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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる、逆名(サカナ)のぼやき。
 
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いつも拍手ボタンをぽちぽち押して下さってありがとうございます~。

拍手コメントの方で、イラストのなかの装束の文様や色目をどうしているか、について

ご質問を頂きましたので、簡単にお答えしておきます。

 

有職文、かさねの色目については

【綺陽装束研究所】様が解りやすくご説明下さっています。 http://www.kariginu.jp/

 

こちらで書籍化されたものもいつも有り難く参考にさせて頂いております。

▲「素晴らしい装束の世界-いまに生きる千年のファッション-」(八条忠基/誠文堂新光社)1995

 

イラストに使用している有職文の素材も

▲「平安文様素材CD-ROM」(八條忠基/マール社)2009

から選ばせて頂いて、直接使用する事が多いです。

時代や用途別など使用例も書き添えられています。

 

この中にないもの、自分で素材から作る場合は、装束の写真や図版から書き写したり、

ちょっと古いものになってしまいますが、河出書房新社の文様事典シリーズ

▲「王朝文様事典」(片野孝志/1988)

▲「武家文様事典」(片野孝志/1989)

▲「西陣文様事典」(いとう喜一/1994)

▲「韓国文様事典(林永周、金両基/1988)

▲「中国文様事典」(周燕麗、片野孝志/1991)

などに昔からお世話になっています。

ほか史料としては「後照念院装束抄」「奈留美加多」「織文図会」など。

舞楽装束は

▲「雅楽のデザイン」(多忠麿、林嘉吉/1990)など、

平安時代以前は正倉院裂関係の本を、大判本が多いので図書館頼みです。

古墳時代の絵では、埴輪や装飾古墳壁画の文様を参考にします。

 

 全部手書きで布の皺に沿って描き込んでいければ理想的ですが、

横着をして、規則的に並べたパターンを作ってぺたりと貼り付けたり、

一個の文様を変形させながら貼り付けたりしています。

 他、盤領で丸文の場合まず胸の中央にひとつ置いてからそれを基点に規則的に並べていくこと、

 有襴の装束のとき襴の文は身頃と向きを90度変えること、

などは気を付けるようにしています。

 

ちなみに、陵王の装束は以前年賀状用に作った素材を使い回しています…。



かさねの色目については、

▲「かさねの色目─平安の配彩美」(長崎盛輝/京都書院アーツコレクション、現在は青幻舎からの新版有)

▲「日本の色辞典」(吉岡幸雄/紫紅社)2000

▲「王朝のかさね色辞典」(吉岡幸雄/紫紅社)2011

を主な参考資料にさせて頂いています。

ほか

▲「昭和版延喜染鑑』(上村六郎/岩波書店)1986

▲「古代染色二千年の謎とその秘訣」(山崎青樹/美術出版社)2001

また基礎資料として

▲「有職故実図典」「有職故実大辞典」(鈴木敬三/吉川弘文館)

▲「染と織の鑑賞基礎知識」(小笠原小枝/至文堂)1998

など。

 

他にも良い資料はあるかと思いますが、自分の使用頻度の高いものとしては

このようなところです。

 

 どの色を塗ったら綺麗かというよりも、

どんな色遣いが人物や舞台設定に相応しいかを考える方が好きで、

自前の色彩センスについてはまるで自信がなく、

お褒めを頂戴してしまうのは恐縮です。

 当色が決まっている装束の方が楽ができて好きですし、

そのままの配色がいちばん素敵だと思っています。

 多色使いより単色の濃淡をつける方が好きで、

衣服の影を塗るのが楽しく、

文様も地文が光の具合で浮かび上がるように描けたらいいなあ、

というのでいつも透かし気味に入れてしまうことが多いです。


というようなところです(^皿^;)

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こんばんは、2014年ももうすぐ終わりですね。
web拍手ぽちぽち押して頂いてありがとうございます~!!
お礼画像もそろそろ替え時かな なんて一年くらいは思ってます

総括的企画として思いついたわけじゃないですが、twitterで
好きなみづらをランキング形式で並べてみました。

ねちねち語っています↓
好きなみづらランキング #みづら祭 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/760706





いやまー そのなんだ 好きなとこを集めたんだから当たり前だけど

うっとりするね………。

はあああ………。


とりあえずご説明しておきますと
◆殿堂 舞童下げ鬟(みづら)
 その昔、原色日本服飾史の童舞の写真のみづらに一目惚れしてみづら沼にはまった
 という過去があるため この子は別格 殿堂入りです。おう…。
 
 童子のみづらは 元服前の2,3年間結われるもので、童子の盛装の一部です
 いいとこの子 つまり祖父も父兄も殿上人以上で、自分もとりあえず蔭位は頂ける
 みたいな子で、祖父や父にコネがあれば、
 元服任官前にインターンシップのような形で「殿上童」として出仕することがありました。
 蔵人所の内舎人(舎人童)というかたちで配置になったようです。
 装束も、殿上に相応しい、成人の朝服に準じたものを着用し、みづらを結いました。
 童束帯では上げ鬟 宿直装束には下げ鬟です。
 また、節会などの際に会場アシスタントやお庭で胡蝶や迦陵の装束で船に乗せてにぎやかしにしたり
 もちろん、童舞を舞わせたり
 そういう子たちにも
臨時で殿上の聴(ゆる)しを出したりして、
 普段はみづらを結わないような身分でも、特別な場合に結うことがありました。

 そのため、厳密に「身分によって結われる髪型」というよりは、
 「童の最上級盛装の一部としての結髪」であり
 盛装するような童は身分が限られる(が、時に応じて許されることもある)
 ということかな、と思います。

 なお 童形天皇は上げ鬟 または放ち髪 だそうです。

※補足 みづら関連の記事で「鬟(みづら)」表記は今まで使ってませんでしたが
これは私が
「美豆良」あるいは「みづら」で表記を固定するようにしているためです。
「鬟」は読みのわかりにくさと、字義(もとは中国の女性の高髻で環をつくるもの)が髪の様子を限定してしまうため、
輪を作ることがない古代美豆良の話もまぜていると混同の恐れもあるかな と思うのですが、
平安童子の環をつくるみづらにはやっぱりこの字が相応しいと思っていて 大好きなので
今回は嗜好を前面に押し出してもいるし いいかな…と 甘えさせていただきました。



3位 太子信仰の二筋垂髪
二筋垂髪という名称は江馬務が「日本結髪全史」の中で使用したもので、歴史的な呼び名ではありません。
輪も棒状の髷も作らない、耳の前から垂らすだけの結髪も
おそらく「みづら」と見なされていたであろうことは、
「種々の埴輪美豆良」でも触れていますが、
こうした太子信仰の図像もまたそれを裏付けるものと考えます。

