(まだ見てないけど)大河に傀儡がでてきたそうなので、復習で読み下し。
短いので訳も。
『傀儡子記/大江匡房』
傀儡子は、定居無く、當家無し。穹廬氈帳し、水草を遂て以て移徒するは、頗る北狄の俗に類す。
(傀儡子は、定まった住処や、しかるべき家を持たない。天幕を張り、毛織物をとばりとし、水草を追うように移住していくことは、北狄の風俗によく似たものである。)
※穹廬氈帳(きゅうろせんちょう)穹廬は、中国北方民族のテント、ゲル(パオ)。氈は毛織物、おりかも。「漢書」鳥孫公主悲愁歌中に『穹廬爲室兮氈爲牆』とあり(西域伝/鳥孫国)。
※北狄(ほくてき)匈奴など、中国北方の異民族。
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男は則ち皆弓馬を使ひ、狩猟を以て事と為す。或は双剣七丸を弄し、或は木人を舞はせ、桃梗を闘はせ、生人の態を能くすること、殆ど魚龍曼蜒之戯に近し。沙石を變じて金銭と為し、草木を化して鳥獸と為す。
(男は皆弓を持って馬に乗り、狩猟を行って仕事にしている。あるいは、剣舞やお手玉の技を見せる。また、木の人形を舞わせたり、操り人形を闘わせたりして、生きた人間の様子を模すことは、ほとんど、書物にある散楽の『魚龍曼蜒之戯』に近いのでは、と思われる。砂利を金銭に変えたり、草木を鳥や獣に変えもする。)
※桃梗(とうこう)邪気を払うとされる桃の枝で作った人形。(戦国策/孟嘗君將入秦『今子東國之桃木、削子為人。』)
※魚龍曼蜒(ぎょりゅうまんえん)不詳だが、水槽や龍の張子などを使った大掛かりなアトラクションだった模様。(「通典」楽典/散楽『魚龍漫衍之伎常陳於殿前』)
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□□□女は則ち愁眉に啼くを為し、折腰の歩を粧ひて、齲齒のごとく咲ふ。朱を施し粉を傅す。倡哥淫樂し、以て妖媚を求む。父母夫誡せざるを知る。丞ち行人に逢ふと雖も、振容を嫌はず。一宵の佳會、微嬖の餘、自ずから金繍服錦、金釵鈿匣の具を献ずれば、之を異に有せざるはなし。
(女は、細く愁わしげな眉、泣き跡の残るような目元をつくり、しなしなと腰を折って歩き、物憂く微笑み、紅を差し白粉を塗って、魅惑的な歌舞戯で媚を振りまく。父母や夫が戒めないことを知っているので、行きずりの者にも愛想よく微笑んでみせる。客は一夜のこころよい酒席のあとで、想いの余りに豪華な衣装や宝飾品を贈るが、女の方では、大概のものは既に同じ品を持っている。)
※淫楽…激しいリズムや速いテンポの情熱的な音曲。礼楽思想の下ではそうした曲調は亡国の調べともみなされた。ただ、これも書を引いてのものの喩えなので、彼女らの音楽が厳密にこのようだった、というわけではないだろう。
※「…漢桓帝元嘉中、京都婦女作『愁眉』『啼粧』『墮馬髻』『折腰步』『齲齒笑』。
『愁眉」者、細而曲折。『啼粧』者、薄拭目下若啼處。『墮馬髻』者、作一邊。『折腰步』者、足不在下體。『齲齒笑』者、若齒痛、樂不欣欣。…」(「捜神記」巻六)
細く折れ曲がった眉、涙を拭ったように汚した目元、馬から落ちたように崩れた髻、足がきかないようなよろよろ歩き、虫歯の痛みを堪えるように楽しくなさそうな笑い方。
…全部実行してたら凄い事になりそうですが!ここは全体で『男心をそそるような、入念な化粧と仕草』くらいに取るのがいいかと思います。
…全部実行してたら凄い事になりそうですが!ここは全体で『男心をそそるような、入念な化粧と仕草』くらいに取るのがいいかと思います。
