幞頭というと、日本の官人の冠のもとになったものですが
ちょっと構造というか、よくわからない気がしたので
唐代まで飛んで予習してきました~。
◆名称
…というような感じですかねー。
基本的な構造はこのようなもので、そんなに複雑ではありません(もとは庶民が手軽に頭を包む方法だったんだしね)
日本では一方では冠へ進化していきますが、もうひとつの流れが…
「烏紗帽」でピンと来ますよね!
そう、烏帽子です。まず萎烏帽子に変化しました~。
初唐の頃のものは、萎烏帽子によく似ていますよね。
それから立烏帽子になり、折烏帽子になり…。ふっふっふ。
よ~し、これで奈良の官人も怖くない(?)
ソースはこちら。(※中文サイト)
【幞头_百度百科 - http://baike.baidu.com/view/71457.htm】
【幞头- 汉服百科 汉服,汉服体系,汉族服饰 - http://www.hfqun.com/wiki/index.php?doc-view-110】
【隋唐五代冠帽 - 服饰百科 - http://fushi.baike.com/article-49155.html】
ちょっと構造というか、よくわからない気がしたので
唐代まで飛んで予習してきました~。
◆名称
幞[巾+菐]頭 (襆[ころもへん+菐]頭)ボクトウ
異称、『折上巾』『軟裹』、唐代には青黒色の羅紗を用いるようになったことから『烏紗帽』ともいう。(烏=黒。カラス色。)
秦漢時代から高貴な男性は冠帽の類を用いたが、身分の卑しい者は単なる布で頭を覆うのみであり、各地方で呼び名も違った。北周の武帝が初めて『帕頭』を服制に取り入れて被り方を定め、常服に合わせるものとした(『北周書/武帝紀』)。『幞頭』は唐代からの名称。
◆基本の被り方
(1)髻(キツ、もとどり)の上に巾子(キンシ、こじ)を置く。
(2)四角い布(羅紗)をかぶる。
(3)前方の角(脚)左右を後頭部へ回して結ぶ。
(4) (3)を挟むように後方の二角を上げ、巾子の根本あたりで結ぶ。
(3)の端は後頭部へ垂らしておく。
(5)完成。
はじめはこのように、四角い布で巾子を包んで結んだものだったが、
頭を包む部分に桐などで支柱をつける型も出てきた。
頭を包む部分に桐などで支柱をつける型も出てきた。
のちには、枠組みを作った上に紗を貼り、漆で塗り固めてるようになる。
これには、前頭部が丸い形のもの(円頂)と、四角くなった形のもの(方頂)がある。
宋代に入りこの種のものは「幞頭帽子」と呼ばれた。
これには、前頭部が丸い形のもの(円頂)と、四角くなった形のもの(方頂)がある。
宋代に入りこの種のものは「幞頭帽子」と呼ばれた。
◆脚の形
また、脚を別布にして、垂れる姿を見栄えよく整えるようにもなった(垂脚、軟脚)。
脚は次第に長いものが見られるようになり(展脚、長脚)、武官などは長い脚を根本で輪がねた(結脚)。
本体に別布をつけるもの、孔を開けて通すものもあった。
脚の形も、細く、先が剣のように尖ったもの、太めで末広がり丸になったものなどさまざま。
また、胴の針金を入れて形を整えることが行われ(直脚、硬脚)、唐代の皇帝は脚が上向きに曲がった幞頭を、臣民は下に垂れたものを用いた。
宋代になると、もはや竿かといいたくなるほど長いものになる場合も。
脚は次第に長いものが見られるようになり(展脚、長脚)、武官などは長い脚を根本で輪がねた(結脚)。
本体に別布をつけるもの、孔を開けて通すものもあった。
脚の形も、細く、先が剣のように尖ったもの、太めで末広がり丸になったものなどさまざま。
また、胴の針金を入れて形を整えることが行われ(直脚、硬脚)、唐代の皇帝は脚が上向きに曲がった幞頭を、臣民は下に垂れたものを用いた。
宋代になると、もはや竿かといいたくなるほど長いものになる場合も。
◆巾子の形
初唐の頃は、巾子の形は小さく平らな山形で、ただ髻を覆う用を果たすためだけのものだった。
旧唐書輿服志には、唐の高祖武德年間に『平頭小様巾』が流行したとある。
一般にも広く用いられ、諸官も日常着に用いた。この様式を基礎として、様々なスタイルが生まれた。
旧唐書輿服志には、唐の高祖武德年間に『平頭小様巾』が流行したとある。
一般にも広く用いられ、諸官も日常着に用いた。この様式を基礎として、様々なスタイルが生まれた。
武則天の頃の朝廷では巾子の頭を高くすることが流行し、『武家諸王様』と呼ばれた。
唐の中宗が百官に賜った、高くした巾子を前傾(踣)させる様式を『英王踣様』。
玄宗が開元十九年に供奉官及び諸司長官へ賜った『官様』、また『開元内様』は、巾子の先が細く、先が割れている。
晩唐に至ると、巾子の先は真っ直ぐ尖り、巾子を包む部分も角張ったものになった。
…というような感じですかねー。
基本的な構造はこのようなもので、そんなに複雑ではありません(もとは庶民が手軽に頭を包む方法だったんだしね)
日本では一方では冠へ進化していきますが、もうひとつの流れが…
「烏紗帽」でピンと来ますよね!