これらは、もちろん太子生前当時の風俗を表したものではないでしょう。
描かれた時代の人が考える「昔」の「高貴な童」というイメージ
その中にみづらがあります。

私は信仰対象を高貴な姿に描こうとするとき
どんな装束を選ぶか どんな髪型にするか
心を尽くして選ばれたイメージや、そこに寄せられた崇敬の気持ちにあこがれます



ところで 太子 みづら というと某古典漫画になるかと思いますが
太子のころには、おだんご型のみづらが適当で
輪っかの鬟は、あっても大きくはないし、下げ髪もなかったと思います。
でもあの特徴的な大輪の下げ鬟、どこから発想されたのかなあ と思っていたとき
上の図の孝養太子像に目を留めました。この髪型は、先ほどいったような
輪を作らないおさげ「二筋垂髪」ですが
ここに片蝶結びされた紐の輪っかが、あたかも下げ鬟の輪のように見えやしませんか?
これを誤解されたのじゃないか?
 と ちょっと思っています。まあ私にはほんとにそう見えたから…。

みづらの変遷メモも書いてみました。そのうちもちょっとましなの描き直したい
 

それから、藤ノ木古墳出土の装飾品の復元例を参考にしたものも描いてみました。
玉鬘もすごいと思っていたけどやっぱり美豆良飾りのインパクトよね………。
こういう復元例は前のバージョンもあわせて見るのがまたわくわくしますねい!




ほかのコメントは↓

好きなみづらランキング #みづら祭 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/760706



さて続いてらくがきまとめだよ
まづはみづらだよ


「…不遜なやつめ…」




 


若君だっこ正義なり


「中の人などいないのだー!」
かりぎぬかんがるー。



ずぼってしてみるお子さん お坊さんにやったら怒られるけど
祖父の入道ならきっと許して貰えると思うんだ いけっそこだっ!!


フォロワーさんからリクエストを頂戴して忍たまの錫高野先輩。
【装束小ネタ盛り合わせ】#古典の日 質問企画 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/740106




ついでに調べた、行者さんの白頭巾(宝冠)の巻き方。
参考:hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp/CM/1020/2/
他にも巻き方結び方はあり、垂らす部分をもっと長くとることもあるそうです。
ただこの白頭巾、白装束と、修験の方の黒い宝冠(頭巾)の区別などがよくわからなかったなあ



カラス天狗がいるなら ダチョウ天狗やペンギン天狗もいていいですよね というお話でした


千と~ のハク
神様なのにいつもしもじものおめしものだから 神様度盛ってみました
えっと一応頭に纏いてるのは日蔭鬘と琥珀玉のつもり…



白むちでお公家さんに見えると評判のへいまつくす。映画はまだ見てない

ひろ丸ぎみとへいまつくす。履いてるのは蹴鞠用の鴨沓。



こちらは見てきた ホビット3 そして ゴーン・ガール
無茶して日本連続で見ました…
意外な共通点があった…

もうほんとにスラ様とヘラジカさんガン見していた
でも顔つきあんまりヘラジカじゃなかったかも??きのせい??

ゴーンガール本編中はそこまで生理的反応は起こさなかったけど
エンディングロールに切り替わった瞬間悪寒が這い登ってきた
ネタバレは控えた方が面白いと思うけど、だからって謎解きを楽しむものではないかな。
ある程度予想がついてきてもまだそこからが長かった
好きかどうかはともかく、よくできてたと思います。

ところでホビット前作見たときも描いてた


  ぼーん。樽最高




これもtwitterでテンプレートみかけた(がタグを失念した)
2014年振り返り…とりあえず月々に何かしらはUPできてたのが自分としてはえらかった…と思う
来年もまたみづらがたくさん描けますように
そしてもうすこし筋道の立った実のある記事を書けたらいいなと思うんですが。

全日本及び三千世界のみづら愛好家の皆様、御無沙汰を致しております。貯金分のみづらへの愛を、いまひとたびの咆哮にのせて発します。みづら万歳!!


 


今回は人物埴輪の美豆良を観察していて、解釈に困ったりしたものをこねくり回した結果をご覧頂こうと思います。

個別の埴輪観察という感じで総括はありませんので、美豆良についてお調べの方は、


前回*みづら祭*埴輪みづらを描いてみよう!~種々の埴輪美豆良記事や
みづら祭の序 (附目次)をご覧下さい。


なお、図中の各部名称については、基本的に「原色日本服飾史」に拠っています。


おしながき

◆コトを弾く盛装男性埴輪 伝群馬県赤堀村出土
  附:下垂部付きL字型美豆良の別解釈4種

◆耳孔から美豆良を垂れてゐる人物像 常陸国筑波郡小野川村大字横場出土

◆帽子を被った男性埴輪 埼玉県東松山市大谷雷電山古墳出土

◆三角文様の盛装男性埴輪 福島県いわき市神谷作101号墳出土
画像だけでいいし。という方は
pixivの簡易版もどうぞ
【装束図解】続・種々の埴輪美豆良【みづら祭】 | 逆名 [pixiv]


【コトを弾く盛装男性埴輪 伝群馬県赤堀村出土 個人蔵





◆ちょっとだけコトのこと


 埴輪は、大概は何らかの祭祀の様子を現すとみられていますが、中には楽器を持っている人物埴輪もいます。一番多いのはコト(倭琴/やまとごと)です。(鈴も多いが、装飾を兼ねている事が殆どと思われる)他には太鼓や拍子木らしきものが見られます。


 倭琴は現在も雅楽で使用されている和琴(わごん…主に六絃、琴柱があり琴軋〈ことさき〉を用いて弾く)の祖形と云われている楽器ですが、埴輪に象られたものや出土遺物、正倉院御物などに遺風を留めるのみで、演奏法など詳細は不明です。


 『コト』は元来は倭琴を指す言葉だったものが、外来音楽の輸入を受け、あたらしくやってきた楽器たちを『琴(きんのこと)』『箏((そうのこと)』『琵琶(びわのこと)』『百済琴(くだらごと)』『新羅琴(しらぎごと』と呼び、土着のコトもこれらに対して『倭琴(やまとごと)』と呼ぶようになり、『琴』の字が宛てられて、弾き物(弦鳴楽器)の総称として使われるようになりました。そのころは恐らく琴(主に七絃、琴柱はない)が主流だったのでしょうが、現在では一般に『お琴』などと言ったりする場合は箏(日本では主に十三絃、琴柱があり指に義甲を付けて弾く)を指すようになっています。


 


 埴輪の持ち物としてのコトの大きさは、埴輪との対比でおおよそ全長が40~60cmほどですが、出土した現物では、福岡県北九州市辻田遺跡のモミ材のコトで148,8cm、千葉県国府関連遺跡のヒノキ材コトは全長161.2cmのものがあります。また正倉院御物の和琴残闕5号は190.1cm、伊勢神宮御神宝の鵄尾御琴(とびのおのおんこと)は266.6cm。これは実用楽器というより財物に相応しい容儀というところかも知れませんが。


