またお久し振りの更新になってしまいました。
この間、web拍手や応援のコメントを下さった方、ありがとうございます。
さて、
本年度(2024)の大河、満を持しての平安時代ということで一応、見てはいます。
最初にお断りしますが、褒めてませんので、絶賛評が読みたい方はいくらでも他にあるでしょうから、回れ右してどうぞ検索し直して下さい。
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この間、web拍手や応援のコメントを下さった方、ありがとうございます。
さて、
本年度(2024)の大河、満を持しての平安時代ということで一応、見てはいます。
最初にお断りしますが、褒めてませんので、絶賛評が読みたい方はいくらでも他にあるでしょうから、回れ右してどうぞ検索し直して下さい。
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私は見ていてしんどいです。
何がしんどいって年端のいかない宮様の短い髪で無理矢理下げ鬟結わせてるのを毎週のように見せられることです。
好きなところや、褒められるところがないわけではないのですが、若宮のお姿を拝見してしまうと気力が蒸発して、褒めたいと思う気持ちも失せてしまいます。
今回の大河は出来うる限りカツラを使わない方針のようで、男性も髪を伸ばしてもらって結い上げているようです。
それはいい試みだと思うのですが、ナマ髪感を出すためなのか、敢えて髪油を少なめにしてあるようで、束帯など畏まった姿でも後れ毛が多く、見苦しく感じます。
直衣や狩衣の時ならまだわかるのですが、せめてTPOで変えて貰いたいですね。
また、これもわざわざ地毛で結い上げた髻を見せようとしているのか、烏帽子が異様に透けているのもどうかと思います。
これはどうも大河清盛のときのやらかしをそのまま踏襲してしまっているようで、まだ後を引きますか。ほんと■■だな清盛は。だから嫌だったんですよあの人物デザイナーとか称する輩。
それはいい試みだと思うのですが、ナマ髪感を出すためなのか、敢えて髪油を少なめにしてあるようで、束帯など畏まった姿でも後れ毛が多く、見苦しく感じます。
直衣や狩衣の時ならまだわかるのですが、せめてTPOで変えて貰いたいですね。
また、これもわざわざ地毛で結い上げた髻を見せようとしているのか、烏帽子が異様に透けているのもどうかと思います。
これはどうも大河清盛のときのやらかしをそのまま踏襲してしまっているようで、まだ後を引きますか。ほんと■■だな清盛は。だから嫌だったんですよあの人物デザイナーとか称する輩。
また、烏帽子については、ナレーションで「烏帽子は下着のようなもので脱ぐと恥だった」というようなことを入れてしまってましたが、烏帽子パンツ言説なんて、既に多くのツッコミも入っているにもかかわらず下ネタミーム化しているようなもの、そろそろ火消しに勤めなきゃならないような段階なのに。良識を疑います。しかも今回ナレーションによる説明は極力抑えられているようなのに、それは入れるって何なんでしょうね。
話をみづらに戻します。
おそらくある程度髪を伸ばしてもらった子役さんの髪をそのまま使っているようなのですが、そのせいで長さが足りません。
みづらはもう少し成長した、元服も近くなっている童が、長くなっている髪を結うものです。
また、幼くて髪が短くても儀礼などに際して結わなければならない場合は付け髪をしていたそうです。
「みづらをゆふこと(略)兒幼くて髪短くば、別に付け髪といふものを、元結たる上に結ひ付けて結ふなり。」(雅亮装束抄)
袴着もまだしていなさそうな年のお子さんに童水干や狩衣を着せたりしていますし、そのくせサイズがすごく小さいのです。
そもそも袙でいいような年齢の子にわざわざ着せているのにサイズも合ってないとは……。とても扱いが雑に見えます。子役さんが可愛らしいだけに、普通に当時の宮様はああいう姿だったんだ、可愛いなと思ってしまう視聴者も居そうでつらいです。本当はもっとかわいいのに……。
みづらも童装束も無理があって、あれだけでも精神力が削られました。
また今回も僧侶の法衣袈裟の扱いが酷いです。
法衣が黒ばっかり。
この前花山帝が落飾されてましたが、出家した天皇(作中時点ではまだ授戒してないはずなので法皇ではない)まで黒衣に白五条でした。落飾導師も黒衣に七条袈裟のようでした。市に立っているモブ僧さん、打伏巫女とまひろさん宅にやってきたあやしげなお坊さん、東三条邸に祈禱に訪れたお坊さん達、みんな真っ黒でした。禅僧が多くなる時代と混同している気もしますし、そもそも僧侶のイメージの解像度が低すぎるのでは。坊主は黒にしとけばいいと思って居るのでは?
