ささくれにミカンの汁がしみる…
寒の入りを迎えて寒さも増してきましたね。
今日は七草の節供ということで、七草粥炊いてみました~。
といっても、若菜を摘みにいく野もない場所に暮らしてますので、
スーパーでパックに入ったのを買ってきましたけどね。
静岡産。
白粥を炊いて、刻んだ七草は最後に乗せて蓋をして火を止める、くらいでいいらしいです。香りを飛ばさないため。春の味といえば、苦みと香り、とよく言いますしね。
しかし、この節句にも云えると思うのですが
本来は陰暦正月七日の行事…ということは、本来若菜を摘むのは今の二月なわけで、いま七草探しに行っても見つけるのたいへんだよな、きっと。
温暖化で暦が季節に追いついたら、それはそれでせつないけど…。
というわけで、以下に七草の節句についてのメモ。
は、そういえば正月行事について見ていたのですが
正月二日の「姫はじめ」は正月さいしょのほにょほにょじゃなくって「姫飯」(ひめいい)を食べ初めること、だそうです。
正月行事の間は「強飯」(こわいい)蒸し米の堅いご飯を食べて、やわらかく炊いた「姫飯」に切り替えるのがこの日だからとか…
正月からヒワい下ネタを言う人には冷静に突っ込んであげましょうw
…ほにょほにょっていう説もあるらしいですけどね。
■七草の節供
正しくは、「人日の節供」(じんじつのせっく、ひとのひのせっく)
五節供の最初。『荊楚歳時記』(中国最古の歳時記といわれる。荊・楚国の年中行事を記す)の記述による。
もとは「七種菜羮」(しちしゅさいかん)といい、野辺の七種類の菜草を摘んできて、羮(あつもの)、つまりお吸い物というかスープというか、汁物にして食べ、無病息災を祈るというものだった。雪間の若草の生命力をいただこう、というもの。
江戸時代には幕府の公式行事で、将軍以下諸侯が七草粥を食べた。
■七種粥
・平安時代早くには正月十五日の行事として七種粥(ななくさのかゆ)の記述が見られ(『延喜式』)ここでいう七種は、七種類の穀物…米・粟・黍(きび)・稗子(ひえ)・みの([草冠+日+土]子。蓑米、カズノコグサ)・胡麻・小豆…のことで、つまり雑穀粥。それに、若草を羮にして添えた。
■春の七草粥
『芹薺御形繁縷仏座菘蘿蔔これぞ七草』
…の、「春の七草」がおおよそ決まり、粥に入れられるようになったのは室町時代頃とされる。これは、この行事が宮中のものから広く庶民のものとなる過程に比例すると思われる。
ちなみに中古には、ゑぐ(黒慈姑クログワイ)、すみれ、なずな、さわらびなども摘んだ、という記述を見つけたが、他にも普通に野草食べてたんだから、別にとりたててこれこれっていうわけでもなくて、適当に好きな食べられる草を摘んできていたのだろう。場所柄とかもあろうし。
■いくつかの要素がからみあう
・若菜摘み
人日節供は早い内から日本でも正月の行事だった。
「籠もよ み籠持ち、堀串もよ み堀串持ち、この岡に若菜摘ます子、家告らへ。名告らさね」
と万葉集ののっけからあるように、古代のお嬢さんは身軽に野に出て若菜を摘んだりもした。
籠もって土堀る串もって、連れだって、ひらひら袖や領巾そよがせて野を行けば、この歌のように若い男にナンパされたりと、なかなか心はずむ行事でもあったのだろう。
まあ平安時代になると姫君は九分九厘インドアなので、若菜なんか摘みに行けなかっただろう。それでも、若菜といえば初春の、心はなやぐことばでありつづけた。
・子の日の小松(ねのひのこまつ)
正月最初の(最初でなくても構わないらしいが)子の日に、若い松(苗といえるくらいの大きさ)を引き抜く、というもの。松の生命力を貰い受けようというもので、これも中国に由来するという。
これも本来は野に出て若い松を引くのがほんとうだろうが、貴族が庭でお子さんに引かせて眺めたりする時には、どっかから掘って来させたのをお庭に適当に埋め直したりしたんだろう。
人日とは別物だったが、若菜を摘むのと意趣としては似ているため、次第にごっちゃになっていった。
引き抜いた小松をあつものに入れて食べたりもしたというが、これもすでに人日との混同ということか。
まあ、ただでさえ行事の多い正月、似たようなもの同士で混乱が起きても何の不思議もないかな。
■おまけ
・鳥追いとの共通点
粥に入れる七草を刻むときの呪文がある。
地方によってかなり文句に違いがあるようだが「『唐土の鳥』が来る前に~」という意味は一致しているようだ。
「ななくさなずな、とうどのとりが、わたらぬさきに、」
などと唱えつつ、まな板の上の七草をトントントンと大きな音を立てて刻む。
疫病を運ぶ悪い鳥を追い払うという。唐土とはもろこし、中国のこと。
これと似た風習に「鳥追い」というものがあって、正月十五日に、豊作を祈って害鳥を追い払うため、鳴り物を打ち鳴らしながら練り歩くものである。
この二つはいずれも前出の『荊楚歳時記』の記述がもとになっていると考えられている。
曰く、
「人日の夜には夜行遊女という鬼鳥が飛ぶ。この時子供の肌を露わにしてはいけない。この鳥が血を滴らせて印をつけるからである。血を付けられた子供はひきつけを起こしてしまう。
また、鬼車鳥という鳥は家に入ってきて魂を吸ってしまう。荊国の人は夜にその鳴き声を聞くと、すぐに灯りを消して門を打ち鳴らし、犬の耳を捩ってこれを追い払う。」
という。犬の耳をひねるのは、吠えさせるためなのだろうか。ちょっとかわいそう。
とにかく、大きな音で悪い鳥を追い払う、という点は、鳥追いもまな板たたきも一緒みたいですね。
渡り鳥がもたらす害っていえば、鳥インフルエンザ?
いや、鳥が疫病を運んでくるっていうのは、昔から言われていた事みたいですね。