Twitterのほうで2024年大河ドラマの話題で女性名の話になっていたので、女官通解と官職要解を参照してみてたのですが、女官通解の方はどうも現在絶版らしいので、女房の呼称についての部分をメモとして抜き書きしておきます。重複する部分もありますが、官職要解の記述のほうが分かり易いのでついでに。
講談社学術文庫「新訂 女官通解」より【女房の名のこと】
『女房に名づくること、種々の差別あり。候名(さぶらいな)あり、国名(くにな)あり、殿名(とのな)あり、小路名あり、召名(めしな)あり、おさな名あり、かた名あり、たいの名あり。今、その大要をあぐれば左のごとし。■候名は、また侍名とも称し、ひさしき、うれしき、ゆりはな、久、亀、鶴などいえるは、その一例なり。
■国名は、既に、記したるごとく、伊予、播磨、讃岐、美濃、肥前、伊賀、越前、相模、尾張、武蔵、甲斐、備中、下野、丹後、三河、土佐、伯耆、備後、筑前などいうがごとし。
■殿名は、京極殿、堀川殿、坊門殿、大宮殿、春日殿、冷泉殿、近衞殿、一条殿、二条殿、三条殿、高倉殿などいうがごとし。
■小路名は、右殿名に同じ。一条、二条、三条、古のへ、春日は小路名のうちにても上の名なり。大宮、京極は中の名なり。高倉、四条は小路名の中にても下の名なり。
■召名は、按察(あぜち)、大進(だいしん)、少進(しょうしん)、大弐(だいに)、少弐(しょうに)、少弁(こべん)、左衛門(さえもん)、少将(しょうしょう)、左京大夫(さきょうのだいぶ)、右京大夫(うきょうのだいぶ)、民部卿(みんぶきょう)、中納言(ちゅうなごん)、帥(そち)、別当(べっとう)、宰相(さいしょう)、兵衛(ひょうえ)、刑部卿(ぎょうぶのきょう)、治部卿(じぶきょう)、大蔵卿(おおくらきょう)、宮内卿(くないきょう)、兵部卿(ひょうぶきょう)、侍従(じじゅう)のごとき官名の類これなり。
■おさな名は、ちゃちゃ、あちゃ、かか、とと、あこ、あか、あと、ここ、ちゃら、つま、あやの類これなり。
■かた名は、東御方(ひがしのおんかた)、南御方、西御方の類これなり。中にも北、東の御方は上なり。南、西は方角にて劣りたるなり。
■むき名は、かた名に同じ。かた名とむき名とは、かたなの方上りたりといえり。
■たいの名は、一の対は上なり。御妻、二の対などはいささか劣れり。
以上のうち、おさな名は、上臈、小上臈これをつく。中臈もつくることあり。殿名は、上、中臈これをつく。下臈はつけず。小路名また同じ。たいていは、上小上臈のつけ名なり。候名は、上臈、中量、下臈みなつく。召名は、上、中臈を主とし、下臈はつけず。但し侍従、少弁、少納言は、下臈なれども中臈をかけたるによりてつくるなり。
召名の中にても、大納言、按察、民部卿、中納言、左衛門督(さえもんのかみ)、帥、別当、宰相、兵衛督、刑部卿、大蔵卿、宮内卿、兵部卿は小上臈の召名なり。督殿(こうどの)、大弐、中将、弁少将(べんのしょうしょう)、左京大夫、右京大夫、権大夫(ごんのだいぶ)、左衛門佐(うえもんのすけ)、右衛門佐、侍従、少納言、兵衛佐、大進、大輔、少輔、佐は中臈の召名なり。中臈にても公達、蔵人、五位のほかはつけずといえり。
国名は、下臈これをつく。中にも、伊予、播磨、丹後、周防、越前、伊勢は中臈をかけたることあり。対名、向名はみな上臈のつくるところなり。また御所の号あり。北の政所などいうがごとし。対名、向名よりも上にして、粗末につくることなしという。』(引用了)
講談社学術文庫「官職要解」より