で、同じ回で一条帝が即位儀に臨み、高御座のシーンがあったのですが、
一条帝は元服前に即位しています。(でなきゃ兼家は『摂政』にはならないわけですし)
なのにあの、玉が簾のようにじゃらっと下がっている冕冠を着けていました。
童形天皇が礼服着用の際に用いるのは『日形冠』といわれるもので、
童なので、髻(もとどり)を入れて固定する巾子の部分がなく、
「土右記」によれば、十二章(冕冠の前後に垂れ下がっている玉飾り)もないようです。
「臨時四 冠 (略)冕冠天皇卽位、朝拜、朝堂儀用之、女帝著寶冠、童帝著日形冠[在内藏寮及東大寺等、]太子著九章冕冠、(略)」(西宮記)
出典:https://dl.ndl.go.jp/pid/1874256/1/572
出典:https://dl.ndl.go.jp/pid/1874256/1/572
「長元九年(1036)七月四日庚辰 (略)此日、御覧禮服御装束。納御装束辛櫃二合、蔵寮官人等舁立殿上前、主上於晝御座御覧。凡有五具。一具、男装束、御冠巾子、櫛仙人[凡本定][但非三山]、前後有櫛形[似羅立有金筋]、押鬘[以金則鏤]、金筋四面端立玉有茎、其前後垂玉瓔珞各十二流、所謂十二章也。其頂有日形像、向中有三足赤烏、以水精二枚令作、日形有光。(略)
一具、童御装束、御冠下作如成人御冠、但無巾子、頂有日形[正面烏同上向方与異可尋]、以金玉錺之、但無十二章、御額立鳳形正面開羽。大袖小袖裳色繍等同上、(略)
一具、女帝御装束、御冠此有平巾子、無櫛形。押鬘上有三花形、以花枝形錺之。前有鳳形、小寄左立、若右方之落失歟。(略)」(土右記)
(余談ですが、童形天皇の装束についての記述は、女性天皇の記述とセットになっている事が多いです。源師房(1008-1077)「土右記」の長元九年(1036)の礼服御覧の記述では、男、童、女の帝の御装束を唐櫃から出して現物を検めています。
つまり、この時点では、女帝の出現は童形天皇と同様にイレギュラーな形であっても、想定の範囲内であり、具体的な準備もなされ、装束が保管されていたことになります。女帝の宝冠は欠損の可能性が記されてはいますが。翻って、一部の人が頑なに女性天皇を受け入れようとしない、現代……。)
しかしドラマの中では、臨時でなのか、髻も結っていたようです。髻を結うことは元服を意味します。結い上げて(本来なら)長く伸びている髪も髻に必要な分を残して切りますから、不可逆なのです。
しかし前述しましたが、兼家が作中で摂政を名乗っている限りは一条帝も元服しないはずです。どうせすぐ本役の俳優さんに切り替わるとは思いますが……。
子役用の袞冕をわざわざ仕立てたんですよね……。そのくらいなら平時の童装束ももうちょっとなんとかして欲しいんですが……。少年には年関係なく半尻か童水干着せとけばいいって決め付けてるのかも知れません。しかも童水干(上流武家の童子の装束として華美化するのはもっと後の時代です)は袴を脛出しで着せるもんだという思い込みがあるのかなにか知りませんが、良家の子息なのに袴を脛上げしちゃってたりしますし。なんか、ちぐはぐですね。
(追記)
大河公式ブログの風俗考証担当の方のコラム、一条帝の即位式のあれこれについて。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts...
(追記)
大河公式ブログの風俗考証担当の方のコラム、一条帝の即位式のあれこれについて。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts...