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一畝の田も耕さず、一枝の桑も採らずして、故に縣官にも属さず。皆土民に非じ、自ら浪人と限ず。上は王公を知らずして、傍の牧宰も怕れず。課役の無きを以て一生の樂と為す。夜は則ち百神を祭り、鼓舞喧嘩を以て福助を祈る。
(耕作も養蚕もすることはなく、その為、県官の管理を受けない。皆土地に根付いた者ではなく、自らを浪人と思い定めている。雲の上の上達部はおろか、身近な国司さえ恐れない。租税を課されない人生を幸せだと思っている。夜は多くの神を祭り、鳴り物入りで踊り騒いで、幸運を祈る。)
※牧宰(ぼくさい)国司の唐名。
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東国は美濃参河遠江等の黨を豪貴と為し、山陽の播州、山陰の馬州土黨これに次ぐ。西海黨を下と為す。其名儡則ち小三、日百、三千載、萬歳、小君孫君等也。韓娥の塵を動かし、餘音の梁を繞るを聞かば、霑纓自ら休むこと能わず。
(東国の、美濃、三河、遠江などに威勢のある一党がおり、山陽の播磨、山陰の但馬がこれに次ぐ勢力をもっている。西海の集団はこれらよりは劣っているといわれる。
名のある傀儡子は、小三、日百、三千載、萬歳、小君、孫君などである。
彼女らの歌声は、いにしえの歌姫韓娥のごとく塵を震わせ、余韻はいつまでも梁をめぐる。それを聞く者は、思わず、冠の纓(えい)を止めどなく濡らしてしまう。)
※「又有韓娥…既而去、餘響繞梁、三日不絕。」「漢有虞公、善歌、能令梁上塵起。」(「通典」樂典/歌」)残響が梁をめぐったのは韓娥、塵を動かしたのは虞公。この故事は、「梁塵秘抄」の由来でもある。
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今樣、古川樣、足柄片下、催馬樂、里鳥子、田哥、神哥、棹哥、辻哥。満周[ィ固]、風俗、咒師、別法士の類、勝れるを計るべからず。即ち是れ天下の一物なり。誰かは哀憐せざらん哉。
(今様、古川様、足柄片下、催馬楽、里鳥子、田歌、神歌、棹歌、辻歌、満周、風俗、咒師、別法師の類は、いずれが優れているか、はかることはできない。これらは天下に誇るべきもので、哀れと思い、いつくしまない者はない。)
(了)
底本:『新校羣書類從 第六巻消息部』(内外書籍株式會社)
参考:『梁塵秘抄口伝集 全訳注』(馬場光子/講談社学術文庫)
【追記】語注を入れました。
大河「平清盛」十八話も見ましたが、青墓の傀儡衆は…うーん。男の芸人さんもいて、蜻蛉返りしてた人がいたのが散楽っぽかったくらいでしょうか。あとロボットダンスくらいしか覚えてないですw
そもそも今上帝が危篤って時に不破関越えてまで美濃くんだりまで御下向の宮様とか理解の範疇越えてますが。
穹盧って、ゲルのことなんですけど、実際の傀儡の穹盧はどんなものだったんでしょう。
しかし、漢書とか通典とか搜神記とか、これだけ短い文章にも江帥の博覧強記ぶりがサラッとあらわれてますね。
ただ、裏を返せば『漢籍から引用した雅語を並べただけで、実はあんまり実態に則してないんじゃないか?』というきらいも…。確かに『遊女記』に比べると具体性には欠けるかなという気はしますし、色々と割り引いて考えるべきなのかも知れません。
ただ、裏を返せば『漢籍から引用した雅語を並べただけで、実はあんまり実態に則してないんじゃないか?』というきらいも…。確かに『遊女記』に比べると具体性には欠けるかなという気はしますし、色々と割り引いて考えるべきなのかも知れません。
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