更新ちょっと間が空いてしまってすみません~。
三月半ばに引っ越すので荷物と格闘してるところです。
やっと終わりが見えてきて
事務手続きも片が付いた感じでほっとひといき…。
「牛若丸の髪型」について検索されて
こちらへお運び下さった方がいらっしゃるようなので
[中古小児の髪風]のとき脇に描いて、そのうち色塗ろうと思って放置してたやつですが
とりあえず載せておきます~。(「結い方」ではないのであれですが…)
■唐輪(からわ)と兒髷(ちごわげ)
もとは若党(元服後~若年の武士)の髪型で、平安末期ごろから。平治絵巻などに見られます。
髻(もとどり)の末を片輪あるいは諸輪(もろわ)にまとめた髷。
のちに、寺院の兒(稚児=ちご)の髪型にもなり、
公家の若君の元服前の髪型(みづらよりは格が劣る)となり、
元結を高くして諸輪を美しく見せるようになっていきます。
さらに、女児の髪型のひとつに取り入れられ、
娘髷(この形は関西で好まれた)にも。
「兒髷(稚児髷)」などと呼ばれるようになりました。
ただ、平安末期に兒がすでにこの髪型にしていたのかどうかはちょっとあやしい。
『稚児観音縁起絵巻』(鎌倉後期)ではひとつ結びの垂髪、
『道成寺縁起絵巻』(室町初期)ではまだぺったりした唐輪です。
江戸時代ごろに描かれる牛若は確実に高元結の兒髷なんですが、
浮世絵などの、幼少の菅公とか愛護若とか、
『上・中古の貴種の若君』というざっくりしたカテゴリがだいたいこの髪型、っていう感じも。
・若党と兒が同じ髪型にしていたのはなぜか。
児には、寺の外から入ってくるものと、坊官(房官)の子息からなるものとがいます。
そもそも侍童を擁するっていうのはそれなりに位も上の僧侶じゃないと出来ない(扶持的に)ので
寺院の別当や、三綱、大寺院を構成する子院の主など、ということになります。
で、特に別当坊などについて、家政を担当する人達を坊官といいます。
摂関家などの政所みたいなもの。
妻帯、帯刀、在家の僧で、次第に寺院に定着して、世襲になっていきます。
侍僧とか、時代が下ると寺侍(てらざむらい)などとも呼ばれます。
でこの子息は幼少時は侍童になって、父兄と共に院主に仕え、元服すれば坊官になると。
義経の同母兄円済(乙若、源義円)も、園城寺の円惠法親王(八条宮)に仕える坊官になっています。
おそらく元服前は侍童をしていたのでしょう。
『常葉が腹の子供三人、年月をへしかば、長大にして、兄今若は醍醐寺にて学文し、出家して禅師公(ぜんじこう)全済となのりけり。悪禅師とて、希代のあら者なりけり。中、乙若は、八条宮に召仕われて、卿公(きやうのきみ)円済とて坊官にてぞ有ける。弟の牛若は、鞍馬の東光坊阿闍梨蓮忍が弟子、禅林坊阿闍梨覚日が同宿して、沙那王とぞよばれける。』(平治物語/牛若奥州下りの事)
彼らの場合は、源氏の棟梁の子息…ではあるけれど零落している、ということも考慮しなければなりませんが
武士-坊官-兒 の繋がりはこの例からも充分見いだせるのではないでしょうか。
武家の若党と兒は同じ階層に属するものたちで、年齢も近く、
髪型に共通点があっても不思議はないんじゃないかなーと思います。
ついでに、堂衆(諸堂に仕える平の坊さん達。大衆だいしゅ)だけでなく、
坊官も裹頭(覆面)武装すれば僧兵になります。
このあたりはもう少し掘り下げたいなーと思ってます。
関連記事リンク:
[みづら祭の序 (附目次)]
[中古小児の髪風]
参考文献:
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲「中世寺院の社会と芸能」(土谷恵/吉川弘文館)2001
▲「続日本の絵巻20 当麻曼荼羅縁起・稚児観音縁起」
▲平治物語絵巻 三条殿夜討巻「ボストン美術館 日本美術の至宝」特別展図録(2012)
**********************
先日書いた幞頭の記事に結構反応を頂きまして、おお~っという…。
ぼくとうったら地味に需要があったのね…!
