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深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる毒ぼやきの数々。
 
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今回は、日本と朝鮮の古代装束の領について。

hekigahaniwa_josei.jpg
 
 埴輪などの領を見ていて、盤領ではないのだが、方領とも言いにくいような気がしていた。方領(小袖類、いまの所謂『着物』の領のような)に似ているが真っ直ぐではない。首周りが丸く、襟が折れたり曲がっているからだ。
eri_kyokuryou.jpg

 で、古代日本と深い繋がりを持つ、古代朝鮮の装束について見てみると、『曲領』という言葉があったので(本来用途とは違う可能性もあるが)『曲がった領』という意味を頂いて、日本の埴輪や古墳壁画の装束の説明にも使ってみることにした。
 図にするとこうなる。→
 
 方領が斜めに下りていかずに、曲がっているのがお解り頂けると思う。
 
 まあ、ささいな違いではあるのだけれども、浴衣とVネックのカーディガンくらいは違うかな…と思う。
 何故、ここにこだわるかというと、和様の方領(直領)の装束の出現時期というものについて考える時、礼服として取り入れられた感服の方領か、この曲がった領のどちらか、或いは両方から派生したと考えるのが自然だと思われるから、そこのとこは細かく見ていきたいのだ。
 
 まず、高句麗時代の『双楹塚古墳』の壁画(5世紀末)から見てみよう。
 双楹塚古墳は、世界遺産高句麗古墳群のうちの一つで、現在の北朝鮮南浦特級市に位置する。内部に特徴的な二本の八角柱があるため『双楹』と呼ばれる。
 ここでピックアップしたのは群像中の一人で、次に挙げる女性埴輪と比較するために、頭上結髪・鉢巻き状の布・上衣下裳のものを選んだ。
hekiga01.jpg
 
 『襦』と呼ばれる筒袖の短衣で、後の『チョゴリ』の原型といわれる。Y字になった襟が、内側にカーブを描いて曲がっている。胸の中央で裁断され、衽はなく、襈(セン/襟や袖、裾にめぐらせた別色の布や刺繍の縁飾り)の分だけで重なっているように見える。
確認しづらいが、おそらく左衽である。
袖に隠れた腰の帯は別の人物像から推測した。
 赤い襈のある内衣が襟元と袖に見えている。
 下半身には裳をまとう。別の絵には、丈を長くした袍を着たり、腰裳(裙)を付けたり、裳の下から筒袴が覗くものもある。
 髪型は、二本の三つ編みを頭上に巻き付けた『オンジンモリ』で、成人女性の結髪である。三つ編みにしないでそのまま巻き付けることもある(絵からは編んでいるかどうか確認できなかったが、三つ編みにした)。少女時代は三つ編みを垂らし、大人になると結い上げる。この風俗は長く続いた。
 頬の赤い丸は頬紅だろうか、丹だろうか。日本の埴輪にも、頬が赤く塗られたの女性埴輪がある。ぱっと思い浮かぶのは、群馬県太田市、塚廻り4号墳のほっぺちゃんだ。


 
 次に、日本の女性埴輪(6世紀)から見てみよう。群馬県横見から出土し、現在は東京国立博物館所蔵となっている盛装した女性の埴輪である。e国宝で高精細画像を見ることが出来る。→【e国宝】
 
haniwa01.jpg
 この衣は、襟元は丸首で、中央で交わり、胸紐で一回結び、左へ斜めに流れ、脇でもう一度紐を結んでいる。
 帯の表現は無いが、横から見ると腰から下げ物をしているらしいので、省略されているか、これが腰帯の結び目なのかも知れない。
 胴体の下部から鱗模様(或は青海波)、腕には一部縦縞が刻まれているのが確認できる。女装で青海波というと、采女装束なども思い浮かぶ。鱗模様は胸あたりまでなので、織り模様ではなく筆で描いたり摺り入れたものかも知れない。縦縞は模様ではなく、生地の表現の可能性もある。
 肩口に線が入るのは、生地の切り替えか、袖無しの上衣の下に長袖を着ているという表現なのか、または襷掛けか、襈なのかも知れない。
 袖は細めの筒袖で、手珠が見える長さ。
 襈は襟にはなく、袖口と裾につく。或はこれらも模様か、内衣の袖裾ともとれる。
 同様に、絵では腰裳(裙)と裳、下裳の組み合わせとしたが、一枚の裳の模様や切り替えともとれる。
 アクセサリーも豊富で、まずかずら(鉢巻き。縵+草冠)、大小の耳環で耳が重そうだ。首、手首にも珠飾り。
 頭上で結い上げた髪はいわゆる『古墳島田』で、元結の前頭部左寄りに櫛を挿す。
 かなりの盛装で高位の女性と思われるが、いわゆる袈裟状の布や襷、鈴や鏡といった付属品が見られないので、巫女ではない可能性もある。
 なお彩色はほとんど想像というか妄想でやってしまったが、これが合っているかどうかはともかくとして…土色や生成、紅といった簡素な色合い以外で塗るのは結構勇気が要ったけれど、同時にとても楽しかった。

