大河で神輿振出てきたので
僧兵~。
裹頭(かとう)とは、頭を裹(つつ)むの意で、包んでいるのは白の五条袈裟。
袈裟に付いている紐(太い方が威儀、細い方が小威儀)で結んで固定しているようです。
詳しい巻き方知りたいな…。
裹頭は僧兵だけのものではなく、法会では高位の僧や稚児なども裹頭していました。
素絹は、前回の記事にも書きましたが、生絹や麻などの簡素な生地を用いた法衣で、もともとは長く裾を引いていました。その裾を切り詰めて簡便にしたのが『切素絹』又は『半素絹』で、広く僧徒に用いられるようになってからは、こちらがもっぱら『素絹』と呼ばれるようになりました。(絵では両袖をまくり上げています)
夏の料で生地が綟子(もじ)だったりすると透けます。
ここまではごくありふれた凡僧の装束です。
『大衆(だいしゅ)』『堂衆』と呼ばれる、延暦寺や興福寺などの大寺院(とその末寺)の下級僧達は、普段は雑役も担ったりしていますが、すわ荒事となると武具を持ち出して、素絹の下に腹巻(防具)を着込んで太刀佩いて、長刀持ったら僧兵のできあがり、と相成ります。
もそっと僧兵。
そういえば 『腹巻』ですが
簡素化した鎧としては『胴丸』というものも存在します。
この二者がの違いが微妙な上に、中古と近世で名称が逆転してるので結構混乱しました。
しかしあまりにむさいのもなんなので
ちっちゃいお子君…
後白河さんのみずら
毛先が輪の中からぴょいっと出てるのが不思議でした。
幼帝このえたん
ぷにぷにでたまらん。
うーん
第13回見て
とりあえず一番の不満は
鳥羽法皇だけじゃなくて
信西も袈裟懸けてなかった
ってことですかね…。。。
法皇が袈裟なしなのは
院御所だから気楽な日常平服なんですという設定なのかと思ってたけど、大臣呼んで話し合ってる時はさすがに公でしょ…?
しかも、院御所に参上してる信西も五条袈裟してないのは何故??
なんかこう…普通逆じゃないですか?貴人が得度した場合、最低…、袈裟だけはその印として懸けるものじゃないですか?
テンション下がるなあ…。
まあ、清盛が未だに袍で参内しないくらいなので、袈裟くらいでガタガタ言っちゃいけないのかも知れませんが…。
◆[袈裟・法衣の目次]へ
続きにおまけの清盛。
僧兵~。
裹頭(かとう)とは、頭を裹(つつ)むの意で、包んでいるのは白の五条袈裟。
袈裟に付いている紐(太い方が威儀、細い方が小威儀)で結んで固定しているようです。
詳しい巻き方知りたいな…。
裹頭は僧兵だけのものではなく、法会では高位の僧や稚児なども裹頭していました。
素絹は、前回の記事にも書きましたが、生絹や麻などの簡素な生地を用いた法衣で、もともとは長く裾を引いていました。その裾を切り詰めて簡便にしたのが『切素絹』又は『半素絹』で、広く僧徒に用いられるようになってからは、こちらがもっぱら『素絹』と呼ばれるようになりました。(絵では両袖をまくり上げています)
夏の料で生地が綟子(もじ)だったりすると透けます。
ここまではごくありふれた凡僧の装束です。
『大衆(だいしゅ)』『堂衆』と呼ばれる、延暦寺や興福寺などの大寺院(とその末寺)の下級僧達は、普段は雑役も担ったりしていますが、すわ荒事となると武具を持ち出して、素絹の下に腹巻(防具)を着込んで太刀佩いて、長刀持ったら僧兵のできあがり、と相成ります。
もそっと僧兵。
そういえば 『腹巻』ですが
簡素化した鎧としては『胴丸』というものも存在します。
この二者がの違いが微妙な上に、中古と近世で名称が逆転してるので結構混乱しました。
参考資料:「原色日本服飾史」井筒雅風/光琳社出版
「有職故実図典」鈴木敬三/吉川弘文館
DVD「新・平家物語」大映(1955/2006)
DVD「新・平家物語」大映(1955/2006)
しかしあまりにむさいのもなんなので
ちっちゃいお子君…
後白河さんのみずら
毛先が輪の中からぴょいっと出てるのが不思議でした。
幼帝このえたん
ぷにぷにでたまらん。
うーん
第13回見て
とりあえず一番の不満は
鳥羽法皇だけじゃなくて
信西も袈裟懸けてなかった
ってことですかね…。。。
法皇が袈裟なしなのは
院御所だから気楽な日常平服なんですという設定なのかと思ってたけど、大臣呼んで話し合ってる時はさすがに公でしょ…?
しかも、院御所に参上してる信西も五条袈裟してないのは何故??
なんかこう…普通逆じゃないですか?貴人が得度した場合、最低…、袈裟だけはその印として懸けるものじゃないですか?
テンション下がるなあ…。
まあ、清盛が未だに袍で参内しないくらいなので、袈裟くらいでガタガタ言っちゃいけないのかも知れませんが…。
◆[袈裟・法衣の目次]へ
続きにおまけの清盛。
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