引き続き、日本の冠などとの繋がりを調べています~。
大大論さんの幞頭。サイド想像図。
**********************
他らくがき投下しておきます。
迦陵瀕伽と鳳首箜篌(ほうしゅくご)。
廃絶した古楽器なので詳しいことは解りません。正倉院御物の復元は存在。
これは敦煌の壁画とかを見て妄想で描いてます…。
迦陵ちゃんと鳳首が鳥語でおはなし妄想だ!!
気分がくさくさしたときは好きなモノを描くにかぎる~~。
宝髻(ほうけい)。菩薩像などの髪型。(正確には頭頂部の髻部分の名前)
前髪よく見ると波打ってたりとかこうやって複雑な留めかたしてたり
鬢の毛を後ろへ渡したり、後れ毛を垂らしたり
ただアップにしてるだけじゃないんですよね~~~!!
もちろんみんな同じ髪型なんてことはないけど。
ああ すきだ すきだ だいすきだ!!!!
仏はパンチパーマだけじゃないんだぜ!!
袈裟狸。
月岡芳年の作品で文福茶釜なたぬきさんが文机に伏せて上目遣いしてるのがあるのですが
それが大好きで…
たぬーはなぜこんなにも袈裟が似合いますか!?
他にこんなに袈裟が似合うどうぶつっているでしょうか!?
三月半ばに引っ越すので荷物と格闘してるところです。
やっと終わりが見えてきて
事務手続きも片が付いた感じでほっとひといき…。
「牛若丸の髪型」について検索されて
こちらへお運び下さった方がいらっしゃるようなので
[中古小児の髪風]のとき脇に描いて、そのうち色塗ろうと思って放置してたやつですが
とりあえず載せておきます~。(「結い方」ではないのであれですが…)
■唐輪(からわ)と兒髷(ちごわげ)
もとは若党(元服後~若年の武士)の髪型で、平安末期ごろから。平治絵巻などに見られます。
髻(もとどり)の末を片輪あるいは諸輪(もろわ)にまとめた髷。
のちに、寺院の兒(稚児=ちご)の髪型にもなり、
公家の若君の元服前の髪型(みづらよりは格が劣る)となり、
元結を高くして諸輪を美しく見せるようになっていきます。
さらに、女児の髪型のひとつに取り入れられ、
娘髷(この形は関西で好まれた)にも。
「兒髷(稚児髷)」などと呼ばれるようになりました。
ただ、平安末期に兒がすでにこの髪型にしていたのかどうかはちょっとあやしい。
『稚児観音縁起絵巻』(鎌倉後期)ではひとつ結びの垂髪、
『道成寺縁起絵巻』(室町初期)ではまだぺったりした唐輪です。
江戸時代ごろに描かれる牛若は確実に高元結の兒髷なんですが、
浮世絵などの、幼少の菅公とか愛護若とか、
『上・中古の貴種の若君』というざっくりしたカテゴリがだいたいこの髪型、っていう感じも。
・若党と兒が同じ髪型にしていたのはなぜか。
児には、寺の外から入ってくるものと、坊官(房官)の子息からなるものとがいます。
そもそも侍童を擁するっていうのはそれなりに位も上の僧侶じゃないと出来ない(扶持的に)ので
寺院の別当や、三綱、大寺院を構成する子院の主など、ということになります。
で、特に別当坊などについて、家政を担当する人達を坊官といいます。
摂関家などの政所みたいなもの。
妻帯、帯刀、在家の僧で、次第に寺院に定着して、世襲になっていきます。
侍僧とか、時代が下ると寺侍(てらざむらい)などとも呼ばれます。