 
 次も日本、高松塚古墳壁画女子群像(7世紀末~8世紀初)から。かなりよく知られたものだが、改めて見てみると、腰帯の位置がかなり低かったりと面白い。顔部分など欠落が激しいので、他の人物像などを参考にして加筆した。

hekiga02.jpg
 描かれているのは女官とされており、『日本原色服飾史』に、朝服の袍と書いてあるのに倣って、ここでも袍とした。ということはもう少し裾を長くしても良かったのかも知れない。
 襟首は狭く、喉元で紐を結んでいる。内衣は着ていたとしても襟元からは見えない。
 腰に紐はなく、かなり低い位置で帯で結んでいる。曲がり方は高句麗の例に近くゆるやかである。
 襟に飾りはないが、折り返しか同色の布でつけられている。下部には襴の切り返しがあり、確かにのちの官袍への発展を窺わせる。
 襟口に別の色が見えるが、襈か、内衣の袖口かのどちらかであろう。
 袍の裾から見える襞は、襈或は内衣とは別の色なので、腰裳(裙)かと思われる。美しい縞模様の裳裾には、細かい襞の裾飾りか、下裳の裾が覗く。
 髪型は前髪をひと房結って後ろへ流し、まとめて結い、毛先をあげてもう一度結っている。元結にはきっと櫛を挿したのだろう。『束髪』と書いたが、単に束ね髪といった意味で、『日本結髪全史』でも便宜上つけられたものである。時代はかなり下るが、江戸前期の菱川師宣の画にはよく似た結髪が描かれている。


■まとめ
  というわけで、「まっすぐじゃないよ、埴輪とかの襟はまっすぐじゃないよ!立て襟っぽく見えるけどそうでもないし」という筆者の主張は伝わりましたでしょうか。
 もうひとつ気になることといえば、埴輪の衣服には高い確率で付いている、襟の紐。これが、古代朝鮮には見付けられなかったという点です。今のチョゴリは襟の帯紐が特徴的だから、むかしからあるんだと思ってしまってたのですが。紐をつけるのが、当時の日本でなされたことなら、その意味は?気候、生活環境、生地の事情?ひも大好きだったとか(笑)結ぶ、ということが呪術的行為であったから?色々考えられそうです。
 また、古代から朝鮮で(中国でも)これでもかこれでもかと飾られた襟や袖の飾り縁、襈が日本では見られなくなっていくのも気になるところです。
 
 あ、三人並べても、長袖ロングスカートしか共通点なさそうだと思ったそこのアナタ!前回記事に使った深衣のお嬢さんと比べてみて下さい。↓ やっぱり直領とはちょっと違うでしょう。袖も、肩口が細いんですよね。筒袖や日本の大袖は四角ですが。
eri_01_02.jpg
 
 また、古代朝鮮国家は、ツングース系などの北方騎馬民族にルーツのひとつがあるとされ、遠くシベリアのアルタイ文化との共通点が指摘されています。
siberia.jpg(図)サカ(スキタイ)の遺物から。イシク遺跡の黄金のベスト、チャストゥイエ古墳群の壺絵の男性。
 とりあえず襟元はY字ですねー。
 
 確かに朝鮮半島との繋がりは感じるんだけど(とんがり帽子とか)日本との繋がりは、少なくとも服飾面ではあまり…。まだ掘り下げる必要があるのかな。
 日本人騎馬民族由来説というのもありますが、個人的には直接にではなく、騎馬民族の子孫である朝鮮の人達の影響を受けているんじゃないかと思います。

 似ているところも違うところもあるねえ、って並べてみるだけでも楽しいですよね。
 前回のように、朝鮮の服飾文化もまとめられるといいのですが、まだ力不足でして(ハングルがさっぱりだから…)いや!いつかは!