そう、烏帽子です。まず萎烏帽子に変化しました~。
初唐の頃のものは、萎烏帽子によく似ていますよね。
それから立烏帽子になり、折烏帽子になり…。ふっふっふ。
よ~し、これで奈良の官人も怖くない(?)
ソースはこちら。(※中文サイト)
【幞头_百度百科 - http://baike.baidu.com/view/71457.htm】
【幞头- 汉服百科 汉服,汉服体系,汉族服饰 - http://www.hfqun.com/wiki/index.php?doc-view-110】
【隋唐五代冠帽 - 服饰百科 - http://fushi.baike.com/article-49155.html】
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COMMENT
無題
2013/02/10(Sun)12:04
はじめまして。
綺麗なイラストでの分かりやすい装束の解説、いつも楽しみにしております。 当方は古代~院政期オタクなのですが、韓国ドラマも見ておりまして、 今回の記事で朝鮮王朝の王の冠の構造がわかって目から鱗でした。 これからもお邪魔させていただきます。 |
ありがとうございます~
2013/02/10 21:57
はじめまして!コメントありがとうございます。
翼善冠は、私も韓国歴史ドラマ見るたびに、 どうなってんだろうなーと思ってましたが 立てて貼っていたとは予想外でした(^o^) あまり更新速度早くなくて申し訳ありません~; ぼちぼちやっていきますので…。 |
無題
2013/02/14(Thu)04:39
こんにちは逆名さん。はじめまして。
前のコメントの方は朝鮮王朝と関連して書いていらっしゃいましたが、私の場合は日本の古代と中東イランインドのことなどを調べていてこちらを見つけることができました。 本当に美しいイラストが沢山拝見できてとても素敵で感激です!! 西アジアからインドまでは古代から現在に至るまで、今では日本でターバンと呼ばれている様々なタイプの男性の髪を覆う布状のものがありますが、頭に被り物をしてから布を巻きつけるところまでやはり同じなんですね。 だからか胡服タイプの衣服によく似合っているようにも感じます。 興味深いです。 これからも楽しみに拝見させていただきます。 |
ターバンの秘密!?
2013/02/14(Thu)07:13
はじめまして数珠さん。ようこそお越し下さいました~。
おおっ、あのターバンの整った形にはやっぱり秘密があったんですね。今年、巳年にこじつけて年賀状にインドの蛇遣いを描くのでシク教の男性の画像をいろいろ検索していて、このフォルムはよほどたくさん布を巻いているか中に何か入れてるのかな、と不思議に思っていました~。 きちんと確かめられなかったので今回は端折りましたが、こちら→ http://www.ixuela.com/lishi/zhishi/18255.html に載っていた図表に、幞頭の変遷として、晋の幅巾→鮮卑帽→隋の幞頭→唐…、という流れが書いてありました。 詳細は解りませんが、鮮卑族の要素が幞頭に入っていたのだとしたら、それが日本に渡り、冠や烏帽子に…って考えると余計にわくわくします。 被り物一つ取っても歴史があるんですね…しみじみ。 興味深いお話ありがとうございました!是非又お越し下さいませ~。 |