先日、平安末の僧官の法衣・袈裟構成表を載せましたが、やっぱり表だけではピンときませんし
どうせなら、袈裟の変遷をたどってみたいと思います。
袈裟といえば当初は一枚で体を覆うものでしたが、
所を移り、時を経るに従って、その土地、その時代の服装に合わせて変わっていきました。
ここではインド→中国→日本という移り変わりを、大まかに見ていきます。
なお、筆者の贔屓が「平安密教」であることを先に申し上げておきます。
袈裟にはたくさんの尊い意味が込められています。 が
そういった大事なことをお話しするというのは、
単なる袈裟モエーな筆者にはなかなか腰の引けることですので、
ごっそり省かせて頂いています。どうぞ御寛恕下さいませ。
なお、前中後編通じて、絵の多くは「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳舎出版)の図版を参考にしています。
この本の著者であられる井筒雅風先生は、日本の装束研究、そして法衣研究の泰斗でいらっしゃいます。
装束の参考書として日頃から大変お世話になっているだけでなく、
筆者が法衣に転んだのはこの本との出会いが切っ掛けであり、
そうでなければ、このような記事を書くこともなかったでしょう。
ゆえに、多少大袈裟の感ありと覚えつつも、
この場を借りまして、井筒雅風先生と「原色日本服飾史」へ、
衷心よりの感謝を申し述べるものであります。
それでは、まず原始仏教の袈裟から。
一枚の大きな袈裟で、体の上下を覆っていました。
『糞掃衣』などの名に見る如く、もうお掃除にしか使い道のない様な襤褸布がもっとも尊いとされました。
しかし、質はともかく、これでは量が要ったろうなあと思うのは私だけでしょうか。
衣を縫うのも修行のうちだからいいってことでしょうか。
畳んでひだを付けながら腰へ巻いていき、石帯で結び、帯の上に余った布を折り返します。
その後、右腋から左肩へ一度巻き付け、
二回目をもう一度同じように巻いて右肩を露出させるのが「偏袒右肩(へんだんうけん)」。
二回目は右肩から右肩へ、胸元を覆うように掛けるのが「通肩」です。
仏さまの中でも、もっとも位の高い如来は、世俗を遠く離れて、装束ももっとも質素ですから、
こういった原理に近い袈裟の巻き方をしておいでです。
その2。
教えが広まり、インドからアジア各地へ伝わるに従って、
さすがに布一枚では不便が出てきたのか、袈裟の下に着ける衣が加えられます。
「僧祇支(ソウギシ)」は、もとは比丘尼が胸を覆うものだったようです。覆膊、掩腋衣とも呼びます。
「覆肩衣」には、仏弟子の阿難陀が美しすぎたので、皆の目の毒だから玉のお肌を隠しなさいと仏陀がおっしゃった(阿難端正なり、人見て皆悦ぶ、仏覆肩衣を著せしむ、此れ右の肩を覆うなり。)、というような小咄がくっついています。
のちの横被(オウヒ、横皮、横披、横尾とも)のもとになったとも云われます。
この二つを加えると、いまのチベットや東南アジアのお坊さんがぱっと思い浮かぶようになりますね。
ただ中国唐代のぼんさんは肩出しには抵抗があったらしく、
僧祇支と覆肩衣をくっつけて、両肩を覆う「褊衫(ヘンサン、ヘンザンとも、偏衫)」をつくりました。
襟(衽)と袖がありますが、左前に着ます。
更に、袈裟の、腰に巻いていた部分が切り離され、巻きスカートのような袴のような「裙子(クンズ、裙)」がつくられます。
その3。
裙が分離してしまうと、袈裟自体のあり方も変わってきます。
巻きが足らなくなり、袈裟だけではほどけてしまうので、紐を付けて左肩から吊すような形になりました。
紐だけで結び留めたり、鐶(かん)という円い留め具を使ったり、
また、袈裟をたくしあげて結び目を覆い隠すような着方もあります。
そうして、褊衫と裙子が直に綴じ合わされた「直綴(ジキトツ)」も考え出されました。
衽が右前になり、腰紐で前を留めます。腰から下には襞が寄っています。
直綴は禅宗と共に日本へ輸入されることになるので、ここでは飛ばします。
次は袈裟が天平の日本へやって来ます。(中編)へつづく。
◆[袈裟・法衣の目次]はこちら。
※参考資料については、(後編)の最後にまとめました。
なお、カテゴリに「装束関連」を新設しました。いつか装束記事がたまったら、と思っていたので嬉しいです。
こちらのレンタルブログだと、一つの記事に複数カテゴリ設定が出来ないのがちょっと不便です…。
どうせなら、袈裟の変遷をたどってみたいと思います。
袈裟といえば当初は一枚で体を覆うものでしたが、
所を移り、時を経るに従って、その土地、その時代の服装に合わせて変わっていきました。
ここではインド→中国→日本という移り変わりを、大まかに見ていきます。
なお、筆者の贔屓が「平安密教」であることを先に申し上げておきます。
袈裟にはたくさんの尊い意味が込められています。 が
そういった大事なことをお話しするというのは、
単なる袈裟モエーな筆者にはなかなか腰の引けることですので、
ごっそり省かせて頂いています。どうぞ御寛恕下さいませ。