【おまけ追加】未使用らくがきから、古代女性の髪型
omakemage.jpg
古墳島田は、丸型と角型があります。位置は頭上が多いですが、後頭部に結ったものも。すこし前髪を立てて、のちの結髪のように前髱(まえつと)を作っているように見えるものも。
授乳してる女性の絵は、『乳飲児を抱く埴輪』(ひたちなか市黄金塚出土)を参考にしました→【ひたちなか市の文化財の紹介】
巫女や、位の高い女性とされるものより、髷が小さく結う位置も低くて、庶民の女性の髪型とか、子育て中(分娩後とか?)はこんな風に結いやすく楽な髪型にしていたのかも、と窺えて貴重な例です。高松塚のものとも似ています。


■附:『曲領』について

古代朝鮮…よりもっと古い国に関する記述として、「魏書」に
 
『言語法俗大抵與句麗同、衣服有異。男女衣皆著曲領、男子擊銀花廣數寸、以為飾。』
(魏書/東夷傳/濊)
 
濊国の『男女の衣は皆曲領である』とある。濊(ワイ)とは、紀元前2世紀頃から中国東北部に存在したとされる、高句麗・夫餘(百済の前身、扶餘とも)のもとになった種族のひとつで、近しい種族の貊(ハク)とともに濊貊と書かれることが多い。ツングース系との説がある。
 
「舊唐書」音楽志には、高麗楽・百済楽の記述中に、
 
『高麗樂、工人紫羅帽、飾以鳥羽、黃大袖、紫羅帶、大口袴、赤皮靴、五色縚繩。舞者四 人、椎髻於後、以絳抹額、飾以金璫。二人黃裙襦 、赤黃袴、極長其袖、烏皮靴、雙雙並立而舞。樂用彈箏一、搊箏一、臥箜篌一、豎箜篌一、琵琶一、義觜笛一、笙一、簫一、小篳篥 一、大篳篥一、桃皮篳篥一、腰鼓一、齊鼓一、檐鼓一、貝一。武太后時尚二十五曲、今惟習 一曲、衣服亦寖衰敗、失其本風。
 百濟樂、中宗之代、工人死散。岐王範為太常卿、復奏置之、是以音伎多闕。舞二人、 紫大袖裙、章甫冠、皮履。樂之存者、箏、笛、桃皮篳篥、箜篌、歌。
此二國、東夷之樂也。』
(舊唐書/音樂志/東夷之樂)
 
 とあって、高句麗・百済の楽人が上衣として『襦』を着用したとあるが、
楊雄「方言」には、
 
『襦、西南蜀漢、谓之曲領、或谓之襦。』(方言/巻第四)

 とあって、襦とは曲領である、とする。
 但し、「釋名」には
 
『曲領 在内、以中襟領上、横壅頸其状曲也。』
(曲領、内に在り、以て襟領の上に中す、横に頸を壅ぐ、其の状、曲なり)

とあって、内衣であると書いてある。或は、「宋書輿服志」などに
 
『其制、曲領大袖、下施橫襴、束以革帶、幞頭、烏皮鞾。 』(宋書/輿服五)
 
 とあって、職官の公服における盤領の同義語としても使わている。
 或はまた宋代以降の官服には『方心曲領』という、大きな円に小さな四角をつけ、円の部分を首から掛ける特殊な襟飾りがある。
 更に、詳細は不明だが、日本の武官礼装に用いる肩当てのようなものが『曲領』と云うらしい。
 
 よって、この用法は誤りかも知れないが、ここでは盤領・方領と区別するために敢えて使用した。


 
【参考資料】
 
▲「韓国服飾文化の源流」(金文子・著/金井塚良一・訳/勉誠出版)1998
▲「韓国服飾文化史」(柳喜卿・朴京子/源流社)1982
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳社出版)1998増補改訂
▲「古代の装い 歴史発掘(4)」(春成秀爾/講談社)1997
▲「人物埴輪の研究」(稲村繁/同成社)1999
▲「ものが語る考古学シリーズ(6) 人物はにわの世界」(稲村繁、森昭/同成社)2002
▲「もっと知りたい はにわの世界~古代社会からのメッセージ」(若狭徹/東京美術)2009
 
字典
▲【漢典】http://www.zdic.net/
原文テキスト検索・出典
▲【中央研究院 漢籍電子文獻】 http://hanji.sinica.edu.tw/
▲【中國哲學書電子化計劃】http://ctext.org/fang-yan/zhh

 
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やまとことばも漢語も好き。
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