この回の楽しさは異常でしたw
まず、前回の予告カットを見た時、久島さんの手元に届いた手紙の差出人「一之瀬カズネ」は女性だと思い、昔の女性の話かなと思ったら昔の美少年の話だったという…。
まさに犬っころのようだったカズネ君。慕われてる久島さんの嫌そうな顔が良かったです。
しっかし、ぷりっぷりの美少年だったカズネ君が老後CV:野沢那智になってたのがびっくりだよw
ただ、性格は変わってない所もあるようで…浜辺で体育座りしてる老ヴァイオリニストはかわいすぎでしたw
しかも久島さんヴァイオリン奏者だったんですかー!!いやー、理系の音楽家って結構好きなんですー。音楽って、結構数学的な一面もありますもんね。…私には三分損益法さえ殆ど理解できてないけど!
【あらすじ】
久島に貰ったチケットで、クラッシックコンサートに行ったミナモ。その響きに感動して、終演後も席に留まっていると、ヴァイオリン奏者一之瀬カズネから楽屋に呼ばれる。
実は、彼は昔ヴァイオリンを弾いていた久島に憧れて演奏家を志した人間だった。
久島は十代ですでにいくつものコンクールで優勝しており、『完全純正律』という、澄み切った和音を響かせるための超絶技巧の持ち主だったらしい。だが、17歳の時に音楽から離れてしまっていた。一ノ瀬は、成長し演奏家となってから久島にチケットを送り続けていたが、久島が会場を訪れる事は一度もなかったという。
久島に認めて貰いたい一心でヴァイオリンを弾き続けてきた一之瀬は、失意の中で、今回のコンサートを期に引退を決意していた。そして、久島から譲られたヴァイオリンをミナモに託し、元の持ち主へ返してくれと頼む。
ミナモはそれを快諾したが、久島はけんもほろろにヴァイオリンを突き返す。
困惑するミナモは、波留の事務所でその事を打ち明けた。久島が音楽をやっていたことは、ソウタどころか波留も知らなかった。
久島の身の回りには、音楽に関するものが存在せず、興味が無いように見えるという。波留は、久島には『自分の中で終わってしまった物に対して、そういった態度を取る傾向にある』ようだと語る。
『終わってしまったことだからコンサートにも行かないの?それって、薄情すぎるよ…』と、うなだれるミナモ。受け取ってしまったヴァイオリンをどうしたらいいのか、彼女の直感は何かを囁いているが、はっきりとは掴めないでいた。
波留はそんなミナモに、あなたの思うようになさい、と言い、私もミナモさんを見習ってみましょう、と言うのだった。
ヴァイオリンを見つめて、一番いい方法を考え続けるミナモ。
一方、電理研では、久島の許を訪れる波留の姿があった。
65年の歳月を越えた思いの行方は──?
「つづきを読む」であらすじの続きとネタバレ感想。(細かくて長いよ!)
…でもよんこまのネタはしっかり終盤の場面だったりして…。
あらすじのつづき。
カモメ食堂で、流れてきたカズネの演奏を聴いたミナモは、やっと答えを掴まえる。
久島と対面した波留は、『音楽をやって居たなんて知らなかったよ』と切り出す。久島は仏頂面で『聞かれなかったから言わなかった』と返す。
完全純正律のことに話が及ぶと、『そんなものはただの技術だ。才能とは呼べない』と久島。
『ならば、君の言う才能とは、何だ?』と波留が問うと──。
『愛』と一言。
鳩が豆鉄砲食らったような顔をする波留の前で久島は淡々と続ける。『ベクトル、熱意、執着、情動。…どう言い換えても良い』
──つまり、久島の考える才能とは、技術ではなく『情熱を保ち続けられるということ=愛』、らしい。
『完全純正律についての難解な解説を聞いている内に、方程式を解くのに似ているなと思ったよ』と波留。
『だが音楽というものはむしろ円周率を解いていくことにに近い』と久島。
中世ドイツの数学家ルドルフ・ファン・コレインの出した、小数点以下35桁までの解。円周率の実用に足る範囲はこのあたりまでと言われている。
音楽に言い換えれば、この35桁までを求めることが技術を極めること。この先を求めることは、意味の薄い行為だ。しかし、真理を求める者にとっては、計算し続けることによってそれへと近付いて行く、その行為こそが目的となり得る。飽くなき探求者であり続けられることこそが、『才能』なのだ──。
久島は、実用的な範囲で事足りてしまった。それ以上を求めるほどの『愛』が無かった。だから、音楽を止めたのだと言う。
しかし、一之瀬カズネは違った。久島はとっくに、カズネに『才能』を見出していたのである。
『愛がなければ、長年音楽を続けて来れまい』──と云う久島に、波留は『長年、君にチケットを送り続けることも出来なかった』と突き付ける。『一之瀬さんにとっては、君は音楽そのものなんだよ。』
『過ぎた評価だ』と久島。『ならば、正してやればいい』と波留。
久島はふと、神妙な顔で、波留に向かってこう聞いた。
