『…すがる娘子(ヲトメ)の その姿(カホ)の 端正(キラキラ)しきに
花の如(ゴト) 咲(エ)みて立てれば…』[万葉集9-1738]
『咲』という字は、実は『笑』の古字で、
上の長歌に見られるような『咲(エ)む』『咲(ワラ)う』という用法が
むしろ本来の字義に適ったものなのですが
中古以降の日本では、専ら『咲(サ)く』という方に使われています。
また、『さく』という、やまとことばは、『割く』『裂く』に通じるといい
パッと破裂するように花がひらく、というイメージを持つようです。
(『栗が笑う』という表現も、裂ける、に通じるものですよね)
中国語の辞書を引いてみると、一般的な表現としてはただ『開花』です。
まず漢字が輸入された当初は、この表記をそのまま使用しています。
日本書紀の『木花之開耶姫(コノハナノサクヤビメ)』の名や、
万葉集の『~本辺(モトベ)は 馬酔木(アシビ)花開(サ)き~』[13-3222]などの歌に見られる
『開(サ)く』は、『咲(サ)く』定着以前の表記の名残なのでしょう。
いつの、どこの誰とも知れないけれど、
歌の心を持ったとある人が
『人が笑むように開く花』を、
あるいは逆に、
『花開くようにうるわしく笑むひと』を、
詩歌につくったのがはじまりなのかもしれない…という妄想…。
おーはなーがわーらったー♪
って歌もありますが
比喩表現がはまりすぎて本義を喰っちゃったんだなあ…。
花が『ひらく』ことを、『わらう』『えむ』と見立てた人がいて、
花が『さく』ということばに、『咲』の字を宛ててみた人がいて、
いいねえ、私も使おう、と思った人がいて、
ずっと使い続けて、肌に馴染んで、意識もしない血肉になって、
わたしたちは、この春も『咲く』花を見ています。
携帯カメラでもこの空の色。
折角良い天気だったのに、デジカメを忘れたという…。
拙宅周辺は満開が秒読みです。
今年は、北へとのぼっていく桜前線の
背中を追い立てたい気持ちです。
桜が枝一杯に満面の笑みをうかべたら
きっとたくさんの人を笑顔にしてくれますよね。