの世界~古代社会からのメッセージ」(若狭徹/東京美術)
「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳社出版)
 全日本及び三千世界のみづら愛好家のみなさま、こんにちは。
ただいまみづら祭を開催中です。

今回は…
恥を忍んで申し上げなければなりません。
先回、みづら概説にて「古代みづらの様子は埴輪から推測しただけのもの」というようなことを
書いてしまったのですが、その後で
1983年に茨城県土浦市武者塚古墳にて、

みづらの遺物が発見されていた


…ことを知りました。
うぎゃー恥ずかしい!!!無知って怖い!!
発見当時はかなり騒がれたようですが…。
立体再現した模型の写真を見ることが出来たのですが、なんだか微妙に複雑な形…。
さらに、筑波大学図書館の「遺跡リポジトリ」サービスにて、
当時の調査報告書をpdfで読むことが出来ましたので、

武者塚みづらを再現!

というようなことをやってみました。

武者塚古墳は、副葬品などから、7世紀後半頃(飛鳥時代)に作られた、終末期の古墳と考えられています。
『新治郡新治村上坂田、桜川左岸の標高28~30mほどの台地上に位置する。同地区内には17基の古墳の所在が確認されており、坂田古墳群と呼ばれている。武者塚古墳は、その中の1基である。』(茨城県教育委員会HP

そこから見つかった人骨のうち一体の頭部横に、束ねた髪のかたまりが発見されました。これが、美豆良と考えられます。反対側の髷は失われてしまっていましたが、顎髭も残っていました。
musyaduka.jpg

さてさてそれではみづら再現レポートです。

遺物のみづらの実測は、全長(高さ)7.5cm。小さく思えますが、経年劣化で繊維が細ったのでしょう。
フレッシュな状態ならもっとボリュームがあったんでしょうね。
何しろ骨は粉々になってしまっていたり、どうして髪だけ残ったのか不思議なくらいです。

残念ながら筆者の髪は今はそれほど長くないので、ナマ美豆良というわけにはいきません。
用意したのはモヘア毛糸です。質感が遺髪っぽかったので(モヘアに謝れ)
水で溶いたヘアワックスをつけました。
(古代では、蔓植物から抽出した粘液や椿などの実から採った油、獣脂を整髪料にしていました。
整髪料や理容具についても回をとってお話ししようと思います)

なんとういうかこう、手作り感が……夏休みの自由研究みたいだねw

************************

1)とりあえず概算で45cmの毛糸束をつくり、結び目を元取と想定して結い始めます。
 (ここで既に、元取りを結った紐の余りを垂らしてあるという想定です)

2)元取の位置が高さの中央になるように輪を作ります。

3)上部をひねります。 4)毛先が出てくるので、巻き付けます。

5) 6)ひねった部分を折り込みます。

7) 8)元結の紐を巻き付けて結びます。武者塚のみづらは樹皮で結ってあったらしく、
 中央2.5cmほど結び目の跡らしきものがのこっていたそうです。
 なお、復元図より上気味に結ばないと、編み込みで作ったこぶが紐から飛び出てしまいます。

9) 完成。ちなみに、めのこ結び。

************************

おわりに:
今回は固定していない状態で結いましたが、頭から生えている髪を結う場合は、
こんなに全体にひねりを入れなくても、上部をねじりながら折る、くらいでいいかも知れません。
途中で毛先を揃えたりして、最終的に解いた長さは40cm強といったところ。
耳から垂らすとみぞおちくらいですかね。
この、毛先を巻き込みながら捻り込む方法は、
長めの髪を結うときに毛先を始末する手段の一つと考えてもよいのではないでしょうか。

亡くなったときの髪型なのか、埋葬されるときに結い直されたのかは解りませんが、
結い直されたのだとすると、盛装に近い形だったのかも知れません。
被葬者の身分などが不明である為、これが「いわゆる下げ美豆良=上位階級」という図式の反証になる
…とまでは言い切れませんが。

埴輪に造形上の誇張あるいは省略が入っていることも改めて考えなければならないな、と、実物を見て思いました。

もちろん、耳の上につけて遊びましたが、さすがに写真は撮りませんでしたw

いかがでしたでしょうか。
ちなみに、リポジトリで読んだ発掘調査書は、克明な日誌や、石室内の見取り図、科学警察や医師による人骨の鑑定なども添えられていて、すごく生々しかったです…。考古学の先生のみづらに対する当時の考察が読めたのも、私は嬉しかった。
興味がお有りの方は是非ご一読をお勧めします~。