 絃の本数は四絃、五絃が主ですが、六絃も見られます。


 形としては、長方形の平板の一辺に切れ目を入れて絃(絹か?)を引っ掛け、絃のもう一方の端は絃孔へ引き入れる形になっています。絃孔は単数・複数のものがあり、弦を引き締めて音を調整する為の琴柱あるいは竜角とみられる表現がなされているものもあります。


 板は頭部へ向かって細くなる物、絃孔のあたりでくびれ、頭部が末広がりになっているものが見られますが、これが鳥尾を象っているのならば、鵄(とび、鳶)の尾型…V字型の尾を持ち、「倭名類聚鈔」に『大歌所に鵄尾琴有り』と記され、伊勢神宮神宝として伝承されている鵄尾型の和琴へ繋がる形と捉えることが出来るでしょう。


 なお、参照した写真、コトについての説明は「埴輪の楽器 楽器史からみた考古資料」(宮崎まゆみ/三交社)1993より。




◆弾琴埴輪の特徴


 コトを弾く・携えている埴輪は、主に男性(女性も数例ある)で、盛装をしているものが多いですが、簡易な服装で顔に入れ墨を施しているもの(奈良県天理市荒巻古墳出土)もあります。前者では倚座(いざ、台座に腰掛ける)で膝に琴を置く形が多くなっています。倚座も高位のしるしとみられています。後者の身分は低いと見られるので、もしかしたら専門の楽人も存在していたのでしょうか(この埴輪は肩にコトを担いでいるので、単に運び手という可能性も?)。




◆埴輪観察結果


 ここで取り上げた埴輪は、かなり細かく作り込まれています。もっとも、コトを弾くというポーズを選んでいる時点で、複雑な造形の埴輪を作ろうという意志があったのでしょうけども。美豆良はL字型で、突起部分は彩色され、下垂部がついています。これは他の盛装埴輪でも見られる形で、前回の種々の埴輪美豆良でも同型のもの(群馬県太田市塚廻り3号墳出土)を扱いました。今回は別の結い方にしています。

 実は(上目遣いでニヤニヤしながら)もう数パターン描きました(後述)。



 服装は衣褌(きぬはかま)ですが、演奏のために邪魔にならないようにということなのか、胸の下あたりで帯かたすきを結んでいるのがちょっと変わっています。結び目は右脇にあります。背後で裾の端が浮くような形になっていて、短い上衣の裾という風にとりましたが、帯に入れた裾とたすきの間の布が余って膨らんでいる表現とも考えられます。



 衣褌姿では、腰から下は必ずといっていいほど、男女ともに末広がりになります。これは上衣の裾が腿当たりまであるものとして解釈されることが多いのですが、この腰の張り出し部分が上衣と別の模様になっている例や、襟の表現が腰帯に当たって途切れている例があり、奈良県石見遺跡の盛装倚座埴輪も短めの上衣の下から腰裳を着けていますから、上衣の上から別仕立ての腰裳を着ける場合も結構あったのではないかと思っています。


 今回は上衣が短い可能性もあるので腰裳にしてみました。一応前掛けのような、紐付きの構造を想定していますが、縫い目や割れ目が埴輪に見られないので、環状のものに腰を通して上から帯で締めたりしているとも考えられます。ドーナツ状の円形の布とかもありえるかな?


 腰裳の下は褌で、膝から下は、普通は膝あたりに足結(あゆい)をしていますが、足首にも結び目の表現があるので脛巾(はばき)としました。足結+皮履(かわぐつ)の飾りという線もあるかも。


 装飾品は耳環、後頭部束髪の上から懸けた頸珠(これもめずらしい表現)、籠手(手の甲に結び目を乗せるような形、プレッツェルにそっくり!)、柄は欠損していますが大刀を佩いています。



 丹による赤彩が残っていて、顔には額、鼻の頭、こめかみから目尻、頬にかけて太い曲線が描かれています。赤鼻かわいい。同じく群馬県、前橋市朝倉出土のコトを弾く盛装男性埴輪も、よく似た丹塗りをしています。


首も塗っていたようです。丹塗りは祭祀のための化粧と考えられています。(入れ墨は線刻であらわされる)

造作の細かいものは余計、見ていて飽きないですねえ…。




【下垂部付きL字型美豆良の別解釈4種】



①②
は突起部の丸みを無理やり鈴飾りと解釈したものです。②は先回の想定とさほど変わりません。ああ!髪に鈴飾り!凄まじく可憐だ。


 実はこの埴輪美豆良で気になったのは、L字の突起部分が彩色されていることです。その部分が突出するのは、紐で巻かれたところから折り曲げた髪の束が膨脹気味に張り出しているため、と見ているのですが、それならそこは髪であるはずだから赤くはならんだろう…と。


 ただこの丹による彩色は、云ってみればモノクロ表現、赤色は別の色の変わりに塗られたり、隣り合う部分との区別を付けるために塗られていたとも考えられるので、そんなに気にすることもない…


…のかもしれませんが、別の手も考えてみました。

③④は突起部の彩色を考慮して、ここに紐を巻き付けるものです。ああ、かわいい。すごくかわいい。ものすごくすごくかわいいですが髪型としてはあまり現実的ではないなと思います。こんな先の方でちょろっと輪を作るくらいなら全体を輪にする童子みづら(あげまき)型の方がまとまりがいいでしょうし。ああ、でもかわいい。




【耳孔から美豆良を垂れてゐる人物像 常陸国筑波郡小野川村大字横場出土】


 なぜ旧国名かというと、写真を参照した資料が古いからです。 


『埴輪集成図鑑』(帝室博物館編)1944


 国立国会図書館デジタルコレクション


 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1264671


 国会図書館のデジタルライブラリで見つけた資料で、戦前のものなので当然それ以前に発掘されたものしか掲載されていませんが、正面だけでなく側面・背面写真もあるのがとてもありがたいです。
 ささっ、ぜひぜひご覧下さい、はにわさん達が大量に待ってますよ~。

  埴輪に付けられた呼称も元資料に拠りました。この埴輪は横から見ると、耳穴から美豆良が生えてるように見えるのです。正面から見るとツインテールですね。しかも毛先がツンと上向いてますね。愛らしい。そのせいで思い切りぷりぷりになりました。申し訳ない。


 紐を巻き付けるなどしてまとめている可能性もありますが、そんなに身分が高くない人物であれば、耳のあたりで元結をとって流すだけということも有り得たのでは?ということで、今回はこのように。




