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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる毒ぼやきの数々。
 
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三国無双はプラットフォームがPS3に変わってからやってなかったのですが
ひさびさにやってみようかなあと思って この前新作出たっていうタイミングで7やってみました。
ので、6までのキャラとかシステムとか解ってませんが。

目当てが 晋ルートだったんです…
もともと無双の司馬懿が好きでして
要するに諸葛亮さんに負けるために出てくる悪役っていうとこから始まってるから
高飛車なのに高笑いキャラなのに、へたれ。
かわいいじゃないですか…。

そんな司馬懿が!ファミリー展開してるという…。
息子二人に嫁まで出ているという…。
あのめんどくさい司馬懿のファミリーヒストリー すごい気になる…
……っていうんでw


shibai_01.jpg
いやー 楽しかったです司馬家。
諸葛亮さん亡くなったら隠居しちゃう(嫁に説き伏せられたらしいが)とかいじましいし…
でも隠居後もそんなに割り切れてる風でもないのがやっぱなーっていう感じだし
春華さんのゴージャスなヒップにしかれてるのか それはそれで羨ましいような…

しかしこの冠帽描きにくい。そこがまた!!

shiba_yome_01.jpg
いやー春華さんいいわぁ…。
髪型好きだわー(そこか)(だって大事だもん)
晋のキャラは洋風というかゴス入ってるんですかね。
もうあんまり三国志とか関係ないビジュアルになってる気がするねW

shiba_bros_01.jpg

司馬師(長男)は父を褒めるときの「心にもない事言ってます」感とか
ただのクールビューティーかと思うと時々発言が過激だったり笑い方が父親譲りの高笑いだったり
なんか微妙にびっくり箱というか ほのかに残念美形な感じがいいですね~。
司馬昭(次男)は単品ではただのガタイのいい若干チャラいいけめんのお兄さんなので
普通だったら私はひっかからないんだけど
あの父あの母この兄っていう環境で育ったらこういう風にいい加減にならないとやってけないのかなあ
と思うとなんか、きみも苦労してんだねってへたれボンボンっぷりにほだされたというか
親しい人達に小言云われて楽しそうにへらへらしてて
兄上の天下支えますよ~~っていう考えしかないとこもいいかな。
兄より父より無駄にデカいし首太いし、あんま似てない(母似らしい)とことかね。
狡猾邪悪な親友としっかりした嫁候補がいるのもポイントですね。
やっぱりキャラ単品でどうこうっていうより関係性があったほうが楽しいよね。

shin_syosyou01.jpg

晋将のみなさん。
いつも死にそうな郭淮の死ぬ死ぬネタが好きですw
司馬昭の邪悪な親友が賈充です。
鐘会はクーデター起こして隠居の司馬懿夫婦にしばかれる小物役ですが
こういう小物も嫌いではないです。そしてくるくるはねはねな髪型が気になります。
文鴦って兜とるとこんな美形なんだよね。無駄にね…。

晋とかもう三国じゃないよね。って思うけど
魏のその後が見られるっていうのは面白いなーと思いました。

6もやってないので、ストーリーモードがどういう風に変わってきたのとかよく解らないのですが
史実ルートとIFルートがあり
一回史実ENDするとIFルートに入ることが出来て、要人暗殺を防ぐなどフラグ回収しつつIFエンドを目指す…
ってこれ、一回ノーマル(BAD)ENDして時空跳躍してフラグ回収して大団円目指すって
なんか、前にどっか、KOEIの別のとこで何回もやったなあって、すごく懐かしさを感じましたw
さらに将星モードだと護衛武将に付けて戦闘に出るなどして好感度を上げると
お呼び出しでセリフイベントが!!(使用キャラに応じて対男、対女に2パターンあり)
庭園デートか!!
すごいな~。ネオロマ部門はなんか乙女ゲー化しちゃって
もうあそこに戻ることはないのかなあって思ってましたが
逆にネオロマがこっちに浸食してきてたのかw
なんか立ち絵のグラフィックとか微妙にルビーさんな感じもするときもありました。(とくに若い男女キャラで)

や、それはおいといて、史実ルートの辛さっていうのがちゃんとあった上での
もしかしたらな天下の形、ありえないキャラの長生き、全員生存ハーレム(語弊)ENDなのがいいかなと。


あとやっぱりおっさんキャラ度も高いのでまんぞく。BSRはおっさん成分足らないからどうもなあ…。

また他勢力のらくがきもしたいなあと思ってはいる。
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更新ちょっと間が空いてしまってすみません~。
三月半ばに引っ越すので荷物と格闘してるところです。
やっと終わりが見えてきて
事務手続きも片が付いた感じでほっとひといき…。