◆◇みづら祭の目次はこちら◇◆
大河、相変わらずだな。

と思ったのが、公開された清盛の相国入道verポスター

失笑した。

袈裟はどうせかけないんだろうと思ったけど
あのぎっちぎちの着込み方、木目込み人形かww
もはや何を着てるのかさっぱ不明。
適当にたっかい織物買って適当に仕立てて着込めてるだけなんじゃないんですかねー。
もうなんか投げ遣りさすら感じるわ。

あれってポスター撮影用なのか、実際のシーンで出てくるのかはしらないけど
…まともに動けるの??

kimekomi.jpg

能装束に似てる気もしたので並べてみた。

烏帽子を被っているのが『修羅物』のいでたちで、
『平家物語』を題材にしたお能によく出てきます。(大概は長絹は片肩袒にするようだ)
隣は若い女人のいでたちで、唐織の着流し。襟を広げて着ます。

似てたとしても時代、違うけどね…。
それでも何がもとになってああなったのか、知りたい。
けなすというか、もう、なんでどうしてあんなふうになっちゃうのかをただ知りたい。

song_dress.jpg
あと滋子の「婚礼」 って……この、婚礼とか結婚式っていう感覚自体おかしいんだが

さらに「婚礼衣装」とかいってまた貧相なもの着せてましたが、
あれはなんかもう中国の宮廷だったら女婢レベルでは…。
しかも「宋風」「和風」「天女風」「巫女風」「現代の花嫁風」ミックスだったらしい。
………ど、ど、どれにもまともにあてはまんないよ??????
宋人風っていうと↑こういう感じかなー。ハイウエスト裳スカート

宋風の衣装を着せるなんてありえなーい
という話ではなく

宋風でもなんでもない貧素な装束を

姫君の一番大事な時に着せるのがありえない。


どういうセンスなんや。

うーん、どうしてもそんな意味もなく白無垢にしたかったんなら、
せめて領巾?衫?は薄物にして、ふわっとさせりゃいいのに。
袖も長くしてあったみたいだけど、絹が重くてもっさりしてて台無し。
袿なのかなんなのかよくわかんないけど、重ね着してるのももう少し濃淡つけるとか…
白すぎてデティールつぶれてて、もう何が何だか。袴だったのか裳だったのかもわからない。
髷もまた貧相でイラッときたけど、
形ばかりに作った髷に玉の釵6個と櫛一個とか、何もしない方がまだましだよ…。
もっと高く美しく結い上げたりとか、しないならもう垂髪のほうがまし。
なんかちぢれ毛を見せたかったから長さの調節に腐心したみたいなことをゆーてたが
……かもじとかは?(ボソッ)

栄華を誇る平家が鳴り物入りで御所に上げるおひいさんのいでたちがあれとか、やる気なさすぎ…。
しかもあれで「貰った画像を見てものすごく頑張った結果」だと主張できるデザイナーの神経がまたすごい。
あれを放送できるNHKもやる気ないんだろうけどな…。

清盛の汚らしい黒っぽい長衣とか、後白河の真っ赤なちゃんちゃんこwとか、
義経も白一色で白丁かなんかにしか見えないけど、
ああいうのって、テーマカラーとか建前で、色目とかわからなくて
面倒くさいから、一色にしてごまかそうってことなのか?って思ってしまう。
女性装束も妙に色くすんでるし。
院政期の華美な風とかまったく見えないんですが。
それ言ったら、だれも強装束じゃないし、裳も引いてないか…。

もう別になんかもう、どうでもよくなったなあ
って思うたびにまだ最低レベルを更新してくれるというね…。すごいよね。


[袈裟・法衣の目次]

おまけ。
もうすでに滋子さん関係ない。
chijire.jpg
全日本及び三千世界のみづら愛好家のみなさま、こんばんは。

こちらは筆者逆名がみづらへの愛を叫ぶ「みづら祭」フロントページです。
長くなりそうなので(作者が楽しみを引き延ばしたいので)、
小出しで出来るだけ頻繁に更新できればと思っております。
 
そこで、こちらのご案内と序章の記事に
目次(リンク)を設けていくことにしました。
 
なお、もくじの下のほうに、
(できるだけ)わかりやすくみづらについてまとめてみました。
そもそもみづらって…?という方はご一読くだされば幸いです。


◆みづら祭のもくじ◆

予告編
■ 序 (この記事です)
■古代みづら
   ・古墳から出土したみづら~「武者塚みづらを結ってみよう!」
 ・埴輪のみづら
   ・鷹匠埴輪
   ・靫負武人埴輪
   ・種々の埴輪美豆良 
   続・種々の埴輪美豆良
・記紀のみづら
 ・万葉集のみづら
 ・古代の整髪具
 ・謎の「ひさごはな」~端境期の髪風
 
