来年は丑年。
そろそろ年賀状のことで頭が痛い。
というわけで
日本の在来牛について疑問がわいたのでちょっと調べてみた。
主に中古代で。
+乳製品
+牛車の種類についても簡単にまとめてみた。
でも、やっぱり図がないとわかりにくいね…。
つづきから。
◆日本古来の牛
・牛はもともとアジア~欧州各地に在来しており、日本にももともといた。
・縄文時代に家畜化が始まったと見られる。
・奈良時代の太宰府の道路の遺跡には、牛車の轍とおぼしき跡が発見されている。
・また、牛が牽いたかどうか定かではないが、大型の車輪(平安期の牛車のものと似る)も出土している。
・肉食が行われなかった為、肉用牛はつくられなかった。主に役用・農耕用で、今の肉牛に比べると前駆が発達した姿(鋤や車を牽引する為)。色は黒~褐色で白斑のものもいた。
・西国では牛が多く見られたが、関東以北では馬の方が多かったらしい。
・鎌倉末期に国産牛の銘柄(?)を産地別に絵図で記した『国牛十図』がある。記載されているのは、筑紫牛・御厨(肥前)牛・淡路牛・但馬牛・丹波牛・大和牛・河内牛・遠江牛・越前牛・越後牛。
◆乳製品
乳製品の製造及び食用は貴族及び後世特権化した武士階級が滋養の為に服用していたなど、一般ではまったく馴染みのないもので、細々とは行われていたものの、近世に入って食生活が欧米化するまで、浸透はしていなかった。
・古代でも、渡来系の人々の間には牛乳を飲む習慣があった。
・酥(蘇)、酪、醍醐(練乳・バター・チーズに似る。いずれも仏典にその文字が見られる)などの加工品として食用利用の例が見られる(延喜式など)。
・ただし超高級食材で滋養薬扱いだった。
・典薬寮が乳牛院を持っていた。
・地方から酥を献上させる『貢酥』制があったり、正月に宮廷から大臣などへ酥などを給わったりした(この使いを酥甘栗使…そあまぐりのつかい…という)。
・後醍醐さんは貢酥を復活させようとしてたけどだめだった(建武の頃にはこの制度が絶えていたことを示す)
◆牛車
・時速は3~5Km。徒歩とさして変わらない。…が、貴族が外出する場合、車の世話をする車副や牛飼童だけでなく舎人・御随身等々従者が大勢ついて歩くので、速さというよりも運搬の便とか、姿を人に見られないとか、ステイタスとか、そういう点で牛車は重要だったのだろう。
・車輪はだいたい直径2mくらい。かなりでかいし音もでかい。
・乗車には踏み台(榻)を使い、車の後部から乗り、前方から降りる。
・乗車定員は四人、一人で乗る時は前方左側に右を向いて座る。二人以上の時は、前方は右、後方は左側が上席で、向かい合って座った。男女の場合は男性が右側に座る。
・女性が乗る時は衣の裾を後部の簾から出して見せる(出衣…いだしぎぬ)。男性がお忍びの時に女車に偽装するため出衣をすることもあった。
・防水ではないので雨ざらしになると漏ってくる。その為、雨天には雨皮(あまかわ)といって生絹や油紙で作った覆いや筵を懸ける。
・かなり揺れるしサスペンションも悪いので車酔いする体質の人は大変だった。
◆牛車の種類
▲唐車(唐庇車)
からぐるま、からびさしのくるま。屋根が建築の唐破風の形であることからいう。牛車の中では最大・最上級で、物見窓がつき、車体は檳榔(…びんろう・びろう、ヤシの一種)の葉で編む(糸に変える事もある)。屋根の軒、屋形(車体)下部に葉の端を房にして垂れる。
上皇・皇后・東宮・准后・親王や、摂関の晴れの乗用。※帝は牛車ではなく輦(れん)に乗る。ちなみに、人力の車(輦車てぐるま)もあった。
▲檳榔毛車(毛車)
びろうげのくるま、びろうぐるま。けぐるま。屋形を檳榔(葉を細かく咲いて白く晒す)又は菅で貼り覆う。物見窓がない。
上皇以下四位以上、僧正・大僧都、女房などが使用。
△変形に檳榔庇車(びろうびさしのくるま)があり、こちらには庇と物見、半蔀(はじとみ)がある。
▲糸毛車
いとげのくるま。色染めの撚糸を組み緒にして屋形を覆い、上から金銀で『カ(穴+果)の文』を飾った。庇(無い場合もある)や車体下部には緒の糸端を房にして垂らした。
女性用だが、東宮の使用例もある。組み緒の色で区別がある。
△青糸の車は皇后・東宮・斎院の乗用
△紫糸は更衣・内侍・典侍の乗用
△赤糸は賀茂祭見物に出る時に女性が用いた。
▲網代車
あじろぐるま。屋形を竹や檜皮(ひわだ)で斜めに網代組みにして仕立てる。物見有り。屋形には彩色や文様が施され、バリエーションが豊富。
△白網代…屋形全体が白い網代車。
△袖白…屋形の、袖と呼ばれる部分(前後の壁)が白い網代車。
△上白…棟(屋根の中心)と物見窓の上だけが白い網代車。
▲文車…もんぐるま、あやのくるま。家紋を施した網代車。
四位・五位・中将・少将・侍従・兵衛督等の乗用。
▲八葉車…はちようのくるま。八葉文(大円の周りに七つ小円を並べる)を施した網代車。
紋の大きさによって大八葉車(大臣・公卿・僧正の乗用)、小八葉車(弁・少納言以下の乗用)がある。中型の軽装車として略式・褻(け)の時・遠出の時など、広く用いられた。
▲半蔀車…網代車の物見に半蔀をつけたもの。
上皇・摂関・大臣など大将以上・高僧・女房が使用。
▲網代庇車(庇車)…唐庇の屋根、連子物見のある網代車。屋形は白い。
上皇・親王、また大将以上の乗用。
▲雨眉車…あままゆのくるま。網代庇車と同形(唐破風の庇)だが、屋形は網代でなく檳榔を用いる。
上皇・親王・摂関などが直衣を着て乗車する、常の用。
▲金造車…こがねづくりのくるま。車種不問で金の金具が用いられた物を指して言う。銀製金具なら銀造(しろがねづくり)。
金造の糸毛車は典侍級、金造の檳榔毛車は女蔵人級、銀造の糸毛車は命婦級の常用という。
(牛車部分参考資料;「平安時代の信仰と生活」至文堂、あと広辞苑)