『…私は薄情者か?』
しかし波留は、そんな事はないさ、と答える。今度は久島が目を瞠る番だった。
『君は50年以上も地球律を追い続けていた。──それに、僕が目覚めて以来、昔以上に活気付いて見えるのは…僕の気の所為かな?』
膝の上の拳を握り締める久島に、波留はなおも続ける。
『次は君が、彼の許へ帰ってあげるべきだと思うよ。』
笑ってそんな事を言う波留に、久島はもはや、額を覆い天を仰ぐしかなかった。
夕暮れの浜辺、子供のように膝を抱えて座っている一之瀬カズネ。ミナモが現れ、その隣に佇む。
結局ミナモは、一之瀬にヴァイオリンを返すことに決めたのだった。
『私はやはり永一郎さんには認めて貰えませんでした…』と沈み込む一之瀬は、ヴァイオリンをミナモに進呈すると言い出す。
ミナモはきっぱり『そんなの嘘です!一之瀬さんには、まだヴァイオリンが必要なんじゃないですか?』と言い切った。
『今はまだ久島さんに聞いてもらえなくても、諦めずに続けることに意味があると思うんです』
求め続ける情熱。ミナモの出した答えは、図らずも、久島の言葉にも通じるものだった。
ミナモが拙いながらもリコーダーで演奏する姿に、少年の日の自分を重ね見た一之瀬は、立ち上がり、ヴァイオリンを手に取った。
風に乗って渚に響き渡る音色。
波留と久島が、並んでその心地よい調べに耳を傾けていた。
己に残された時間の短さを思い、君に追いつけるだろうか、と呟く波留。
久島は振り返って言う。『お前は帰って来た。──そして、歩み出している。…私は音楽以上の者を見出して、追い続けてきた。簡単に追いつかれては、かなわない』
『私にも、《才能》が備わっていればいいが…』小さく波留が笑った。
『愛のない人間など、居ない』そう口にした久島の表情は、見えなかった。
おわり。
【感想】
毎回久島さんつながりのネタは「あなたどんだけ波留さんのことが好きなんですか!!」と思わしめるものばかりなんですがー、今回は激しかったですねー!
自分の情熱の終わりが見えた所でキッパリ手を引いてしまい、全く関わらなくなってしまう、というのは、違う見方をすれば、誠意と取れなくもないですが。生半可な気持ちで続けていては、本当に才能のある人間には失礼だ、才能ある人間こそ音楽を続けていくべきだ、とか、そういう思いもあったのかも知れません。
それにしたって、オール・オア・ナッシング…極端すぎるー。 久島さんってやっぱり相当偏屈な人だったんだなあ…(笑)
しかし、波留さんの命綱を片腕複雑骨折しても絶対離さなかったとか、50年も昏睡状態の親友を待っていたとか、全身義体化しちゃったとか、今まで波留さんや地球律に対する執着の強さばかり見ていただけに、情熱家だと思ってた…興味のないことに対しては冷たそうだなと思ってたけど、これほどとは(笑)
いやでも、マイナスの振れ幅(無関心)の大きさと、プラスの振れ幅(執着)の大きさとをトータルして考えると、えらいことになりそうですね~!
久島さんの『才能=愛』論は、聞いたとき私もびっくりして吹きましたが(失礼)
だってそもそも、完全純正律を十代で習得しているという点で常人離れはしてるわけで。どれだけ努力したってそこまで行けない人だって居る、ふつう…一般的にはそれを才能と呼びますよね。
久島さんの言う才能は、技術を越えた、その先の高みにあるもの。
けれど、それを言ってしまえるのは、ある地点にまで達した人間だけ。天才ではないのかも知れないけれど、普通より高いステージにいる人の言葉だから、常人にはちょっと解りづらい。
一ノ瀬さんはきっと、常識的な価値観の持ち主なんでしょう(多分)。だから長い間、それがわからずに苦しんでいたんでしょうね。
あと、久島さんの場合、若いときに波留さんの海バカぶりを見ていて、情熱の力とかそういうものを痛感していたんじゃないでしょうかね。久島さんにとって、眠り続けていた波留さんの存在は、カズネにとっての久島さんのように、追い求めるべき真理の象徴だったのかも知れません。だから、『私にも才能があればいいが』と言った波留さんに、はっきりとは返事をしなかったんじゃないかと思います。波留さんが目覚めた今は、また意味合いも違ってきているのかも知れませんが。
あと、波留さんの『僕が帰ってきてから活気付いて見えるのは気の所為かな?』とか「次は君が彼の許へ帰ってあげるべきだ」って…
それって
『君が僕に向けてくれる情の深さを知っているよ』とか
『僕は君の許へ帰ってきたんだよ』
とか、そういう事でいいですか? いいんですか? いいんですよね!?
…そう思うことにします(笑)
いやー、笑ってそんな事言う波留さんもなかなかお人が悪い。もっともこのお二人の場合、両方とも曲者というか、一見まともそうに見えて実はかなり偏屈…天才肌とか研究者肌とか…ですよねー…。