風俗考証担当の先生は、童形天皇なら本来はこうはならないというのは、ご承知だろうと思うのですが、解説では一切触れられず、ドラマの中の表現を全肯定されています。
以前からこちらの先生はこういうスタンスを取られる事が多いようです。(鎌倉殿の時に、儀式のしつらえで、榊にほぐした真綿がかけられておりすごく謎だったことがあり、あれはもしかして『木綿(ゆう)』を取り違えてしまったのではないかと思うのですが、その儀式の解説をされていたのにスルーでした)
単純に「考証のミス」だとは思いません。モノとして作るのにも予算や技術や史料不足などの壁もあり、童形天皇の日形冠を作るのはハードルが高かったのかも知れませんし。
そういった事情があったのなら、それはそれで現場の努力や工夫、あくまでドラマの中の表現としておいて、折角こういった場が設けられているのですから、史実ではこのようでしたと解説で仰せを頂きたかったと思います。
フィクション作品の中の嘘は表現ですが、解説の中の専門家の嘘は捏造になってしまいます。
以前からこちらの先生はこういうスタンスを取られる事が多いようです。(鎌倉殿の時に、儀式のしつらえで、榊にほぐした真綿がかけられておりすごく謎だったことがあり、あれはもしかして『木綿(ゆう)』を取り違えてしまったのではないかと思うのですが、その儀式の解説をされていたのにスルーでした)
単純に「考証のミス」だとは思いません。モノとして作るのにも予算や技術や史料不足などの壁もあり、童形天皇の日形冠を作るのはハードルが高かったのかも知れませんし。
そういった事情があったのなら、それはそれで現場の努力や工夫、あくまでドラマの中の表現としておいて、折角こういった場が設けられているのですから、史実ではこのようでしたと解説で仰せを頂きたかったと思います。
フィクション作品の中の嘘は表現ですが、解説の中の専門家の嘘は捏造になってしまいます。
諸々事情はあるのかと思いますが、この公式ブログは歴史に対して不誠実だと感じます。とても残念です。作品というよりは公式広報のやらかしかも知れませんが。
その後花山さんが恨めしげにしていて数珠が切れ、その珠が北斗七星の形になり、即位式での袞衣の背の北斗七星と被るんですよね。そんな小細工演出やるくらいなら童形天皇に無理に髻結わせて冕冠着けさせたり花山さんに雑な法衣着せたりしてる方をどうにかしてくれんかな。と、白けてしまいました。
今回の大河だけの話ではないのですが、そもそも「宗教」とまともに向き合おうとする姿勢に欠けている時代劇が多くなっているように思います。
今回はよく某陰陽師を出していますが、初回にちょっと「陰陽寮って天文を司っていたんだよ」ていうのを見せただけで、後はほぼオカルト担当の拝み屋を一人で引き受けていますね。
今回はよく某陰陽師を出していますが、初回にちょっと「陰陽寮って天文を司っていたんだよ」ていうのを見せただけで、後はほぼオカルト担当の拝み屋を一人で引き受けていますね。
オカルトというインチキ箱に詰め込めるような演出ばかりで、当時の一般的な価値観としての仏教思想がほっとんど出て来ない。
いくら陰陽道の専門家に監修を受けようと、日記資料に照らそうと、「今からみたらインチキで理解に苦しむけど、科学的な知見のない当時の人達はそういうのを信じていたんだよねえ。政敵や恋敵を呪ったり、すぐ祟られてると思い込んだり、それが平安時代なんだよねえ」という、現代人が好奇と蔑みで作り上げたド偏見から脱却できていないから、清新さにも、史実に則したリアリティにも振り切れていないように見えてしまうのです、私には。
女性観や身分階層についても、全般的にそうなんですよね。
最新の研究成果や史料に基づいた筋立てが、政治的な部分ではできている一方、現代的で平易な言葉遣いやラフな起居振舞をやるのはいいですが、その割には人の価値観が二、三十年くらい前の現代日本というか、微妙に古臭い。
特権階級だけど中途半端にフランクな庶民感覚を「いい人」要素として表現し、貴族や藤原氏を貶す風刺激を見て太平楽に笑っていたけれど、主人公達には自分達自身の帯びた特権性に対して自覚がなさそう。特に片方は右大臣家の嫡流なのに。どういうつもりで仲のいいはずの姉君が寵愛を失ったことを揶揄した演目を笑っていたんでしょうね。最新の研究成果や史料に基づいた筋立てが、政治的な部分ではできている一方、現代的で平易な言葉遣いやラフな起居振舞をやるのはいいですが、その割には人の価値観が二、三十年くらい前の現代日本というか、微妙に古臭い。
主人公の貧乏暮らしを「ていねいな暮らし」のように美しく描き、家事をしている姿をキラキラエフェクトつきで垣間見させてうっとりさせる。姫君たちに「お勉強わかんなぁああい」などと甲高い声で言わせる、反教養とミソジニーへの迎合。