◆性差が不明瞭


 呼び方が単に『人物像』としてあるところに、慎重さが窺えます。男性埴輪に珍しく乳暈表現があるからでしょう。衣服表現は少なく、腰裳も頸珠も男女に共通する要素です。


 乳暈及び乳房の表現は、女性埴輪にはたまに見かけられますが、男性に皆無という訳でもありません。ただし、土を盛るのではなく、線を彫り込んであることは、女性より男性である可能性を高めているように思います。


 そもそも埴輪には体格上の性差表現があまりありません。胸は基本的に平坦で、女性の乳房の表現はそこへちょっと粘土を足すくらい。男性ならたくましい、というのもあまりないようです。ぼんきゅっぼんの遮光器土偶さんとはえらい違いです。こういった点が美的感覚の発露なのか、埴輪の造形上のことなのかは解りませんが。



 さて、もう一つ性別の判断を難しくしているのは、髪型かと思います。


 埴輪では普通、美豆良があれば男性、美豆良がなく頭頂部に髷(古墳島田)があれば女性、と見ることができますが、この埴輪には美豆良があるのに、頭頂部に髷らしきものが載っています。


私は、この曲がった円筒状のものは


 (1)髷だが、盾持人埴輪などとも共通する結髪(後世の唐輪に似る)で、横に細く、女性の縦長で平坦な古墳島田とは別種のものである。額の環は冠である。


 (2)髷ではなく、兜の装飾である。額の環は兜のふち。


 と考えて、どちらの場合も男性であると想定して両方を描いてみました。女性が美豆良を結って兜を被っている可能性もありますが。


 衣服・装飾表現については、襟や襟紐表現は無し。頸珠と耳環はあり。腰には帯があり、末広がりの腰裳が。さてこれは乳暈もあることだし上半身は裸ということか、それとも、貫頭衣のような単純な衣類の省略なのか。どちらも考えられると思います。なお、襟付きの衣と貫頭衣については、またいつか古墳時代の領のはなし等としてまとめたいと思います。


 ちなみに半裸の人のポーズがなんだか微妙なのは、埴輪のポーズをどう再現するかいろいろ描いてみても、私の力不足ですべてヒゲダンスっぽくなってしまい、迷走した結果です。いやはや。






 


 


【帽子を被った男性埴輪 埼玉県東松山市大谷雷電山古墳出土】


 こちらも以前取り上げました。やっぱり、お気に入りって言うのはね…。この埴輪の場合は、顔立ちや下半身が太い(描いてないが)ことから、なんとなく男性的な魅力を表現しようとしているような感じで気に留めているというか、うん、何より美豆良の毛先がカールしているところが好きです、心の中で雷電山カールと呼んでいます。千畳敷カールのともだちみたいですね。


 顔の廻りに薄く縁取りがありますが、これは眉の表現と同じ方向性で髭であると解釈しています。


◆帽子はどんなもの?


 以前はこの帽子を、つばの形を「鬘(かずら)」と判断して、日蔭鬘を頭に纏きましたが、今回は素直に帽子として描いてみました。


 かごなど、植物を利用した編み物の器物は縄文時代の遺跡から出土していますので、その要領で、植物繊維で編んだ帽子、つばの形を作る為に細めの素材を使っているという想定にしたのですが、なんだか麦藁帽子みたいになりました。縮毛とか彫り深めの顔にしたせいで余計日本人に見えませんね。エコクラフトしか編んだことないからかも知れません。修行が足りぬ。


 泣き言はともかくとして、埴輪は結構、不思議な形の帽子を被っています。兜の形はなんとなく見慣れていますが、素材が金属なのか有機物なのかさえ解らない冠帽の類は厄介です。真面目にやろうとすればするほど、張り切って妄想すればするほど『日本的』なイメージから離れていってしまいます。つば広のとんがり帽子を被るのは西洋人、という思い込みが強いからなんでしょうねえ…。




 もうひとつ、鹿皮(※皮=なめしていない 革=なめし加工済)を使ったものも考えてみました。円いつばにお洒落カッティングを入れます。


 盛装埴輪はよく籠手を着けていますが、そちらも一応皮のつもりで描いています。革帯は金具付きの場合は輸入物もありかな!?革もありかな!と思いますがどうでしょうか!





【三角文様の盛装男性埴輪 福島県いわき市神谷作101号墳出土】


 

ひとめ見たら忘れられない華やかなお方です。彩色もありますが、冠はこれ一体何なんだろうほんとに。先っぽポンポンみたいだし。って、思いますよね。



◆鈴のついた冠


 「もっと知りたい はにわの世界」(若狭徹/東京美術)に、「鈴」と説明してあったので、思い切って、布製の部分と、金属製の部分に分けてみました。布部分は前立てのみで、頭全体を覆う帽ではありません。ぺろぺろ広がっている部分は、朝鮮半島で出土した金冠(伝高霊出土、韓国湖厳美術館所蔵、図版参考「日本の美術445 黄金細工と金銅装」至文堂))の装飾を参考に、鈴をくっつけて、惜しげもなく折り曲げてみました。動けばリンリンシャンシャン、もとい玲瓏として響いたのでしょう。厳粛な儀式の中で祭主の身振りにつれて鳴る鈴の音かあ…。


ただし、埴輪を見るとこのへろへろした部分のふちは彩色されています。金属ではないのかも??



◆三角文様の上着


 みづら祭りを準備していた時分に、古墳時代の意匠として三角文様はポピュラーらしいと知って、絵に入れることに決めましたが、その時この埴輪も見ました。 また、おなじいわき市内の中田横穴の壁画も三角文様が入っていて、関係性が指摘されています。(福島文化財センター まほろんHP http://www.mahoron.fks.ed.jp/bunkazai/364.htm)


 ただよ~~く見ると単に三角を並べただけではなく、ずらしたり、逆さまにしたりしています。規則正しく並んでいれば鱗文様と呼ぶところなのですが、不規則な遊びも見られるため単に三角文様というのが妥当かと思います。


 以前、領のはなしで触れましたが、衣褌姿では多くは左衽の曲領で、この埴輪のような対領(喉元から真っ直ぐ割れる身頃)は少ない方です。左右の襟が合わさって、そこに少し隙間があるようにも見えるので、上着として、下に衣を着る想定としました。若干きぶくれ。その襟の線は腰で途切れているようですので、腰裳と革帯を上から着装。


◆美豆良その他の衣服表現


 美豆良は細めでシンプルなちまき型ですが、基点が高いのでもの自体は長め。彩色で紐の表現あり。美豆良の下から耳環、冠に合わせて金細工にしてもよかったかも。


 金具付きの革帯に玉を纏いた大刀を佩きます。金飾とトンボ玉つきで、柄頭の形は奈良県藤ノ木古墳出土の捩り環頭大刀を参考にしました。大刀の緒は横縞の倭文織。鞆も提げています。


