大河「平清盛」から、鳥羽法皇の裘代姿。
うん、これを待っていたよ!!
白河法皇の脂ぎった裘代姿もよかったけど、鳥羽さんの御落飾を、大河放送前から待っていたよ~!!
\(^o^)/
だってこんな美形法皇様、なかなか見られないものね~。
私は坊主好きというより、落飾した上皇や親王が好きで、さらにそういった方のお召し物が大好きなので…
◇端正で!
◇そこそこの年齢の!!
◇出家した!!!
◇治天の君の!!!!
◇裘代姿!!!!!
これは…これは…
ロイヤルストレート
フラッシュ!!!!!!
ですよもうww
おありがとうございますッ。
ごちそうさまでございますッ。
この調子で、鳥羽さんと璋子さんの第五皇子、後白河さんの同母弟、紫金臺寺御室覚性入道親王もよろしくどうぞひとつよろしく。
裘代(きゅうたい)は
法皇、(入道)法親王、
及び、大臣から大納言からの出家者、また僧正などの高位の僧侶が、参内の折などに着たものです。俗人の直衣に相当します。
なんといっても、長く引いた裾!!!!
しかも、襞付きで、贅を尽くした絹織物の質感が、たっぷりと、あますことなく味わえるという!!!!
もうなんだか法皇様が絹に埋もれているようにさえ見える露出度の低さ。
それなのに、闕腋(わきあけ)で、下に着た衵(あこめ)が腋からチラチラ見えてしまうのです!!!!
淫靡過ぎますね!!!!
たまりませんね!!!!
ふ~…。やっぱり貴いお方のお召し物は、裾は長く、袖は深くないと~。
たっぷりの布の海ですよ。動く必要なんてないんですから!!!!
これがハイビジョンで見られるとは、良い時代に生まれました…。
ただ、何故かは知らないのですが、白河法皇も鳥羽法皇も、裘代の上から五条袈裟を懸けてくれないので、萌えが減ります…。袈裟を着けてないところが見られたのはとってもレアなので嬉しいのですが、帯の位置が高いように思われるのは、袈裟の下を見た事がなかっただけでこれが普通なのか、どうなんでしょ?
うーん。ローブとかガウンみたいに着付けてるのかなあ…。 しかし袈裟懸けたとこも見たいなあ…。しまらないもの。
というわけで袈裟つきで裘代。
ふー。これよ、これなのよ…。
裘代の料は、
・五条袈裟
・衵
・大帷
・指貫袴
・大口袴
・襪
・檜扇(夏は蝙蝠)
・数珠
です。
裘代とほぼ同じ形の「素絹(そけん)」という法衣もありますが、こちらはその名の通り、生絹(すずし)などで仕立てた裏無しのもので、裾も長くて清楚でよいのですが、やっぱり裘代のたっぷり感に分があると思います…。ふ…っ。
のちに、短く仕立てて裾を引かない「半素絹」「切素絹」など呼ばれるものが出来ましたが、短く簡便な方が一般的になったので、それをただ「素絹」と呼び、本来の長く裾を引くものは「長素絹」と呼ばれるようになりました。
参考資料:「原色日本服飾史」井筒雅風/光琳社出版
『法躰装束抄』(新校群書類従第六巻所収)内外書籍株式會社
おまけ。大河で、時子が母上危篤で泣いてるちび重盛さん達を琵琶を弾いて慰めてあけようとするも、いかんせんへただった…。の図。
時子かわいい…。
「時子」がどうしてああいう人物にされたのかは理解できないけどキャラとしてかわいい…。
最初から演技力とか期待してない分評価甘くなるし。
私は深田恭子が待賢門院のほうがよかったなと思います…。素敵な白痴美が見られただろうになあ…。
もうなんかいっそ重盛が主人公で、義母に報われぬ片恋…とかいう話でいいです。清盛どうでもいい。
清盛が崇徳帝に話し掛けてるシーンがあったのですが、あれ…殿上にあがってたよね??
何の用事があったかはしらないけど、清盛が拝謁を賜っているだけでもよく分からないのに
あの襤褸衣と、乱れた鬢で…
御所によく入れたなっていうレベルのあの格好で帝の御前に出るとか、狂ってるとしか思えないんですが。
しかも、気になって、鳥羽さんの落飾当時で清盛の年齢と官位見てみたら、25歳で従四位下肥後守で、ひきました。うそや…。あんなんで従四位下とかうそや…。もう地下でもなんでもないやん。ちょっとおうちの人もうすこしなんとかしてあげて!!!! お願いだからハブってないでちゃんとお説教して尻蹴飛ばして装束整えてあげて!!!!
