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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる、逆名(サカナ)のぼやき。
 
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昔から、気になっていたことがありまして。

「貴族」

っていう言葉、古典テキストではあまり見覚えがない。

実は古語辞典を引いても出ていない。
(手元のは三省堂全訳読解古語辞典)

いつから使われていた言葉なんだろう?

ということで辞書などで調べてみました。

kizouitsu.jpg


◆「現代語から古語を引く辞典」(三省堂/2007)
で「貴人」を見ると、
貴人(きじん・きにん・あてびと・うまひと)
上(かみ)
上方(かみざま)
上つ方(うへつがた)
上人(うへひと・うへびと)
雲客(うんかく)
雲上人(うんじゃうびと・くものうへびと)
殿上人(てんじゃうびと)
上臈(じゃうらう)
上達部(かんだちめ・かんだちべ)
公達・君達(きんだち)
公卿(まうちぎみ・まえつきみ・くぎゃう)
公家(くげ)
卿(けい)
上卿(しゃうけい)
卿相(けいしゃう)
堂上(だうじゃう)

…などが載っているけれど「貴族」はない。

後は清華、貴戚、貴顕、貴種、とかが思い浮かぶし、
さらに、帝を指し、朝廷を指し、また朝臣を指すような言葉も含めるともうすこし出てくると思う。

◆広辞苑(第五版)には
【貴族】
(1)家柄や身分の貴い人、出生によって社会的特権を与えられた身分。
(2)(nobility)中世ヨーロッパの封建社会では、戦史身分として僧侶と共に領主層を構成し、土地と農民を支配した階級。
(3)比喩的に、特権を持ち高い地位にある人。

ううーん。日本の話は出てこないの?

◆新版日本史辞典(角川書店)1996初版 には
【貴族】
 本来的には一般人民から隔絶されて身分的・政治的・経済的・文化的特権及びそれに付随する栄誉や標識を与えられている世襲的の支配階級を指す語。
 日本古代においては三位以上の官人を「貴」四位・五位以上の官人を「通貴」と称し、その一族をおおむね貴族と称した。
 政治・経済・刑法において特権を有したのは、国家や王権との関係によって得たものである。なお近代では“華族”がこれにあたる。

この「貴」「通貴」は大宝令に拠るもののようなのですが、大宝令は散逸しているため、原文がなかなか出てこない。

◆取りあえず「古事類苑」
『[律疏 名例]…五位以上者、是爲通貴』(官位部八十)
は確認できましたが、律令の中で『貴族』が規定されていたような感じではなさそう…。(※「古事類苑」には『貴族』の項はなし)

というわけで伝家の宝刀(市立図書館蔵ですが)、
◆國史大辭典(吉川弘文館)を引いてみますと。
【貴族】
 日本では明治十七年(1884)と同四〇年の二つの華族令によって、公・侯・伯・子男の爵位を有する者、及びその家族が華族とされ、華族の一部分が大日本帝国憲法と貴族院法令によって貴族院議員となる権利を持ったところから、これらの支配階級を貴族と呼んだ。
 同時にこの貴族という呼称を、他の諸国民の歴史にも適用し、血統、その他しばしば必ずしも明確でない理由から他の国民大衆より隔絶され、身分的・政治的特権並びにそれに相応しい栄誉や権威を与えられている世襲的支配階級を指して貴族(貴族階級と一般的に呼んだ。
 従って、日本語で「貴族」と称されている階級の実体は、歴史的に様々である。例えば日本史の上では古代国家の支配階級の情操の者を貴族と呼ぶことが多いが、古代ギリシャの場合、ホメーロスに反映する社会では、王と同様に神々から生まれたとされる者が貴族の地位を占め、土地や家畜の所有において他より優れた都市に住むものとされ、彼らは又騎兵であった。
 前六世紀初めのソロンの改革に至る以前には、アルコン職経験者を終身会員とする貴族の会議「アレイオスパゴス会議」が作られた。これらの支配階級は、みずからのことをペリストイ(最良者)エウゲネス(よき先祖をもつ者)クレーストイ(有徳者)などと呼び、一般的市民をポネーロイ(悪人)ペネーテス(貧民)デーモティコイ(大衆)と呼んで、自己の地位を正当化した。
 一方、古代ローマでは、共和制時代にプレブス(平民)と対立したパトリキウス(貴族)があった。パトリキウスの起源については、比較的早期にローマに移り住んできた有力貴族であるとする説が有力で、共和制期前半には身分的・政治的に特権的な地位を独占し、しばしばプレブスの抵抗を受けた。
 パトリキウスと並んで共和制中期からノビレスと呼ばれる支配階級が現れた。ノビレスはパトリキウスがプレブスの上層を抱き込み両者が手を組んで政権を掌握したもので、過去にコンスル(執政官)を出したことのある家柄から成ったから、結党的な官職貴族ということが出来る。
 ローマ帝政期になると、ノビレスは皇帝の高官としての勤務による貴族へと変質してゆき、パトリキウスの血統も一世紀末には殆ど絶えた。これらローマにおける貴族も大土地所有者であった。 [弓削達]