でこの子息は幼少時は侍童になって、父兄と共に院主に仕え、元服すれば坊官になると。
義経の同母兄円済(乙若、源義円)も、園城寺の円惠法親王(八条宮)に仕える坊官になっています。
おそらく元服前は侍童をしていたのでしょう。
『常葉が腹の子供三人、年月をへしかば、長大にして、兄今若は醍醐寺にて学文し、出家して禅師公(ぜんじこう)全済となのりけり。悪禅師とて、希代のあら者なりけり。中、乙若は、八条宮に召仕われて、卿公(きやうのきみ)円済とて坊官にてぞ有ける。弟の牛若は、鞍馬の東光坊阿闍梨蓮忍が弟子、禅林坊阿闍梨覚日が同宿して、沙那王とぞよばれける。』(平治物語/牛若奥州下りの事)
彼らの場合は、源氏の棟梁の子息…ではあるけれど零落している、ということも考慮しなければなりませんが
武士-坊官-兒 の繋がりはこの例からも充分見いだせるのではないでしょうか。
武家の若党と兒は同じ階層に属するものたちで、年齢も近く、
髪型に共通点があっても不思議はないんじゃないかなーと思います。
ついでに、堂衆(諸堂に仕える平の坊さん達。大衆だいしゅ)だけでなく、
坊官も裹頭(覆面)武装すれば僧兵になります。
このあたりはもう少し掘り下げたいなーと思ってます。
関連記事リンク:
[みづら祭の序 (附目次)]
[中古小児の髪風]
参考文献:
▲「日本結髪全史」(江馬務/東京創元社)1960再版改訂
▲「中世寺院の社会と芸能」(土谷恵/吉川弘文館)2001
▲「続日本の絵巻20 当麻曼荼羅縁起・稚児観音縁起」
▲「続日本の絵巻24 桑実寺縁起・道成寺縁起」
(共に、編集・解説:小松茂美/出版:中央公論社)
▲「新日本古典文学大系43 保元物語・平治物語・承久記」(岩波書店)(共に、編集・解説:小松茂美/出版:中央公論社)
▲平治物語絵巻 三条殿夜討巻「ボストン美術館 日本美術の至宝」特別展図録(2012)
**********************
先日書いた幞頭の記事に結構反応を頂きまして、おお~っという…。
ぼくとうったら地味に需要があったのね…!
引き続き、日本の冠などとの繋がりを調べています~。
大大論さんの幞頭。サイド想像図。
**********************
他らくがき投下しておきます。
迦陵瀕伽と鳳首箜篌(ほうしゅくご)。
廃絶した古楽器なので詳しいことは解りません。正倉院御物の復元は存在。
これは敦煌の壁画とかを見て妄想で描いてます…。
迦陵ちゃんと鳳首が鳥語でおはなし妄想だ!!
気分がくさくさしたときは好きなモノを描くにかぎる~~。
宝髻(ほうけい)。菩薩像などの髪型。(正確には頭頂部の髻部分の名前)
前髪よく見ると波打ってたりとかこうやって複雑な留めかたしてたり
鬢の毛を後ろへ渡したり、後れ毛を垂らしたり
ただアップにしてるだけじゃないんですよね~~~!!
もちろんみんな同じ髪型なんてことはないけど。
ああ すきだ すきだ だいすきだ!!!!
仏はパンチパーマだけじゃないんだぜ!!
袈裟狸。
月岡芳年の作品で文福茶釜なたぬきさんが文机に伏せて上目遣いしてるのがあるのですが
それが大好きで…
たぬーはなぜこんなにも袈裟が似合いますか!?
他にこんなに袈裟が似合うどうぶつっているでしょうか!?