「牛若丸の髪型」について検索されて
こちらへお運び下さった方がいらっしゃるようなので
94f58335.jpeg
[中古小児の髪風]のとき脇に描いて、そのうち色塗ろうと思って放置してたやつですが
とりあえず載せておきます~。(「結い方」ではないのであれですが…)

■唐輪(からわ)と兒髷(ちごわげ)
もとは若党(元服後~若年の武士)の髪型で、平安末期ごろから。平治絵巻などに見られます。
髻(もとどり)の末を片輪あるいは諸輪(もろわ)にまとめた髷。
のちに、寺院の兒(稚児=ちご)の髪型にもなり、
公家の若君の元服前の髪型(みづらよりは格が劣る)となり、
元結を高くして諸輪を美しく見せるようになっていきます。
さらに、女児の髪型のひとつに取り入れられ、
娘髷(この形は関西で好まれた)にも。
「兒髷(稚児髷)」などと呼ばれるようになりました。

ただ、平安末期に兒がすでにこの髪型にしていたのかどうかはちょっとあやしい。
『稚児観音縁起絵巻』(鎌倉後期)ではひとつ結びの垂髪、
『道成寺縁起絵巻』(室町初期)ではまだぺったりした唐輪です。
江戸時代ごろに描かれる牛若は確実に高元結の兒髷なんですが、
浮世絵などの、幼少の菅公とか愛護若とか、
『上・中古の貴種の若君』というざっくりしたカテゴリがだいたいこの髪型、っていう感じも。


・若党と兒が同じ髪型にしていたのはなぜか。

児には、寺の外から入ってくるものと、坊官(房官)の子息からなるものとがいます。
そもそも侍童を擁するっていうのはそれなりに位も上の僧侶じゃないと出来ない(扶持的に)ので
寺院の別当や、三綱、大寺院を構成する子院の主など、ということになります。
で、特に別当坊などについて、家政を担当する人達を坊官といいます。
摂関家などの政所みたいなもの。
妻帯、帯刀、在家の僧で、次第に寺院に定着して、世襲になっていきます。
侍僧とか、時代が下ると寺侍(てらざむらい)などとも呼ばれます。
でこの子息は幼少時は侍童になって、父兄と共に院主に仕え、元服すれば坊官になると。

義経の同母兄円済(乙若、源義円)も、園城寺の円惠法親王(八条宮)に仕える坊官になっています。
おそらく元服前は侍童をしていたのでしょう。

『常葉が腹の子供三人、年月をへしかば、長大にして、兄今若は醍醐寺にて学文し、出家して禅師公(ぜんじこう)全済となのりけり。悪禅師とて、希代のあら者なりけり。中、乙若は、八条宮に召仕われて、卿公(きやうのきみ)円済とて坊官にてぞ有ける。弟の牛若は、鞍馬の東光坊阿闍梨蓮忍が弟子、禅林坊阿闍梨覚日が同宿して、沙那王とぞよばれける。』(平治物語/牛若奥州下りの事)

彼らの場合は、源氏の棟梁の子息…ではあるけれど零落している、ということも考慮しなければなりませんが
武士-坊官-兒 の繋がりはこの例からも充分見いだせるのではないでしょうか。
武家の若党と兒は同じ階層に属するものたちで、年齢も近く、
髪型に共通点があっても不思議はないんじゃないかなーと思います。
ついでに、堂衆(諸堂に仕える平の坊さん達。大衆だいしゅ)だけでなく、
坊官も裹頭(覆面)武装すれば僧兵になります。

このあたりはもう少し掘り下げたいなーと思ってます。


関連記事リンク:
[みづら祭の序 (附目次)]
[中古小児の髪風]


参考文献:
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲「中世寺院の社会と芸能」(土谷恵/吉川弘文館)2001
▲「続日本の絵巻20 当麻曼荼羅縁起・稚児観音縁起」
▲「続日本の絵巻24 桑実寺縁起・道成寺縁起」
 (共に、編集・解説:小松茂美/出版:中央公論社)
▲「新日本古典文学大系43 保元物語・平治物語・承久記」(岩波書店)
▲平治物語絵巻 三条殿夜討巻「ボストン美術館 日本美術の至宝」特別展図録(2012) 
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先日書いた幞頭の記事に結構反応を頂きまして、おお~っという…。
ぼくとうったら地味に需要があったのね…!
引き続き、日本の冠などとの繋がりを調べています~。

daidai.jpg

大大論さんの幞頭。サイド想像図。

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他らくがき投下しておきます。
housyukugo.jpg
迦陵瀕伽と鳳首箜篌(ほうしゅくご)。
廃絶した古楽器なので詳しいことは解りません。正倉院御物の復元は存在。
これは敦煌の壁画とかを見て妄想で描いてます…。
迦陵ちゃんと鳳首が鳥語でおはなし妄想だ!!
気分がくさくさしたときは好きなモノを描くにかぎる~~。

houkei.jpg
宝髻(ほうけい)。菩薩像などの髪型。(正確には頭頂部の髻部分の名前)
前髪よく見ると波打ってたりとかこうやって複雑な留めかたしてたり
鬢の毛を後ろへ渡したり、後れ毛を垂らしたり
ただアップにしてるだけじゃないんですよね~~~!!
もちろんみんな同じ髪型なんてことはないけど。
ああ すきだ すきだ だいすきだ!!!!
仏はパンチパーマだけじゃないんだぜ!!