平安時代ぽく古いのではなく’00年代の価値観のような微妙な古さ。感じ悪さがあまりにも現代日本にこびりついたダメさそのままで「ずっと昔の人のことだから」で流しにくいんですよね。ただの感じ悪いコスプレ現代人の群れ……。
また、展開的にも20年くらい前の韓流時代劇というか、要するに、ベタなんですよね。それなのに言葉や習俗などで時代萌え出来る要素がそんなに多くない。ベタベタの王道エンタメとしても、史実路線としても中途半端だし、かといってその中間でいいとこ取りしてるようにも見えない。
平安貴族はキラキラみやびで優雅に色恋にかまけてた、のようなステレオタイプを打ち破りたかったのかもしれませんが、しっかり勉強してるの公達だけで、公家女性はキャッキャウフフして遊んでいる。なんですかねあの左大臣家のサロンのことさらに頭の悪い女学生のように仕立てられたノリ。
女はバカで当たり前だった、ですか?
何のためにかな文字があったんでしょうか?
上流の公家女性でも、后がねになるような、生涯土を踏まずに生きていくような人でもなければ、家政を切り回したり、高位の女官として宮中へ出仕することもありました。男性だけがお勉強して女性は従来の平安貴族のステレオタイプ通りに遊び呆けていたかのような表現は、公家女性を貶めているように見えます。
平安貴族のステレオタイプ…というより、ミーム化したおじゃるイメージを打破しようとして、現代日本に蔓延っているジェンダーステレオタイプを呼び込んでしまっている感じですね。
彼女たちは近い将来、主人公の書く源氏物語の読者となる層ですよね。別に源氏物語が世に出てから物語が流行ったわけではなく、今は残っていないような物語もきっとあって、歌も詠まれていて、既に文化が形成されていたはずです。その中から作家紫式部も生まれたのでしょう。主人公ひとりを頭でっかちの変人漢文好きにするために周りの知性を下げているような表現も残念です。
せめて、わざわざ2024年の今、女性主人公大河をやるのなら、もう少し女性同士の連帯を描いたり、女性の知性に信頼をおいたり、女性をエンパワメントする内容であったりして欲しいものですが。
今後の展開はどうなるんでしょうね。
今後の展開はどうなるんでしょうね。
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『ローマ法王の休日』
(監督脚本:ナンニ・モレッティ 主演:ミシェル・ピッコリ)
観てきました~。
パンフレット売り切れだったのでかなりうろ覚えですが感想。
(監督脚本:ナンニ・モレッティ 主演:ミシェル・ピッコリ)
観てきました~。
パンフレット売り切れだったのでかなりうろ覚えですが感想。
とりあえず、鑑賞前に『思っているのとは違った』というレビューは見ていたのですが、
確かに、思っていたのとは…。
確かに、思っていたのとは…。
というか、日本版公式サイトのトレイラーから想像したのとは違いました。
トレイラーから受けた印象…近年の邦画でありがちな
『泣いて笑って元気が出る』という売り文句のつく『ハートフルコメディ』では、ありませんでしたねー…うん…。
『泣いて笑って元気が出る』という売り文句のつく『ハートフルコメディ』では、ありませんでしたねー…うん…。
お客はシニア層が多かったようですが、同年代の高齢者の奮闘を見て元気を貰おうという意気込みで御覧になった方は当てが外れたのではないかと、余計なお世話なことを思いましたです。
それに、高齢者といっても、カトリックの枢機卿なんてかなり特殊な部類だものなあ。
もっとも、そういう特殊すぎる立場の人を、人間としてどう描くかという作品ではあるのでしょうね。
原題『Habemus Papam』(ラテン)と英題『We have a Pope!』は、新法王発表時の決まり文句。
…なのに邦題はちょっと色気を出して名画っぽくしちゃったのもあんまりよくなかったかも。
いい題ではあると思うんだけど、雰囲気は違うから。
笑えることは笑えます。
劇中でチェホフの戯曲『かもめ』がよく出てきてる、なんてことからも推して知るべしな、シニカルな笑い。
そして、散々ニヤニヤさせたあとの展開がやっぱりイタリア映画…(今回はお色気はないけど)
ま、私はローマカトリック高位聖職者の祭服が堪能できて幸せでした。
とにかくカーディナルレッド見放題だもの。
しかも、当然皆様いいお歳。色んな国と地域からお集まり。
(日本人という設定の方もいらっしゃいました~)
いいなあ。
枢機卿や法王さまのお衣装についてちょびっと。
つづきから、あらすじと感想(ネタバレは回避)
もう~これっきよ~ですかあ~(死の宣告)
西田敏行の高橋是清ぷりぷりヒゲ!!ラブ!!