 腕には三角文様の入った籠手。指先も彩色されているように見えるのですが、手を赤く塗ることがあったのかなあ…うーん…。


 腰裳は赤い縁取りあり。褌の紅白石畳文様は、埼玉県生出塚窯跡出土の盛装男子埴輪を参考に。(といってもここからは沢山出土していますが、紅白チェックの褌を穿いた埴輪の写真が前述「もっと知りたい~」に掲載されています)足結の緒にも鈴飾りプラス。


 足元は皮履。もとの埴輪は倚座であぐらをかいており、足まわりの装束表現は控えめです。


うーん、写真しか拝見していないのですが、もうすこし別角度からも見たかった…。


今回は以上です。

 楽しかった。私は楽しかったのですが、読んで下さった方は正直どうなんでしょうか。ネタにはなるでしょうか。文字通り御笑覧頂けましたら幸いです。


  私の埴輪観察の目的は、真実の探求ではなく、あれこれ想像して楽しむこと、妥当と思われる可能性を沢山並べてみることです。その為に研究者の方々のお知恵を拝借しているに過ぎません。に、二次創作…。

 関心をお持ちの方は是非原作もとい、元の資料をご参照下さい。




最近古墳ブームが到来しているらしいので、ここはひとつ!埴輪美豆良にも!!脚光を!!そして願わくば美豆良が流行って8の字以外の美豆良の存在が、広くなくていいのでせめて古代好きさんの間でだけでも認識されますように!!


◆おまけのらくがき




はにわらくがきつめあわせ。


隅っこに入れた痛そうな顔の埴輪は、下半身まで入れないと個体認識されにくい可哀想な人です。


そのうち頑張って描くかもしれません。




  


大分前に描いたのも混じってますが、上段はウズメさんイザナミさん、下段はヨモツシコメの皆さんです。醜=マッチョという解釈で、イザナミ親衛隊、縄文・土偶風味アマゾネス軍団です…。ファンタジーなのでよろしくおねがいします…。ちちあて布は海外ドキュメンタリーのアンコール遺跡番組の古代再現ドラマ部分を参考にしました。



当ブログに掲載した装束関連記事の目次です
【2013/11/15最新】

【個別に目次が立ててあります】
みづら祭の序 (附目次)
袈裟・法衣の目次

【装束の領(襟)について】
領(えり)のはなし~中国篇
領(えり)のはなし~古墳壁画・埴輪に見る女性装束篇

【冠・烏帽子・幞頭(ぼくとう)について】
冠と烏帽子メモ+らくがき
唐代の幞頭とそのバリエーショ

太子の幞頭拝見します!ほか

【いろいろ】(新↑↓古)
有職文様・かさね色目の参考資料について
わたしの好きなみづらランキング とらくがきまとめ
らくがき詰め合わせ【みづらも詰め詰め】
らくがき詰め合わせ(おじさん多め)
袍(うえのきぬ)/【追加補足】狩衣のこと/萎装束と強装束/冠下の髷/江戸時代の幼児の髪型 (Twitter再録)
御引直衣(童形)

Twipicらくがきまとめ+(唐輪-牛若丸の髪型)
*みづら祭*中古小児の髪風(あっさり編)
『新・平家物語 静と義経』
TOP絵更新・童女の汗衫

【洋装】
『ローマ法王の休日』から、祭服いくつか

洋ものらくがき


【Twipic】http://twitpic.com/photos/sakana6634
【pixiv】http://pixiv.me/sakana6634
イラストはtwipicにupしてからブログに掲載することが多いです。
また、全てではありませんが、pixivにもupしています。画像はこちらの方が見やすいかも。
 ただし、腐ネタやオリジナル創作も含みます。

【Togetterまとめhttp://togetter.com/id/sakana6634
色々ぶつぶつとつぶやいているねたのログ。
しっかりした論考ではない単なる自説開陳の場合も多いです。
これまでの装束関係まとめ

装束小ネタ~院政期の流行、強装束と置眉)
【装束小ネタ】うえのきぬ ざっくり。
袈裟・法衣雑感まとめ
【装束小ネタ】女性装束篇~裳のはなし他
【メモ】養蚕について(宮中養蚕・山蚕など)
【装束小ネタ】みづら篇~『角髪』表記について、美豆良と総角について
【装束小ネタ】みづら篇~古代美豆良表現の変遷、続・美豆良と総角、謎の『ひさごはな』



【紹介とサムネイルつき目次】
タイトルとサムネイルをクリックすると掲載記事へ飛びます。

まとまっているものはこちらから。

みづら祭の序 (附目次)
 古代の髪型「みづら(美豆良)」について。
埴輪などの古代のみづらと、平安以降の童子のみづらは区別しています。
みづらの説明 
 
 
 
袈裟・法衣の目次
 
僧侶の着用する袈裟・法衣について。インド~中国~日本での変遷など。
※筆者の贔屓は平安仏教です。
 袈裟の変遷(1)
      




【領(えり)のはなし】
 装束の領に注目してみたもの。

領(えり)のはなし~中国篇
日本の時代装束のルーツでもある、中国の服飾を調べてみました。
漢服・胡服について大雑把にまとめています。
 

領(えり)のはなし~古墳壁画・埴輪に見る女性装束篇
古墳時代の日本・朝鮮半島の装束の一例(想像図)
 
このシリーズは取り敢えず狩衣や束帯あたりまでは行きたいです。



【冠・幞頭・烏帽子関連】

冠と烏帽子メモ+らくがき
 自分が描くときのTIPSです。
 

唐代の幞頭とそのバリエーショ
 唐代の幞頭(ぼくとう)の被り方や巾子の形のバリエーション。
 日本古代の参考にも。
 

太子の幞頭拝見します!ほか
 聖徳太子図とされる肖像にみる幞頭。これが冠のもとになります。
  


【個別の装束ネタ、らくがきなど】
下に行くほど古いです。
わたしの好きなみづらランキング とらくがきまとめ
  

らくがき詰め合わせ【みづらも詰め詰め】
  
らくがき詰め合わせ(おじさん多め)
  

袍(うえのきぬ)/【追加補足】狩衣のこと/萎装束と強装束/冠下の髷/江戸時代の幼児の髪型 (Twitter再録)
  