 ……後半のギリシャ・ローマの記述って必要だったのでしょうか…。まあそれはおいといて。

 この記述によると、『貴族』とは、
明治時代の『華族』が
『貴族院議員』となったため、
貴族との俗称が生まれ、
それが他の国の世襲的支配階級にも
適用された。


ということで、

 …明治からか…。



ああそんなことじゃないかと思ってた(若干被害妄想気味に)
もっとも「貴族院」の名がどこから来たのかは「貴族院」の項には書いていなかった。

恐らく明治期に一般化した名称を、史学のほうで使い出した、ということなんだろう。
(本当はその辺の経緯をもう少し知りたいけど…)


おまけ。
同じく国史大辞典から
【公家】
 朝廷の官人の総称。武士が政権を握って武家と呼ばれたのに対し、天皇を取り巻く朝廷の官人、特に上層の廷臣の総称となり、公卿とほぼ同じ意味に用いられた。公家は、律令官人社会の上層部に系譜を引き、平安時代以降漸次藤原摂関家を中心として形成され公家文化あるいは公家風と呼ばれる風俗習慣を生んだ。
 江戸時代廷臣の家格が固定してからは、昇殿を許された家柄、即ち堂上家の廷臣を指し、少数の源氏・平氏・菅原氏などの諸家を除き、殆ど藤原氏諸家によって占められ、明治十七年(1884)の華族令では、原則として子爵以上の爵位を授けられた。
 なお公家は「こうけ」あるいは「おほやけ」と読み、天皇の指称としても長く用いられた。本来君主の家、又は朝廷を意味したが、転じて天皇を指す語となり、特に上皇の存在が常態化してからは、「院」に対する称ともなった。内裏・うち・みかど・天朝なども、天皇に対する同類の用語である。 [橋本義彦]

ふむふむ、「公家・おほやけ」がなどが天皇を指すことは知っていたけど、「院」に対応する指称だったのかあ。

さすが国史大辞典。ありがとう。

なお他に見た日本史用語大辞典(柏書房)、日本歴史大辞典(河出書房新社)には「貴族」の項はなし。

◆ちなみに「大言海」には太平記から引いた「貴族」の使用例がひとつ載っていたので、太平記から。
「承久より以来、儲王摂家の間に、理世安民の器に相当り給へる貴族を一人、鎌倉へ申下奉て、征夷将軍と仰で、武臣皆拝趨の礼を事とす。」
(太平記/巻第一/後醍醐天皇御治世事 付 武家繁昌事)

さらにおまけ。

◆『華族』は(清華の別名として)「官職要解」に載ってましたので引用。
「清華 また華族(かしょく)ともいった。大臣大将を兼ねて、太政大臣に進む家柄をいう。『源平盛衰記』に「徳大寺左大将実定は(略)華族の家に伝わり給へり。」と見える。久我・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門などの家である。
 清華の文字は、『北史』李彪伝に「才、等を抜くを以て清華を望む」と見える。華族は『文選』巻四十六任彦昇の王文慧集序に「公、華宗より生る」とある李善の注に「魏志に、曹植、上疏して曰く、華宗貴族、必ずこの挙に応ず」とかいてあるのによったのである。」
「新訂 官職要解」(和田英松著・所功校訂/講談社学術文庫)
 
 ※なお「摂家」(摂政関白になる家柄)の方が「清華」より上。

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無題
2013/09/26(Thu)20:49
はじめまして。
装束のことなど、とても勉強になり、拝読させていただいております。

「貴族」について、私も気になり調べてみました。
漢語としては古くから使われている語のようです。

『大漢和辞典』を引きますと、
「貴族」の項に、
「身分のたふとい家柄。地位高く特権ある階級。華族」
とあり、「華族」という言葉など、確かに明治期を想定しているのだろうと思われるのですが、
用例としては、『晋書』列女伝などを掲載しておりました。

中国の用例を見ると、他にも『魏書』や『詩経』などにも見えるようです。

また、日本でも、『日本後紀』に用例がありました。
・巻八 延暦十八年(799)十二月 「若元出于貴族之別者。」
・巻十一逸文(『日本紀略』より)延暦二十二年(803)三月 「河清、是日本国貴族、朕所鍾愛」
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/kouki/kouki.html