eiisagyouchu.jpg
袈裟狸。
月岡芳年の作品で文福茶釜なたぬきさんが文机に伏せて上目遣いしてるのがあるのですが
それが大好きで…
たぬーはなぜこんなにも袈裟が似合いますか!?
他にこんなに袈裟が似合うどうぶつっているでしょうか!?




幞頭というと、日本の官人の冠のもとになったものですが
ちょっと構造というか、よくわからない気がしたので
唐代まで飛んで予習してきました~。

bokutou.jpg


◆名称
幞[巾+菐]頭 (襆[ころもへん+菐]頭)ボクトウ
異称、『折上巾』『軟裹』、唐代には青黒色の羅紗を用いるようになったことから『烏紗帽』ともいう。(烏=黒。カラス色。)
秦漢時代から高貴な男性は冠帽の類を用いたが、身分の卑しい者は単なる布で頭を覆うのみであり、各地方で呼び名も違った。北周の武帝が初めて『帕頭』を服制に取り入れて被り方を定め、常服に合わせるものとした(『北周書/武帝紀』)。『幞頭』は唐代からの名称。
 
◆基本の被り方
(1)髻(キツ、もとどり)の上に巾子(キンシ、こじ)を置く。
(2)四角い布(羅紗)をかぶる。
(3)前方の角(脚)左右を後頭部へ回して結ぶ。
(4) (3)を挟むように後方の二角を上げ、巾子の根本あたりで結ぶ。
  (3)の端は後頭部へ垂らしておく。
(5)完成。
 
はじめはこのように、四角い布で巾子を包んで結んだものだったが、
頭を包む部分に桐などで支柱をつける型も出てきた。
 のちには、枠組みを作った上に紗を貼り、漆で塗り固めてるようになる。
これには、前頭部が丸い形のもの(円頂)と、四角くなった形のもの(方頂)がある。
宋代に入りこの種のものは「幞頭帽子」と呼ばれた。
 
◆脚の形
 また、脚を別布にして、垂れる姿を見栄えよく整えるようにもなった(垂脚、軟脚)
脚は次第に長いものが見られるようになり(展脚、長脚)、武官などは長い脚を根本で輪がねた(結脚)
本体に別布をつけるもの、孔を開けて通すものもあった。
脚の形も、細く、先が剣のように尖ったもの、太めで末広がり丸になったものなどさまざま。
また、胴の針金を入れて形を整えることが行われ(直脚、硬脚)、唐代の皇帝は脚が上向きに曲がった幞頭を、臣民は下に垂れたものを用いた。
宋代になると、もはや竿かといいたくなるほど長いものになる場合も。
 
◆巾子の形
 初唐の頃は、巾子の形は小さく平らな山形で、ただ髻を覆う用を果たすためだけのものだった。
旧唐書輿服志には、唐の高祖武德年間に『平頭小様巾』が流行したとある。
一般にも広く用いられ、諸官も日常着に用いた。この様式を基礎として、様々なスタイルが生まれた。
 武則天の頃の朝廷では巾子の頭を高くすることが流行し、『武家諸王様』と呼ばれた。
 唐の中宗が百官に賜った、高くした巾子を前傾(踣)させる様式を『英王踣様』
 玄宗が開元十九年に供奉官及び諸司長官へ賜った『官様』、また『開元内様』は、巾子の先が細く、先が割れている。
 晩唐に至ると、巾子の先は真っ直ぐ尖り、巾子を包む部分も角張ったものになった。

…というような感じですかねー。
基本的な構造はこのようなもので、そんなに複雑ではありません(もとは庶民が手軽に頭を包む方法だったんだしね)
日本では一方ではへ進化していきますが、もうひとつの流れが…
「烏紗帽」でピンと来ますよね!
そう、烏帽子です。まず萎烏帽子に変化しました~。
初唐の頃のものは、萎烏帽子によく似ていますよね。
それから立烏帽子になり、折烏帽子になり…。ふっふっふ。

よ~し、これで奈良の官人も怖くない(?)