ドラマ「坂の上の雲」
始まりましたねえ。
つーても事前番組に何度も行き当たっちゃって
ほとんど一回目は見たも同然だったんですがw
3年がかりの撮影で、
フィルムはもうすでにたくさんあるとはいえ、
そんな先の映像までバンバン見せられてもなあ…って
気はしないでもなかったですがw
本木さんの海軍将校夏服姿、もう見ちゃった……
白
詰
襟
ですよ
ねえ!!!!ぎゃああああ!!!!
その破壊力。
どうすんだ。あんなもの見せられたら
そのあたりまで見ないわけにいかないじゃないかあああ!
更に感想とか九州場所千秋楽中継のゴールデントリオ話とかでつづく
西田敏行の高橋是清ぷりぷりヒゲ!!ラブ!!
ドラマ「坂の上の雲」
始まりましたねえ。
つーても事前番組に何度も行き当たっちゃって
ほとんど一回目は見たも同然だったんですがw
3年がかりの撮影で、
フィルムはもうすでにたくさんあるとはいえ、
そんな先の映像までバンバン見せられてもなあ…って
気はしないでもなかったですがw
本木さんの海軍将校夏服姿、もう見ちゃった……
白
詰
襟
ですよ
ねえ!!!!ぎゃああああ!!!!
その破壊力。
どうすんだ。あんなもの見せられたら
そのあたりまで見ないわけにいかないじゃないかあああ!
更に感想とか九州場所千秋楽中継のゴールデントリオ話とかでつづく
「サマー・ウォーズ」観てきた。
同じ監督の前作「時をかける少女」が面白かったので、あと、なんか気候が中途半端なので夏っぽい映画が見たかったし。
面白かったよ!とガッツポーズしてしまうくらいには面白かったです。
スカッとしますよw
後味悪そうなエヴァやハリポタじゃなくてこっちにしてよかったな、気分的にw
ネタバレという程でもないけど、まだ公開間もないので
残りはつづきからどうぞ。
夕べ流してた芸術劇場の歌舞伎「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわのにっき)」、「角力場(すもうば)」だけのハイライトだったのですがあほの若旦那になんか癒されました。
人気力士・濡髪長五郎は、ひいき筋の若旦那与五郎の恋(遊女の身請け話)を叶えてやる為に、(頼まれてもいないのに)格下の力士・放駒長吉にわざと負けて花を持たせてやるのですが…
この若旦那の濡髪ラブっぷりっていうかがすごくてですね(笑)力士つーてもね、肌色肉襦袢にまわしとかじゃないですよ、たくましいかっちょいいおっさんですよ。それにあほの若旦那が小鳥のようにぴーちくぱーちくまとわりつくんですよ。 異様にきゃぴきゃぴしてるし、人から濡髪を褒められると舞い上がって物をあげたり驕ったり。
濡髪もそんな若旦那の熱烈な贔屓を恩に着ているからこそ気を回してしまうのですが、信念曲げてまで八百長で負けるってどんだけ…。
なんかすごく間違った交情を見た気がしました。更にこの後話がこじれて濡髪は殺人を犯してしまうらしいです…うわああ、更に間違ってるよ!!
ちなみに濡髪長五郎は松本幸四郎、若旦那山崎屋与五郎は市川染五郎。放駒は中村吉右衛門でした。
どうでもいいけど濡髪って四股名が色っぽいw