なお、前中後編通じて、絵の多くは「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳舎出版)の図版を参考にしています。
この本の著者であられる井筒雅風先生は、日本の装束研究、そして法衣研究の泰斗でいらっしゃいます。
装束の参考書として日頃から大変お世話になっているだけでなく、
筆者が法衣に転んだのはこの本との出会いが切っ掛けであり、
そうでなければ、このような記事を書くこともなかったでしょう。
ゆえに、多少大袈裟の感ありと覚えつつも、
この場を借りまして、井筒雅風先生と「原色日本服飾史」へ、
衷心よりの感謝を申し述べるものであります。
それでは、まず原始仏教の袈裟から。
一枚の大きな袈裟で、体の上下を覆っていました。
『糞掃衣』などの名に見る如く、もうお掃除にしか使い道のない様な襤褸布がもっとも尊いとされました。
しかし、質はともかく、これでは量が要ったろうなあと思うのは私だけでしょうか。
衣を縫うのも修行のうちだからいいってことでしょうか。
畳んでひだを付けながら腰へ巻いていき、石帯で結び、帯の上に余った布を折り返します。
その後、右腋から左肩へ一度巻き付け、
二回目をもう一度同じように巻いて右肩を露出させるのが「偏袒右肩(へんだんうけん)」。
二回目は右肩から右肩へ、胸元を覆うように掛けるのが「通肩」です。
仏さまの中でも、もっとも位の高い如来は、世俗を遠く離れて、装束ももっとも質素ですから、
こういった原理に近い袈裟の巻き方をしておいでです。
その2。
教えが広まり、インドからアジア各地へ伝わるに従って、
さすがに布一枚では不便が出てきたのか、袈裟の下に着ける衣が加えられます。
「僧祇支(ソウギシ)」は、もとは比丘尼が胸を覆うものだったようです。覆膊、掩腋衣とも呼びます。
「覆肩衣」には、仏弟子の阿難陀が美しすぎたので、皆の目の毒だから玉のお肌を隠しなさいと仏陀がおっしゃった(阿難端正なり、人見て皆悦ぶ、仏覆肩衣を著せしむ、此れ右の肩を覆うなり。)、というような小咄がくっついています。
のちの横被(オウヒ、横皮、横披、横尾とも)のもとになったとも云われます。
この二つを加えると、いまのチベットや東南アジアのお坊さんがぱっと思い浮かぶようになりますね。
ただ中国唐代のぼんさんは肩出しには抵抗があったらしく、
僧祇支と覆肩衣をくっつけて、両肩を覆う「褊衫(ヘンサン、ヘンザンとも、偏衫)」をつくりました。
襟(衽)と袖がありますが、左前に着ます。
更に、袈裟の、腰に巻いていた部分が切り離され、巻きスカートのような袴のような「裙子(クンズ、裙)」がつくられます。
その3。
裙が分離してしまうと、袈裟自体のあり方も変わってきます。
巻きが足らなくなり、袈裟だけではほどけてしまうので、紐を付けて左肩から吊すような形になりました。
紐だけで結び留めたり、鐶(かん)という円い留め具を使ったり、
また、袈裟をたくしあげて結び目を覆い隠すような着方もあります。
そうして、褊衫と裙子が直に綴じ合わされた「直綴(ジキトツ)」も考え出されました。
衽が右前になり、腰紐で前を留めます。腰から下には襞が寄っています。
直綴は禅宗と共に日本へ輸入されることになるので、ここでは飛ばします。
次は袈裟が天平の日本へやって来ます。(中編)へつづく。
◆[袈裟・法衣の目次]はこちら。
※参考資料については、(後編)の最後にまとめました。
なお、カテゴリに「装束関連」を新設しました。いつか装束記事がたまったら、と思っていたので嬉しいです。
こちらのレンタルブログだと、一つの記事に複数カテゴリ設定が出来ないのがちょっと不便です…。
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COMMENT
はじめまして
2012/07/16(Mon)13:45
創作人形の衣装から、こちらにおじゃましました。
専門的な勉強まではなかなかできないので、こういう解説があるととてもありがたいです。 ところで、古い袈裟の巻き方?って古いスコットランド人のキルトの巻き方(プレイドといいますが)に似ていますね。あちらはきっちりプリーツを取って帯で止めますが、残りの布を肩にかける(防寒具や雨具にもなる)ところが。そして下には何もつけませんでした(上半身だけでなく下半身の方の下着もなし) 時代はずいぶん後ですが、『原始』の共通点でしょうか |
ブレイドと袈裟
2012/07/16(Mon)22:58
華都美さま>
コメントありがとうございます! 私もきちんと仏教を勉強したわけでもないのですが、 自分で調べていて、イラスト付きの解説が少なく、それなら自分でやってみようかなと思った次第です。 確かに、ブレイドと袈裟って似てますね! 一枚の大きな布で体を覆おうとするとき、腰回りに襞を付けないと足の運びには不便でしょうし、利き腕を自由にするために片肩だけに布を懸けるとかは、共通して来るのかもしれませんね。 ハイランダーものの小説を読んでいて、ブレイドの下に何も着ないと知ったときには「えっ」という感じでした。原始的っていうのも、まさにその時思いました…。 |