■童子みづら
 ・中古小児の髪風
 ・あげみづら、さげみづら
 ・幼年期の髪型として
 ・漢字とみづら~『総角』『角髪』ということ
 ・文学の中のみづら~『あげまき』と『みづら』
 ・日記史料のみづら
 ・殿上童と舞童 附、幼君
 ・装束書のみづら~おしえて!まさすけさん
 ・みづらの似合う装束様々
        ◇御引直衣(童形)
        ◇梅の花手折り挿頭して(半尻-童形狩衣

【番外編】
        ◇唐輪-牛若丸の髪型
        らくがき詰め合わせ(おじさん多め)
        らくがき詰め合わせ【みづらも詰め詰め】
        わたしの好きなみづらランキング とらくがきまとめ
という感じのことを書けたらいいなと思っております。


また、twitterではフライングでポンポン自説をつぶやいております。
まとまった論考ではありませんが、とりあえずの下書きメモとして。

【装束小ネタ】みづら篇~『角髪』表記について、美豆良と総角について 
【装束小ネタ】みづら篇~古代美豆良表現の変遷、続・美豆良と総角、謎の『ひさごはな』



 
少しずつ進めていくつもりですので、
進行中にも御意見御感想、リクエスト等、頂けましたら幸いです。


******************************
【凡例】
 ふだん筆者はなるべく「みずら」と新仮名を使うようにしていますが、
 今回は万葉仮名を多用したり、表現の揺れについても見ていくことになりそうですので、
記事内本文では歴史的仮名遣い「みづら」の表記で統一させて頂きます。
少し考えましたが、タイトルも「みづら祭」に改めさせて頂きます。
…どちらも好きなんですが、決めておかないと混用必至ですので(汗
 
******************************
 
 
■序~ここだけ読んでもわかるかもしれない、みづらのうわつら
 

とりあえず、まず「みづら」って何?というところをざっとお話ししておきます。

【みづら(みずら)】は、古代日本における結髪のひとつです。
美豆良とみづら(みずら) 総角、角髪、角子、鬢頬 あげみづら、さげみづら


大別して、

甲)埴輪などから再現された、古代男性の結髪

乙)古代以降、皇族や貴族の子弟の元服前の結髪


の二種です。
古墳時代と平安時代の間に、両種の中間となる髪型が存在した可能性は小さくないと思っていますが。

なお、みづら祭中は、便宜上、

甲型みづらを「古代みづら」

乙型みづらを「童子みづら」


と呼ばせて頂きます。一般的な名称ではありませんが御容赦下さい。


なお筆者が愛して已まないのは童子みづらの方ですが
いとしの童子みづらの父祖たる古代みづらにも、それなりの孝養を尽くさせて頂く所存です。



さてさて

古墳や埴輪の存在は、長く忘れられていました。
江戸後期以降各地で発掘(というか発見というか盗掘というか)の例が記録されるようになり、
出土品と『古事記』『日本紀』などの研究結果をすりあわせて
「推定」されたものが、いまの古代みづらのイメージ
です。
スタイルとしてこういうものがあった、という事実があっても、
それが本当に「みづら」と呼ばれていたかものなのかどうか、特定するのは難しい。という…。

(なお、埴輪があまり知られていなかった時代の浮世絵、神楽などの図像を見てみると、
被髪、もしくは平安以降の公家・武家装束か、その時代の服装で描かれていたりします。
神功皇后などはまるで巴御前のようです。)
埴輪の様子から、『髷が大きい方が、権力に近かったのでは』という推測もなされていますし
『上位階級は下げ美豆良』という説もありますが、
明らかに上位階層に属する、上げ美豆良の盛装男子埴輪もありますので、絶対ではないように思えます。

童子みづらも、いつ頃から行われていたのか、厳密にはわかりません。
(実は、平安時代以前に元服の習慣が確立されるまで、成人年齢がいつだったかは曖昧です)
平安初期にはすでにスタイルが確立していた童形の聖徳太子像はみづら髪なので、
これを描かれた当時の幼児の髪型だということもできる、かもしれません。

平安時代には、『童殿上(わらわてんじょう)』といって、貴顕の童子が、
顔見せをかねて元服前から帝の御許へお仕えすることが行われていました。
帝の御座所である清涼『殿』へ、特別に『上』がる許可が与えられたから『殿上童(てんじょうわらわ)』、ということは、
おとなの『殿上人(てんじょうびと)』とかわりません。