御引直衣(童形)
天皇の日常の料である御引直衣について。主に童形なのは幼主好きだから…。
 

Twipicらくがきまとめ+(唐輪-牛若丸の髪型)
よく牛若丸(遮那王)が描かれるときに結っている唐輪(からわ)という髪型についてなど。
 

*みづら祭*中古小児の髪風(あっさり編)
みづら祭の一環ですが、みづら以外や生育儀礼についても触れています。
増補改訂中古小児の髪風 

『新・平家物語 静と義経』
吉川英治原作/島耕二監督/淡島千景主演の映画を観ての感想とらくがき。
 
ちなみに、溝口健二監督/市川雷蔵主演の『新・平家物語』のイラストは
【ツッコミ大河】武官装束の清盛とか

【ツッコミ大河】は2012年度NHK大河ドラマ『平清盛』への辛口感想…というか、好意的に観る気力もなくなった時点で憤慨をぶちまけているものです。作品ファンの方がご覧になる場合はどうかご了解下さいますように。
 主に法衣ネタツッコミが多いので(というかもうそこだけは本当に口を開かざるを得ないくらい辛かった)『袈裟・法衣の目次』のほうにリンクをまとめてあります。

TOP絵更新・童女の汗衫
 
汗衫(かざみ)、意外にアクセスがあります。


洋装
『ローマ法王の休日』から、祭服いくつか
映画『ローマ法王の休日』を観て書いた、法皇と枢機卿の衣装(祭服)
Habemus Papam 

洋ものらくがき
  
洋装はあしとかちちが描けるのでいいですね
twitterでつぶやいてはいたものの、こちらに書き忘れてた装束小ネタのまとめです。

【うえのきぬ ざっくり。】

 
※本来「うえのきぬ」は『袍』を表す言葉ですが、ここでは『表衣』の意味で狩衣水干直垂も載せています。
 とくに、腋(わき)や裾の違いにご注目。


◆闕腋袍と縫腋袍
 上段に並んでいるのが、平安初~中期頃までの官袍。身頃も袖も細身で、腋は微妙にくれているようです。(有職故実大辞典図版より)
 中段が院政期頃につくられた強装束から現行の官袍。
 腋が切れてストンとしてるのが武官が着用した闕腋(ケッテキ・わきあけ)で、腋が繍い合わされて裾まわりにオプションが付くのが縫腋(ホウエキ・もとおし)です。
 縫腋袍の裾まわり(襴/らん)は、裾に身頃より幅が長い生地を縫いつけ、余った部分を腋で襞にしています。これは、足まわりを隠しつつ動きやすくするため。次の【萎/強装束】にも書きますが、のち蟻先という形式に姿を変えました。襞になった襴を伸ばして外側に出し、糊を付けて四角く張り出させました。
 現行装束では糊は取れていますが、スタイルとしては強装束以降のものです。上辺を少し斜めに折り込んで縫い、下辺は縫い合わせていません。
 今でも、平安密教の流れを汲む法衣は入襴です。
 小直衣といって、狩衣のように肩まわりも腋も割れていながら入襴の、不思議な装束もあります。
 なお武官の闕腋袍はもともと襴が無く、襞のついた半臂を重ね着て腰回りを隠しました。
 強装束のころの闕腋では、後身頃の裾が長くしてありますが、縫腋も実際は後ろだけが長く(時代を追って少しずつ長くなっていた)それを腰のあたりで端折っています。
 束帯袍と衣冠・直衣袍では、この端折り方(はこえ)がちょっとだけ違います。
 一応、律令で定められた服色で塗りました(線が見にくくなるので明るめにしましたが)
 四位の深緋・五位の浅緋・七位の浅緑・初位の浅縹。
 平安ものの映像は黒い束帯(束帯も本来は深紫)が多めですが、実際は結構カラフル。時代が下ると色数減るけど…。画面に黒袍しか出ないってことは、一握りの上層部である公卿とか大臣とかしか描いていないということで。緋袍や縹袍や禁色許された蔵人の麹塵袍がうろうろしてたっていいと思うんだけどなあ。


◆狩衣
 狩衣は、闕腋袍(別名’襖/あお)の流れを汲み、もとは布衣(ほうい・ほい。ここでは絹以外の植物性の生地=布で作られた衣の意)と呼ばれた庶民服でした。…といっても当初は結構な一張羅だったと思われますが、生地や色、文様に決まりのある武官の闕腋袍を『位襖/いあお』と呼んだのに対して、貴人の狩りや野行幸に用いられたため『狩襖』とも呼ばれました。のち、官人の日常着としても使用が広まって形式化されました。

 肩がぱっくり開いているのが特徴ですが、袖の縫合部分が少なくしてあるのは、動きやすさと、パッと袖を脱いでしまえるように。もうひとつは、肩部分は破れやすいものだから、いっそ綺麗に取れて縫い直しもしやすいように、こういった形になったのではないでしょうか。
 ということは、狭い筒袖から段々と広袖になってきた過程で、こういった改変が為されたと考えるべきでしょう。筒袖で肩が割れていたって、サッと腕は抜けないんじゃないかなーと思うので…。
 袖についた括り紐も、キュ~~ッと引っ張って袖先を絞るためのものですから、ある程度の広さができた頃からのものなんでしょうね。
 もともと服制外の装束で、厳然たる決まりがあった訳ではないので、布衣の名の通り、本来は絹地ですらなかったものが、殿上人の平常服にまでなれば当然、絹織物や文様入りが作られ出して、室町頃には、本来女性の唐衣くらいにしか使われなかった二倍織物(二色で文様を織り出すもの)まで使われるようになりました。


◆水干
 水干は、狩衣をより動きやすくしたもので、襟を折り込んでV字に着たり(垂領/たりくび)するために、襟先に長い紐が付き、布の合わせ目の補強として菊綴が付き、裾は袴に入れて着たので短く仕立ててあります。裾を出して着ることもありましたが、狩衣より短くなります。
 これも当初は庶民の簡素な服装から下級官人の着るものになり、平安末期ごろから、下級官人である武士の台頭により装束の地位も向上し、だんだん華美になりました。もっとも華やかだったのは童子用の水干です。袖の紐を二重にしたり身頃を半分ずつ色違いにしたり、グラデーションに染めたり刺繍したり筆で絵を描いたりしました。


◆直垂
 直垂も、庶民服から武士の装いとして採用されたために地位を獲得した装束です。腋は縫われていません。それ以前の表衣と決定的に違うのは、襟を折り込むまでもなく垂領に着る「方領/ほうりょう」であることです。いまの所謂『着物』と同じ。まさにこれこそ上古以来の(公家の)装束との決別でした。
(※内衣(小袖)や女性の表衣については、もっと早い段階で方領になっていました。)