『宮仕えの女房は、前にいったごとく、品位(ほんい)の上等なものばかりで、昔はそのなかを上中下の三等にわけて階級を定めた。(…)■上臈(じょうろう)《女房官品》という書物には、上臈の局(つぼね)とあって、御匣殿(みくしげどの)、尚侍(ないしのかみ)、および二位、三位の典侍(ないしのすけ)で禁色(きんじき、赤または青色の装束)をゆるされた大臣の女(むすめ)あるいは孫女(まごむすめ)などをいう。たとい三位以上の婦人でも禁色をゆるされないものは、上臈と称することはできない。(…)
また、小上臈(こじょうろう)というものがあって、公卿の女を称した。織物の唐衣(からぎぬ)、織物の表着(うわぎ)をきることのできるものばかりである。もっとも、場合によっては、公卿の孫女や公卿でないものの女をも小上臈といったことがある。
■中臈(ちゅうろう) 内侍の外の女官、および侍臣の女や、医道の和気氏、丹波氏、陰陽師の賀茂、安倍両氏などの女をいった。命婦(みょうぶ)もまた中臈である。
■下臈(げろう) 摂政関白の家の家司の女や、賀茂、日吉の社司の女などである。女蔵人(にょくろうど)もまた下臈である。
禁中で女房といったのは、この上中下臈と小上臈であるが、仙洞(上皇の御所)および執柄家には、大上臈というものもあった。なお、女房のことは、《禁秘御抄》《女房官品》《女官志》《光台一覧》などにくわしく見えてあるから、本書について知るがよろしい。
この女房たちの名前であるが、大方本名をいわないで、呼名といって男の官名や国名・候名などをつけていた。物語文などにあって大よそ定まっているから、kれをもついでに述べておきましょう。
■官名を呼名につけることは、まず上臈には、大納言局、中納言局、左衛門督、帥、一位局、二位局、三位局(さんみのつぼね)などとつけ、少々ひくいところには、按察使とつける例である。また、小宰相、小督、小兵衛督は、中臈、小上臈につけ、中将、少将、左京大夫、宮内卿、新介(しんすけ)、左衛門督、および侍従、少納言、少弁などは、中臈につける例である。そのなかにも、小の字をつけたのは少しよいほうである。
■国名は、中臈、下臈につける例である。そのなかでも、伊予、播磨、丹後、周防、越前、伊勢は少し上等であるから、中臈につけたのである。
■候名は、国名でもなく官名でもない名称を用いたのである。《今鏡》宇治の河瀬の巻に「うれしき」「いはいを」と見え、《増鏡》村時雨の巻に「女蔵人高砂」、《千載和歌集》に「皇后宮若水」、《続後撰和歌集》に「高陽院木綿四手(ゆうしで)」とある類である。
仙洞、および執柄家の女房には、このほか、かた名、むき名、小路名というものがあった。かた名、むき名は、方角をつけたもので、東の御方、西の御方という類である。そのなかでも、かた名のほうが上等で、むき名のほうが下等である。これは、曹司して住んでいる方角によったもので、また一の対、二の対など、殿舎の称によってつけたのもある。
■小路名とは、京都の町名をつけたものである。《禁秘御抄》上臈の条に「禁中に小路名なし。仍て最上と雖も大納言と号す」とあって、執柄家上臈の女房につけたのである。もっとも、そのなかでも、一条、二条、三条、近衛、春日は上等、大宮、京極は中等、高倉、四条は下等である。
■このほか、宣旨(せんじ)という名をつけたのもあった。これは、立后の時、その宣旨をとり伝えたものであるから、中宮の宣旨といい、また宮の宣旨ともいう。(…)
また、女房の名前の下には、キミ、御(ご)、オモトとつけていったことがある、これは、男の何卿、何ぬしといっているように、敬称をもちいたのである。《紫式部日記》に「民部のおもと」といい、《大和物語》に「少将の御、伊予の御」とかいてある類である。』(引用了)
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