童子みづらは、このような殿上童の髪型でもあります。
※なお、儀式、宴などの際のアシスタント役や賑やかしのために、臨時で殿上を聴(ゆる)されたり、
舞童に選ばれると舞装束にみづらを結ったりもしました。

上流貴族の子弟、またはこうした臨時の晴装束に合わせる髪型なので、
童装束も、ちょっと位が低めの水干や長絹などに合わせることはありません。

結った残りの髪を下に垂らした「さげみづら」が通常用で、
晴の儀式には「あげみづら」といって、下げ髪は隠してしまいます。
あげみづらは、元服前の幼い帝の髪型でもありました。


【童子の下げみづらの結い方】 雅亮装束抄を元にしています。

なお、みづらの「あげ・さげ」ということは、
童子みづらに対して、上のような約束ごとのもとで用いる区別で(装束書などに記載)、
古代みづらに対して云う場合は、おそらく各所でめいめい便宜上使われるもので、
きちんと規定する史料はありません。

あげみづら、さげみづら

ざっと見て、このくらいの説明がなされているようです。
ただ、規定がないのですから、どれも間違っているというわけでもなくて、
下がっている部分があれば「さげみづら」ということに特に差し支えはないと思います。


●表記について

万葉仮名では『美豆良、美豆羅、美都良』などと書かれ、
漢字では『鬟、髻』と表記します。
(鬟は輪の形に結った髪、髻は、元取(もとどり)で、髪を結った部分や、結髪の総称的な表現です)

漢語の『総角(そうかく)』は、中国の子供の髪型、いわゆるお団子頭。
転じて、幼児期、少年時代の意味をもつことばです。

これが日本に輸入され、『日本書紀』に始めて見ることが出来ます。
総角を訓読して『あげまき(阿介萬岐)』といいます。
記紀に『結(レ)髪』ということばを『かみあげ』と訓む例があることから、
もし『あげまき』に感じを宛てるなら、『結巻』または『結纏』と書くのが適当ではないでしょうか。

『揚巻』という書き方は、上げて巻いて、という理髪の様子を具体的に表したものですが、
相当後(おそらく、江戸時代)のものじゃないかと思います。具体的な根拠はいまのところないのですが(汗)
なお、あげまき髪には飾り結びをする事がありました。
その結び方のひとつを特に『総角結び』と呼ぶようになります。
源氏物語の巻名『総角(あげまき)』は、髪型ではなく結び目のこと(お香の包みの飾り結び)です。

総角は『あげまき』であって、『みづら』とは訓みません。
『総角』と童子みづらとは同じ髪型ですが、『総角』は、髪型のスタイルとしてよりも、
童子そのものの、あるいは少年期の比喩的な名称として使用される例の方が多く見受けられます。
また、当然、成人男性の古代みづらは、総角とは呼びません。

『角子』『角髪』という表記については、筆者は『総角』からの派生だと考えています。
よって、これらを「みづら」と訓むことには否定的な立場です。

また、平安後期ごろからは、『みづら』の音便変化による『びづら、びんづら鬢頬の字を宛てる)』が、
実用的な言葉として日記史料などに見られるようになります。


…と、ここまでで、大体のことはお解り頂けたんじゃないかと思います。
記事ではこれらのことに詳しく触れていこうと思いますが、もうこれでいいよっていう方も
一応、イラストはつけるつもりでおりますので、それだけでもちゃちゃっとみてやっておくんなさいw


【みづら祭 これまでの参考資料】(2013/11/15現在)