◆togetterでのまとめ
【装束小ネタ うえのきぬ ざっくり。】http://togetter.com/li/539180



【追加補足】
『倭名類聚鈔』(源順・撰 承平年中-931~938成立)衣服類の項目。

  • 縫掖
  • 缺掖
  • 半臂
  • 汗衫
  • 襴衫
  • 襖子
  • 裲襠
  • 背子[附領巾]
  • 裙裳[附裙帯]
  • 單衣
  • 袷衣
  • 大口袴
  • 奴袴
  • 布衣袴
  • 襁褓
の、計二十二項。
一見見慣れない装束名のようですが、
『縫掖』は文官の縫腋袍(ホウエキ/もとほしのはう)、
『缺掖』は武官の闕腋袍(ケッテキ/わきあけのはう)
で、「束帯」は平安中期に確立した袍着用のスタイルの名であって、衣自体はこう呼びます。
『襴衫』は和名が「奈保之能古呂毛(なほしのころも)」つまり直衣。
『襖子』は「阿乎之(あをし)」で、狩襖=狩衣やその原型と思われます。
また『布衣袴』の項に、「狩[※けものへん+葛]衣、加利岐沼、謂衣則袴可知之」とあり、『布衣(ほい・ほうい)』=『狩衣』の語もあったことが解ります。
水干の名はまだここには見えません。



【狩衣のこと】

◆狩衣着用の古い事例すこし。
【雁衣鈔】より、天慶六(943)年、蹴鞠での着用例
『吏部王記云。天慶六年二月廿九日。溫明殿前ニテ有[二]蹴鞠事[一]。當世得[二]其名輩[一]數十余人。布衣。烏帽子ヲ著セリ。[イロ庭上之事故如此歟]』
(群書類従所収)
 最後の注は、殿上ではなく庭でのことなのでこのような軽装も許されたのだろう、という意味でしょうか。
【日本紀略[淳和]】より天長六(829)年の紫野行幸での着用例
『天長六年十月丙辰、幸[二]泥濘地[一]、獵[二]水羅鳥[一]、御[二]紫野院[一]、山城國獻物、日暮雅樂寮奏[二]音聲[一]、侍臣并狩衣、[○下略]』
(古事類苑所収)
『侍臣并狩衣』の『狩衣』は、狩衣を着た鷹匠などを示すか。
【西宮記[臨時四]】より、延喜年間(901~923)野行幸での着用事例
『野行幸
天皇白橡[延喜御宇、天皇[二]右近馬●[一]、改[二]服直衣[一]、]公[一に王]卿如[レ]例、衛府着[二]弓箭[一]、鷹飼王卿、大鷹飼、地摺狩衣・綺袴・玉帶・鷂飼、青白橡袍・綺袴・玉帶。巻纓有[二]下襲[一]、着[レ]劔者有[二]尻鞘[一]、王卿鷹飼入[レ]野之後、着[二]行縢(騰サ下同)餌袋[一]、或王卿已下鷹飼、着[二]供奉装束[一][二]従乗輿[一]、云々、四位已下鷹飼、着[二]帽子[一]、臂[レ]鷹令[レ][レ]犬、列[一に引][二]立安福・春興殿前[一]、又王卿已諸衛及鷹飼等、装束随[二]遠近[一]相替、鷹飼入[レ]野之後取[二]大緒[一]、大鷹飼者結[二]懸腰底[一]、小鷹飼又同[レ]之、荒涼説就[二]記文[一][レ]註、
(中略)
延長[一に喜]年、大原野行幸時、衛府公卿以下、皆著[二]腹纏[一]、諸衛督將佐以下、著[二]狩衣、胡籙、腹纏、小手、行[一]、』
 (史籍集覧所収)
 腹纏=はらまき。前掛けのようなもの。胡籙=やなぐい。行縢=脛に巻くはばき。
(※鷹飼の狩装束参考 風俗博物館→http://www.iz2.or.jp/gyoko/ukai.html

 野行幸の頃の記述は、狩衣の本来の用途である狩猟用装束としての様子が偲ばれますね。


◆『布衣始』について
 天皇は在位中は冠のみ着用で、烏帽子を着けることはなく、つまり烏帽子とセットになる狩衣を着ることはありません。直衣着用の際は冠直衣(引直衣・上直衣どちらでも)です。
 退位して上皇となった後には、身軽な装いも可能になります。
 上皇の烏帽子・夜装束着用の初見は、『御堂関白記』の三条上皇の例だそうです。
 上皇が狩衣を着始めることを『布衣始』といいます。ただしこの言葉は平安時代にはまだ見られず、鎌倉時代、土御門上皇のときに初見されるとのことです。この後は布衣始の儀として儀礼化されました。
(※ちなみに似たような言葉で『直衣始』がありますが、こちらは三位以上の公卿が、勅許を得て直衣で参内し始めること、またその際に行う儀式のことです)
 以上、布衣始めについては、こちらを参照させて頂きました。
→『布衣始について』近藤好和(日文研リポジトリ)記事詳細 
[PDF] http://202.231.40.34/jpub/pdf/js/IN4201.pdf



【萎装束と強装束】

 
摂関期頃の文官束帯(萎装束)と、院政期に流行した強装束の文官束帯(絵巻等の図像からの想像図)
 摂関時代はまだ唐風(胡服)の名残をとどめて細身で、柔らかく身に沿う。院政期(鳥羽天皇の頃から)は糊を張りまくって、肩や袖を直角的に見せるのが流行りました。
バキバキ!!
 これを強(こわ)装束といい、旧来の柔らかいものを萎装束・打梨などと呼ぶようになりました。
 今回は強装束がどんだけ強いかという小ネタです。
 ただ、摂関期の方はほんとうに資料が少なくて、大いに想像入ってますので御注意ください。
 でももう少し萎え装束の研究が進んで、図版が教科書に載ってくれたりしたらいいなあ…。国語便覧の源氏物語なんかの横に。


◆冠
 摂関期の巾子は幞頭の名残でまだ太く大きく、高巾子というと『神さびた』ものだったそうです。幞頭参考→唐代の幞頭とそのバリエーション(過去記事)

 摂関期頃の纓(頭の後ろから垂れる)の先は円く、巾子の根本から垂れていましたが、院政期の纓の先は四角く、纓自体も糊が張られて硬く反りかえるようになり、巾子の元に差し込んで立てる穴が作られました。江戸時代には更に反る位置が高くなり、帝の料はついに垂直に立つ立纓(りゅうえい)になりました。(※明治天皇御影などをご参照あれ)
 ここでは文官しか描いていませんが、武官の纓はもともとくるっと巻く(巻纓)で、反り返り具合で時代がわかったりはしませんが、巻く位置は高くなっています。


◆袍
 まず、院政期の領(えり)は高いです。当時は現行のものより首周りが狭かったようなので、まさに、ハイカラです。ただ、高すぎて首が回らないので、首後ろは高く、喉元は低くと傾斜を付けていたようです。現行束帯でも少しカーブしています。領にはもともと、畳んだ和紙を入れていました(この部分を、頸上《くびかみ》を首紙とも書く由縁か)。かなり下った江戸後期になってしまいますが、『武家名目抄』には頸上に木を入れていたともあります。

