『平安貴族の環境 ー平安時代の文学と生活』(至文堂)より
「平安時代の地方官職」内容のまとめ(1)
■受領国司の任用
【新叙】新しく受領に昇るもの
・例:外記巡の場合
・宿官
【旧吏】受領の任期を満了したもの
・恐怖の業績査定
・審査項目
・公文勘済の重視
・治国加階
・摂関期の実例(平惟仲)
「つづきを読む」から本文。
■受領国司の任用
・受領任用の際、候補者には、大きく分けて「新叙」と「旧吏」があった。
【新叙】新しく受領に昇るもの
蔵人、院、式部丞、民部丞、検非違使(左右衛門尉)、外記、史、別功が候補。
(↑受領任官に有利であるとされる順。初期には織部正、大蔵丞も)
院は院宮分国の院分受領、別功は何らかの成功をあげたことによる任官。
それ以外の上記部署において要職を勤めた者が毎年叙爵(従五位下)され、 順次受領に任命される。これを「受領巡任」といい、通常の受領任用コースである。
【例:外記巡の場合】
外記局の構成員は全五名。主席の五位大夫外記は別格として、以下
大外記(1)、少外記(2)、権少外記(1)。
毎年、大外記(六位)が叙爵、従五位下に上り、外記局を去る。少外記の上臈の者が大外記に、権少外記が少外記にのぼり、権少外記一名を新任。
つまり、権少外記に任ぜられれば、在任四年で叙爵となる。
他の部署はこれほどかっちりしたローテーションがあった訳ではないが、 式部丞、民部丞は年功序列で上臈の者が毎年一名ずつ叙爵された。
【宿官】
毎年新叙の者が出ても、当然、それほど受領職に空きがある訳はない。そういった者達は「宿官」となって、空きを待つ。
この待機期間中は、
元蔵人・式部丞・民部丞は非受領の権守、 元外記・史は西海道の介、検非違使は東海・東山道の介に任ぜられる。
(※西海道…筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩、及び壱岐・対馬)
(※東海道…伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・ 伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸)
(※東山道…近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽)
【旧吏】受領の任期を満了したもの
宿官を経て晴れて受領となっても、任期を終えて再度受領になることはなかなか難しかった。
【恐怖の業績査定】
四年(陸奥・出羽のみ五年)の任期が終わると、 公卿の陣定(じんのさだめ)において、受領功過定(こうかさだめ)を受ける。
「無過(パス)」か「過(アウト)」かの決定は全会一致でなければならず、未決ならば継続審議。
紛糾しすぎて決定に数年かかる事さえあった。公卿達もそれほど真剣に討議したのである。
【受領功過定の審査項目】
朝廷への税物を完納したか、任国における税の収納に問題がないか、などに関する書類審査。
・調庸惣返抄 ・雑米惣返抄 ・正税返却帳 ・封租抄 ・新委不動穀 ・率分 ・斎院禊祭料 ・勘解由使勘文 及びその他の勘文。
(※返抄〈へんしょう〉は、いわば領収書。 年貢や荘園料などの納入を完済すると〈惣返抄〉が発行される。)
(※〈正税帳〉は毎年受領が提出する税金の納入書。 〈正税返却帳〉はそれに不備等があった場合、主税寮から民部省へ提出されるもの。)
(※新委不動穀…上代、各国で非常用の備蓄米(不動穀)を倉に納め満載となると封印〈不動倉〉。 鍵は朝廷で管理され、非常時に申請があると返還された。その後有名無実となった。)
(※率分…大蔵省に納める調・庸・雑物の10分の2を非常用に別納すること。正蔵率分。 他に、国司交替の際に財政欠損を補填するために、 公廨稲〈くげとう〉の10分の1を積み立てておくものを格〈きゃく〉率分といった。)
(※斎院禊祭料…賀茂斎院の禊祭料。染織品や調度品、染料なども。不備の場合斎院司から奏状がある)
(※勘解由使勘文…国司引き継ぎが滞りなく済んだとの文書(解由)を勘解由使が審査して下す勘文)
【公文勘済の重視】
旧吏のうち、任期終了の時点で返抄などの勘済公文に請印を済ませたものを「任中」、 それより遅れ、任期終了後二年以内に公文の勘済を終えた者を「得替合格」といった。
(※請印…少納言が奏上して、規定の文書に太政官の内外印を請うたこと。)
任中は次の受領職が必ず保証されるが、得替合格の場合、欠員待ちになることも。
二年以内に完納できなかった(公事未済)者は、任用されない。
国によっては数年に亘って勘済されないこともあり、このような国を『亡国』といった。
亡国に赴任して公文勘済したものは、有能であるとして優先的に叙用された。
ただし、疲弊が激しかったり、税収が難しい国の内、石見・隠岐は三年分、 相模・安房・上総・下総・常陸は二年分の税物を納めればよいことになっていた。
【治国加階】
功過定を無過で通れば、『勧賞』『治国加階』として、位一階を進められた。
これを繰り返せば四位三位に至ることも可能である。
一国勤め上げて従五位上、三国で正五位下、四国で従四位下(正五位下はスキップ)、五国で従四位上、 さらに七国で参議に至る。(院政期には五カ国で参議)
但し、実際にはこうしてひとつひとつ位を上げていくよりも、 上つ方や有力貴族の取りなしで別功を給わるなどして加階する方が有利であったことは言うまでもない。 ただ複数国を治めた有能な受領ならば参議にまで上ることが出来た、という点は重要。
【摂関期の実例】
・平 惟仲(944-1005、藤原兼家の側近)
964 文章生
965 刑部少丞
968 右衛門少尉
972 従五位下、美作権守(宿官)、筑後権守 (同)
975 相模介 (受領)
980 従五位上
981 肥後守 (受領)
987 正五位下、右少弁 (弁官コースへ)、大学頭、正五位上、右中弁
988 近江権介
989 従四位下、従四位上、正四位下、左中弁、内蔵頭、右大弁
992 参議
993 近江権介(遙授)、従三位
994 左大弁
995 勘解由長官
996 権中納言
998 中納言
999 中宮大夫
1000 正三位
1001 大宰権帥
1003 従二位
(官位参照:http://nekhet.ddo.jp/people/japan/heishi02.html)