【みづら・結髪・装束関連】
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲『美豆良考』「江馬務著作集第四巻」所収(江馬務/中央公論社)1976
▲「日本の美術23 結髪と髪飾」(橋本澄子編/至文堂)1968
▲「古代人の化粧と装身具」(原田淑人/刀水書房)1987
▲「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳社出版)1998増補改訂
▲「黒髪の文化史」(大原梨恵子/築地書館)1988
▲「有職故実図典-服装と故実-」(鈴木敬三/吉川弘文館)1995
▲「有職故実大事典」(鈴木敬三監修/吉川弘文館)
▲「倭人の絹 弥生時代の織物文化」(布目順朗/小学館)1995
▲「衣服で読み直す日本史 男装と王権」(武田佐知子/朝日選書601)1998
▲「宮廷の装束」展図録(高倉文化研究所/京都国立博物館)1999
▲「よそおいの民俗誌 化粧・着物・死装束」
  (国立歴史民俗博物館編/慶友社)2000
▲「日本の色辞典」(吉岡幸雄/紫紅社)2000
▲「素晴らしい装束の世界-いまに生きる千年のファッション-」(八条忠基/誠文堂新光社)1995
▲「平安文様素材CD-ROM」(八條忠基/マール社)2009
▲『雅亮装束抄』
 「新校羣書類従 第五巻 公事部(二)・装束部(一)」(内外書籍株式會社)1932 所収。
▲『法中装束抄』『法体装束抄』
 新校群書類従 第六巻装束部(二)」(内外株式會社)1932 所収。
▲「倭名類聚鈔 元和三年古活字版二十巻本」(中田祝夫解説/勉成社)1978
▲「伊勢の神宮 御装束神宝」(南里空海/世界文化社)2014
【埴輪・考古学関連】
▲「古代史復元(7) 古墳時代の工芸」(白石太一郎編/講談社)1990
▲「歴史発掘(4) 古代の装い」(春成英爾/講談社)1997
▲「埴輪と絵画の古代学」(辰巳和弘/白水社)1992
▲「埴輪の楽器 楽器史からみた考古資料」(宮崎まゆみ/三交社)1993
▲「人物埴輪の研究」(稲村繁/同成社)1999
▲「はにわ人は語る」(国立歴史民俗博物館編/山川出版社)1999
▲「王の墓と奉仕する人びと」(国立歴史民俗博物館編/山川出版社)2004
▲「ものが語る考古学シリーズ(6) 人物はにわの世界」(稲村繁、森昭/同成社)2002
▲「日本の美術445 黄金細工と金銅装 三国時代の朝鮮半島と倭国(日本)」
  (可田貞編/至文堂)2003
▲「人物埴輪の文化史的研究」(塚田良道/雄山閣)2007
▲「もっと知りたい はにわの世界~古代社会からのメッセージ」(若狭徹/東京美術)2009
▲「狩りと王権」(斎宮歴史博物館 平成7年特別展図録)1995
【武者塚古墳・同2号墳・武具八幡古墳の調査】(筑波大学遺跡リポジトリ)報告書の日付は1986年。
『埴輪集成図鑑』(帝室博物館編)1944 国立国会図書館デジタルコレクション

【生育儀礼関連】
▲「王朝の風俗と文化 塙選書22」(中村義男/塙書房)1962
▲「平安王朝の子どもたちー王権と家・童」(服部早苗/吉川弘文館)2004
▲「女と子供の王朝史-後宮・儀礼・縁 叢書・文化学の越境(13)」(服部早苗編/森話社)2007
▲「平安時代の儀礼と歳事」
▲「平安時代の信仰と生活」
▲「平安時代の環境」
    ー平安時代の文学と生活(山中裕・鈴木一雄編/至文堂)1994
▲「源氏物語図典」(秋山虔・小野町照彦編/小学館)1997
▲「異形の王権 平凡社ライブラリー10」(網野善彦/平凡社)1993

【唐輪(稚児)関連】
▲「中世寺院の社会と芸能」(土谷恵/吉川弘文館)2001
▲「続日本の絵巻20 当麻曼荼羅縁起・稚児観音縁起」
▲「続日本の絵巻24 桑実寺縁起・道成寺縁起」
 (共に、編集・解説:小松茂美/出版:中央公論社)
▲「新日本古典文学大系43 保元物語・平治物語・承久記」(岩波書店)
▲平治物語絵巻 三条殿夜討巻「ボストン美術館 日本美術の至宝」特別展図録(2012)

 【古楽・芸能関連】 
▲「日本音楽大事典」(平凡社)1989
▲「邦楽百科辞典」(音楽之友社)1984

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イチ推しはみづら
(美豆良/鬟/鬢頬/総角)。

中古日本史、東洋史、仏教史(仏教東漸期の東アジア、平安密教、仏教芸能、美術、門跡寺院制度等)、有職故実、官職制度、風俗諸相、男色史。古典文学、絵巻物、拾遺・説話物。

好きな渡来僧:婆羅門僧正菩提僊那、林邑僧仏哲
好きな法皇:宇多法皇
好きな法親王:紫金臺寺御室、北院御室
好きな平氏:重盛、経盛、敦盛
好きな法衣:裘代五条袈裟
好きな御衣:御引直衣
好きな:挿頭花と老懸を付けた巻纓冠
好きな結髪:貴種童子の下げみずら
好きな童装束:半尻、童水干
好きな幼名:真魚(空海さん)
好きな舞楽:陵王、迦陵頻、胡蝶
好きな琵琶:青山、玄象
好きな:青葉、葉二
好きな仏像:普賢・文殊(童形)はじめ菩薩以下明王、天部、飛天(瓔珞天衣持物好き)

やまとことばも漢語も好き。
活字・漫画・ゲーム等、偏食気味雑食。

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