 大きく見せる為に重ね着も多くして、更に糊を張った「打衣」で内側からも形を整えました。懐が膨らんだので、石帯はまともに締められなくなり、セパレート式になってしまいました。他にも裾や下襲が二部制になる等の改変がなされました。
 摂関期に比べて院政期は身頃の幅が広くなり、袖も広くなり、糊付けしてシャキーーン!!と菱形になっています。
 文官の料である縫腋袍は動きやすくするために裾に襴を入れましたが、院政期には襞を延ばしてしまい「蟻先」という謎の四角部分がくっつくことになります。
 下襲の裾(きょ)も時代毎に長くなっていました。この下襲の裾などに「おめり」が施されるようになったのも院政期です。裏地を少し大きく裁って折り返し、表の縁取りとしました。これは女性装束にも行われたもので、かさねの色目を引き立てるものでした。
 なお強装束では着付けが大仕事になり、着付け専門家「有職師」が生まれることにもなりました。
 どんだけ…。


◆男性の置眉
 貴族男性の涅歯点眉の始めについては「海人藻芥」に
『凡彼御代(※鳥羽院)以前ハ男眉ノ毛ヲ抜キ鬢ヲハサミ金(※鉄漿)ヲ付ル事一切無之』
 などとあります。
 これも、強装束の流行と同時期、同じ流れとみて良いでしょう。
 元服前後の若年は位置高く、太い八の字。上臈は上先端が丸く太く、下に細くしてぼかす。下臈は下端を跳ね上げる(ちょうど髭マークのような)。歳が長じると位置を低く、八の字から少しずつ水平にしていきます。最終的には横一文字に。
 平家の公達も置眉はしていたようです。
 公家=(丸い)まろ眉というのは、ほんとうはもっと後になってから。これにはおそらく、時代劇に出てくる江戸期の公家のイメージなんかが影響しているものと思われます。

 ほんと強装束って…一貫してるというか…なんでこうなっちゃったかねえ…。
 でも院政期の世も末っぷりをよく象徴していて、個人的にぜんぜん、ファッションとして、好きでは、ないのですが、やっぱりこの時代としてはこうだなあ、と思います。
 だから去年の大河の装束が、張ったりしないでむしろやわらかくしたがってたのは残念です。ストーンウォッシュよりまず糊付けだろうよ…。
 また、現行装束では、糊付けは激しくないものの、型としては院政期以降のもので、摂関期は今見られるものとはまったく別であった、ということは心に留めておく必要があると思います。
 …なにせ国宝源氏物語絵巻すら、強装束の時代に描かれてるから…モリモリなんだぜ…。
 
◆togetterでのまとめ
【装束小ネタ~院政期の流行、強装束と置眉)】http://togetter.com/li/503819



◆冠下の髻(もとどり)

 図像資料に出来るだけ忠実に書くと結構おもしろいことになってしまう。しかしほんとにこんなに細かったのかナー。
 貞丈雑記(江戸時代)の画を見ると髻が太くなっています。これは、ちょんまげの影響かなあ。
 もっとも、冠を導入した当初は、むしろ貞丈雑記の方に近いか、これも唐風に倣っておだんごに近いものだったんじゃないでしょうか。
 髻は百会(脳天)で結うので、髪が真上に引っ張られます。
 冠も烏帽子も内部で髻に固定される仕組み。
 髻が高いって事は冠の巾子もある程度高かったってことなんじゃないかな。
 なので、とくに冠を描く場合は、一度髻を立てて、髻を内蔵してる巾子の位置を確認してみるといいと思います。
強装束も男性の置眉もこの冠下髷も、「史実通りにやるとギャグ」っていういい例なので、ドラマとかではさすがに、ここまでやってくれとは言えないし、私だって絵的にどうかって聞かれると笑います。
TSHならやってくれるかもしれないし見てみたいなあ。



◆江戸時代のお子さんの髪型一例。


一部を残して剃る。残し方によって名前もある。
額に残す「前髪」
頭頂部だけ「芥子(けし)・けしぼん」
頭頂部の左右2箇所「唐子・ちゃんちゃん」
耳の上だけ「奴(やっこ)」後頭部だけ「盆の窪」等
これらを何種か組み合わせる。
生後七日目に胎髪を除き、幼児期は短くしておくことは古代から続いていたが、剃刀の普及によって、鋏で短く剪る→剃刀で剃るようになった。
子供は熱を発しているものと考えられており、その熱を発散させるためという理由で剃っていたらしい。


【参考資料】
▲「素晴らしい装束の世界-いまに生きる千年のファッション-」(八条忠基/誠文堂新光社)1995
▲「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳社出版)1998増補改訂
▲「有職故実図典-服装と故実-」(鈴木敬三/吉川弘文館)1995
▲「有職故実大事典」(鈴木敬三監修/吉川弘文館)
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲「時代衣裳の縫い方-復元品を中心とした日本伝統衣服の構成技法」(栗原弘・河村まち子/源流社)1984
▲「王朝の風俗と文学」(中村義雄/塙選書22 塙書房)1962
▲「倭名類聚鈔 元和三年古活字版二十巻本」(中田祝夫解説/勉成社)1978
▲「新校羣書類従 第五巻 公事部(二)・装束部(一)」(内外書籍株式會社)1932
▲「史籍集覧 編外 西宮記」(近藤瓶城編/近藤出版部)1932
▲「古事類苑 服飾部」(神宮司庁古事類苑出版事務所 編 /神宮司庁)1914  
 →国立国会図書館デジタルアーカイブス


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管理人紹介
HN:逆名[サカナ]
HP漁屋無縁堂

無駄と斑の腐渣。
らくがきと調べ物が趣味の
風俗文化史好き歴史オタク。
人物志より文化史寄り。
イチ推しはみづら
(美豆良/鬟/鬢頬/総角)。

中古日本史、東洋史、仏教史(仏教東漸期の東アジア、平安密教、仏教芸能、美術、門跡寺院制度等)、有職故実、官職制度、風俗諸相、男色史。古典文学、絵巻物、拾遺・説話物。

好きな渡来僧:婆羅門僧正菩提僊那、林邑僧仏哲
好きな法皇:宇多法皇
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好きな平氏:重盛、経盛、敦盛
好きな法衣:裘代五条袈裟
好きな御衣:御引直衣
好きな:挿頭花と老懸を付けた巻纓冠
好きな結髪:貴種童子の下げみずら
好きな童装束:半尻、童水干
好きな幼名:真魚(空海さん)
好きな舞楽:陵王、迦陵頻、胡蝶
好きな琵琶:青山、玄象
好きな:青葉、葉二
好きな仏像:普賢・文殊(童形)はじめ菩薩以下明王、天部、飛天(瓔珞天衣持物好き)

やまとことばも漢語も好き。
活字・漫画・ゲーム等、偏食気味雑食。

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