平安前期の漢詩集『田氏家集』所収の詩にも、
「方隣貴族葭莩隕。」という一節があります。

あと、時代はかなり下りますが、『雨月物語』には、
「香央(かさだ)は此国の貴族(キゾク)にて、我は氏なき田夫(でんぶ)なり」
という一節があります。

どちらかと言うと、漢語的に使用されていたから、古語辞典などには見られなかったのではないでしょうか。


さて、話は変わり、大変恐れ入りますが、ご質問させてください。
平安時代の女性の髪形「髪上げ」について調べております。
画像として見たいのですが、
何かよい資料などございませんでしょうか。

『紫式部日記絵巻』の画像はあったのですが、
どういう仕組みになっているか、全体がわかりにくく、
もし参考になるような資料をご存じでしたら、お教えいただければ幸いです。
みどり 編集
コメントありがとうございます。
2013/09/27 08:34
>平安時代の女性の髪形「髪上げ」について調べております。
>画像として見たいのですが、
>何かよい資料などございませんでしょうか。
>
>『紫式部日記絵巻』の画像はあったのですが、
>どういう仕組みになっているか、全体がわかりにくく、
>もし参考になるような資料をご存じでしたら、お教えいただければ幸いです。

コメントありがとうございます!
この時は、『貴族』が日本史用語としていつ頃から使われるようになったかが気になったものですから、新しい事例ばかりを参照していました。古いものにも丁寧にあたっていただいて嬉しいです!

取り急ぎ、ご質問に返信させて頂きますね。
お訊ねの「髪上」は、『紫式部日記絵巻』からというと、五十日の祝の場などの、
前髪だけを結う形のものでよろしいでしょうか?

そちらでしたら、私自身は葵祭の斎王代のお写真の画像検索という手を使ったことがあります。
釵子や平板(蔽髪)がついてわかりにくくなっていますが、いろいろな角度のアップ写真をご覧になると、髻をつくっている様子が垣間見えるかと思います。そのものずばりというわけでなくてすみません。
髻の形としては、風俗博物館HPの服飾史資料ページ内「髪を結い上げた白拍子」のものを、小さく低くして位置を前に、という感じでしょうか。

別のものについてのお訊ねでしたら、恐れ入りますが再度御示唆くださいませ。
逆名
 
無題
2013/10/01(Tue)01:55
早速のご返答ありがとうございます。
葵祭の斎王代とは盲点でした!
平安時代の資料を…とばかり思っていたので、助かりました。
ありがとうございました!
今後とも、興味深い記事を楽しみにしております。
みどり 編集
無題
2013/10/09(Wed)15:40
はじめまして。
記事を読んで気になったので、東京大学史料編纂所のデータベースで検索してみました。

前コメントの方の例ほど古くはないのですが、鎌倉遺文から二つ検出されました。
"貴族高官之檀那若入寺、…" 承久二年二月十日 山城泉涌寺文書
"累代武略之貴族、…" 正慶二年三月二六日 金沢文庫文書

さらに下って永和二年、後円融朝の記録ですが、大日本史料所載の『宋學士文集』『五燈會元續略』『宋文憲公全集』に「貴族」の語がありました。
いずれも古先印元に関する記述らしく、"為其国貴族、…""藤為国中貴族、…"という文が出てきます。

ご参考までに…
詠人不知 編集
コメントありがとうございます。
2013/10/10 07:38
はじめまして!わざわざお調べ頂き、恐縮です。
『宋学士文集』『宋文憲公全集』『五燈会元続略』というと、それぞれ宋・明・清側の文書ですので、日本での用例とするには難があるかも知れません。『宋学士文集』の藤氏の記述は、以前、講義で日宋関係を当たったときに見かけた記憶がありまして、懐かしいです!
 偶然の一致かとは思いますが、承久・正暦の2件も合わせてみな仏教関係というのが面白いですね。ありがとうございました!
逆名
 
無題
2015/01/15(Thu)20:47
ものすごくいまさらですが、「貴族院」の名称は英国議会のひとつである「House of Lords」を和訳したものと思います。日本の立憲君主制自体が英国をモデルにしたもの(だったはず)なので。

貴族のうち爵位保持者(複数爵位もちの大貴族以外は基本的に当主のみ)が終身で議員をつとめるもので、爵位保持者の代替わりまたは女王(王)より新たに叙爵されることにより、新議員が誕生します。

ちなみに二院制のもうひとつは「House of Commonns」=「衆議院」です。
名称がどちらも完全なるパクリにみえるのはおそらくきっと気のせいです、多分。
詠人不知 編集

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風俗文化史好き歴史オタク。
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好きな童装束:半尻、童水干
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活字・漫画・ゲーム等、偏食気味雑食。

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