つづきで、白河さんの裘代スケッチ。
うん、これを待っていたよ!!
白河法皇の脂ぎった裘代姿もよかったけど、鳥羽さんの御落飾を、大河放送前から待っていたよ~!!
\(^o^)/
だってこんな美形法皇様、なかなか見られないものね~。
私は坊主好きというより、落飾した上皇や親王が好きで、さらにそういった方のお召し物が大好きなので…
◇端正で!
◇そこそこの年齢の!!
◇出家した!!!
◇治天の君の!!!!
◇裘代姿!!!!!
これは…これは…
ロイヤルストレート
フラッシュ!!!!!!
ですよもうww
おありがとうございますッ。
ごちそうさまでございますッ。
この調子で、鳥羽さんと璋子さんの第五皇子、後白河さんの同母弟、紫金臺寺御室覚性入道親王もよろしくどうぞひとつよろしく。
裘代(きゅうたい)は
法皇、(入道)法親王、
及び、大臣から大納言からの出家者、また僧正などの高位の僧侶が、参内の折などに着たものです。俗人の直衣に相当します。
なんといっても、長く引いた裾!!!!
しかも、襞付きで、贅を尽くした絹織物の質感が、たっぷりと、あますことなく味わえるという!!!!
もうなんだか法皇様が絹に埋もれているようにさえ見える露出度の低さ。
それなのに、闕腋(わきあけ)で、下に着た衵(あこめ)が腋からチラチラ見えてしまうのです!!!!
淫靡過ぎますね!!!!
たまりませんね!!!!
ふ~…。やっぱり貴いお方のお召し物は、裾は長く、袖は深くないと~。
たっぷりの布の海ですよ。動く必要なんてないんですから!!!!
これがハイビジョンで見られるとは、良い時代に生まれました…。
ただ、何故かは知らないのですが、白河法皇も鳥羽法皇も、裘代の上から五条袈裟を懸けてくれないので、萌えが減ります…。袈裟を着けてないところが見られたのはとってもレアなので嬉しいのですが、帯の位置が高いように思われるのは、袈裟の下を見た事がなかっただけでこれが普通なのか、どうなんでしょ?
うーん。ローブとかガウンみたいに着付けてるのかなあ…。 しかし袈裟懸けたとこも見たいなあ…。しまらないもの。
というわけで袈裟つきで裘代。
ふー。これよ、これなのよ…。
裘代の料は、
・五条袈裟
・衵
・大帷
・指貫袴
・大口袴
・襪
・檜扇(夏は蝙蝠)
・数珠
です。
裘代とほぼ同じ形の「素絹(そけん)」という法衣もありますが、こちらはその名の通り、生絹(すずし)などで仕立てた裏無しのもので、裾も長くて清楚でよいのですが、やっぱり裘代のたっぷり感に分があると思います…。ふ…っ。
のちに、短く仕立てて裾を引かない「半素絹」「切素絹」など呼ばれるものが出来ましたが、短く簡便な方が一般的になったので、それをただ「素絹」と呼び、本来の長く裾を引くものは「長素絹」と呼ばれるようになりました。
参考資料:「原色日本服飾史」井筒雅風/光琳社出版
『法躰装束抄』(新校群書類従第六巻所収)内外書籍株式會社
おまけ。大河で、時子が母上危篤で泣いてるちび重盛さん達を琵琶を弾いて慰めてあけようとするも、いかんせんへただった…。の図。
時子かわいい…。
「時子」がどうしてああいう人物にされたのかは理解できないけどキャラとしてかわいい…。
最初から演技力とか期待してない分評価甘くなるし。
私は深田恭子が待賢門院のほうがよかったなと思います…。素敵な白痴美が見られただろうになあ…。
もうなんかいっそ重盛が主人公で、義母に報われぬ片恋…とかいう話でいいです。清盛どうでもいい。
清盛が崇徳帝に話し掛けてるシーンがあったのですが、あれ…殿上にあがってたよね??
何の用事があったかはしらないけど、清盛が拝謁を賜っているだけでもよく分からないのに
あの襤褸衣と、乱れた鬢で…
御所によく入れたなっていうレベルのあの格好で帝の御前に出るとか、狂ってるとしか思えないんですが。
しかも、気になって、鳥羽さんの落飾当時で清盛の年齢と官位見てみたら、25歳で従四位下肥後守で、ひきました。うそや…。あんなんで従四位下とかうそや…。もう地下でもなんでもないやん。ちょっとおうちの人もうすこしなんとかしてあげて!!!! お願いだからハブってないでちゃんとお説教して尻蹴飛ばして装束整えてあげて!!!!
つづきで、白河さんの裘代スケッチ。
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