ソースはこちら。(※中文サイト)
幞头_百度百科 -  http://baike.baidu.com/view/71457.htm
幞头- 汉服百科 汉服,汉服体系,汉族服饰  -  http://www.hfqun.com/wiki/index.php?doc-view-110
隋唐五代冠帽 - 服饰百科 -  http://fushi.baike.com/article-49155.html
suisai_ume1.jpg

梅の花手折り挿頭(かざ)してあそべどもあきたらぬ日はけふにしありけり
 [万葉836/陰陽師礒氏法麿]


半尻(童形狩衣)。
童用に後ろ身頃の裾を短めに仕立てたもの。
時代が下ると、袖括が置括といって華美になったり
扇も女房の持つような糸花つきになります。
袴も白大口を合わせたりします。

ここでは
狩衣 冬の料 
表:白浮織梅丸文 裏:蘇芳(梅のかさね)
袖括:薄平(萌黄緂)
帷子 単衣(赤、幼年は濃色もあり)
指貫袴 紫浮織唐草立涌
という感じです。

下げみずらとか、狩衣の袖の皺影描くの、しあわせ………(ほわわわん)

拡大。
suisai_ume_top2.jpg

そういえばこの子いちおういわゆるオリキャラさんで
前、みづら祭予告にのっけた三人皇子の末弟です 吾妻の宮といいます…
上は磯城(しき)の宮 不破(ふわ)の宮です…
今回は紅梅ですが、紅躑躅の挿頭花で以前三兄弟の小品書きました。
赤い花の似合う華のある宮様とゆーわけでおざります。



新年だし心機一転というほどでもないですが
ペイントツール「SAI」を試してみてます。
まあ、描く人が変わらないと画風を変えるってのはなかなか難しいですよね…。

水彩塗りの練習。
suisai01.jpg
とりあえず練習っていうとやっぱりみずらの子になる。

技法書見つつブラシ設定とかして…
すごいなーすごいなー
(ツールがとか、ブラシ設定した絵師さんがね)
とか唸りつつ…。

ただグラデ塗りつぶしができないとか細かい差異があるので
フォトショも併用してくつもりです~。

[みづら祭の序 (附目次)]
旧年中の御愛顧 まことに有り難う存じます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

曲彔図

なんかもうあからさまに取って付けたような「賀」ですが…。

禅林師家 七条袈裟。

高僧の肖像画にはよくある構図で
曲彔(きょくろく)という椅子(布を懸けてある)の上に結跏趺坐しています。ので、足が見えない。
この構図が 大好きで 何がっていうと 袈裟のこの重なり方ずれ方垂れ方が
立ち姿、畳にお座りの姿とはまた違う なんともいえないこの…末広がりの…うふふふふ。
これ 描いているとき ふと手を止めちゃうとですね
お手本にした肖像や 自分で描いた裾あたり
 ボーーーーーーーーッと見蕩れて時間経過
というアホなことを繰り返していて 年内に終わらず。

お沓が脱いで置いてあるのもすてきだと思いませんか~~。

でもね でもね
この素敵なお椅子 日本への伝来は鎌倉以降なの。
要するにまたしても禅宗と共に輸入っていうあのあれ。
お前もかブルータス。
だからあたいの好きな平安時代の法親王とかは お座り遊ばされなんだわけでして
くう~~~~。ちびしー。

でもまあやっぱり絵として好きなんだなあ。
なので今回は大人しく禅僧を描きました。
持っている棒はあれです
座禅行のときに肩パーーーンする警策(けいさく・きょうさく)です。



おまけ。
年賀状用に描いた蛇遣い。
7628970b.jpeg
この笛はプーンギというのですって。
snake.jpg


Profile
管理人紹介
HN:逆名[サカナ]
HP漁屋無縁堂

無駄と斑の腐渣。はぐれ腐。
らくがきと調べ物が趣味の
古典寄り歴史ヲタク。

中古日本史、東洋史、仏教史(仏教東漸期の東アジア、平安密教、仏教芸能、美術、門跡寺院制度等)、有職故実、官職制度、風俗諸相、男色史。古典文学、絵巻物、拾遺・説話物。

好きな渡来僧:婆羅門僧正菩提僊那、林邑僧仏哲
好きな法皇:宇多法皇
好きな法親王:紫金臺寺御室、北院御室
好きな平氏:重盛、経盛、敦盛
好きな法衣:裘代五条袈裟
好きな御衣:御引直衣
好きな:挿頭花と老懸を付けた巻纓冠
好きな結髪:貴種童子の下げみずら
好きな童装束:半尻、童水干
好きな幼名:真魚(空海さん)
好きな舞楽:陵王、迦陵頻、胡蝶
好きな琵琶:青山、玄象
好きな:青葉、葉二
好きな仏像:普賢・文殊(童形)はじめ菩薩以下明王、天部、飛天(瓔珞天衣持物好き)

やまとことばも漢語も好き。
活字・漫画・ゲーム等、偏食気味雑食。

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御容赦下さいませ。

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