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八重ネタ(とみせかけてまだ清盛愚痴)
大河「八重の桜」みてかいた さかやきの練習と、きゅうり喰う勝先生。
他に描くもんないんかー。
いやー、普通におっさん俳優がいっぱい居る大河っていいなー。この安定感と重厚感。
去年の薄っぺらさは何だったんだろうなー。
春嶽さんすきですー。
勝先生はきゅうりポリポリが何かツボったので描いてみた。
覚馬お兄ちゃんのにくたいびは、若人に興味ない私でさえオウッ!?てなったレベルだった。
最初に道場で諸肌脱いだシーンで「まるで鬼神(発音:キスン)だァ…」っていわれてたのが刷り込まれて
兄つぁまが脱ぐたび「きすんだぁ」って思ってしまうのだった。
でもやっぱりおっさんとか帝とかえらいひとがすきだからそっちに目がいっちゃうんだ。
たのもさまのお腰のものの柄あたりに乗ってるお肉をじろじろ見ちゃうし。
津嘉山さんのお声でびくっとしちゃうし。
まあとにかく去年が酷すぎた所為で、八重があまりにまっとうなのが嬉しくてたまらないです。
今年は心の洗濯イヤーだよォ…。(とりあえずいまのとこは)
よかった。NHK大河班自体が墜ちた訳じゃなかったんだね…(泣)
ちゃんと外ロケあるし、空も自然も映るし、セット奥行きあるし、カメラがアップばっかってこともないし、
状況説明なしの感情押し室内会話大半とかでもないし、愁嘆場orゆるいの二者択一でもないし、
必殺仕事人とかクラスのゆっるい時代言い回しを、ふわっふわした(脚本家の考える)中世っぽい感じに機械翻訳したベースに、資料から切り抜いた単語コラージュしただけの粗雑な日本語でもないし、
誰かさんの考案したカッコイイコスプレ(笑)が陳列されたりもしない。
人間関係というのがちゃんと封建制度に則して描かれてる。
会津公と家臣達との距離の適正さ。
それでこそ感じられる厳粛さ。
こういう「あたりまえ」が去年欲しかった…。
どう考えても去年の太政大臣より、今年の一藩主のが威光感じられるよ…。
清盛や後白河さんの在り方の異様さっていうのも、
「本当はこういうのがまともで」っていう裏打ちがないから、ただのうっとうしいヒャッハーさんだったもの。
別にさ、人物や史実の解釈とかで冒険するなとは言ってないよ。ギャグ入れるなとかゆる脚本だめとかも。
ただ、本当に2くらいしかINT値がないのに必要Lv10の仕事をしようとするのは無理だってば。ていうこと。
バカとか逸脱とか横着とか、尖ったことやりたきゃその前に力つけないと、潰れるに決まってるでしょうが。
私はINT25くらいの人がゆるっと10の仕事でかます余裕のおバカっぷりとかは大好きです。
なんか八重がまともすぎてつまらないという人もいらっしゃるみたいですが…
そういう方は一瞬流行った藤沢周平原作作品とかどう御覧になっていらしたのだろう。
八重がつまらないんなら、民放の大衆娯楽時代劇とかでよいんでは。
大河くらいゴリゴリの硬派でいて欲しいよ…。ていうか、そういうバラエティっていうか、棲み分けがないとさー。
誰でも満足できるものなんて作りようがないんだし、好きなタイプを選べるっていう、選択肢がたくさんあるっていうのがだいじだと思うんだよね…。
八重ネタ(とみせかけてまだ清盛愚痴)
大河「八重の桜」みてかいた さかやきの練習と、きゅうり喰う勝先生。
他に描くもんないんかー。
いやー、普通におっさん俳優がいっぱい居る大河っていいなー。この安定感と重厚感。
去年の薄っぺらさは何だったんだろうなー。
春嶽さんすきですー。
勝先生はきゅうりポリポリが何かツボったので描いてみた。
覚馬お兄ちゃんのにくたいびは、若人に興味ない私でさえオウッ!?てなったレベルだった。
最初に道場で諸肌脱いだシーンで「まるで鬼神(発音:キスン)だァ…」っていわれてたのが刷り込まれて
兄つぁまが脱ぐたび「きすんだぁ」って思ってしまうのだった。
でもやっぱりおっさんとか帝とかえらいひとがすきだからそっちに目がいっちゃうんだ。
たのもさまのお腰のものの柄あたりに乗ってるお肉をじろじろ見ちゃうし。
津嘉山さんのお声でびくっとしちゃうし。
まあとにかく去年が酷すぎた所為で、八重があまりにまっとうなのが嬉しくてたまらないです。
今年は心の洗濯イヤーだよォ…。(とりあえずいまのとこは)
よかった。NHK大河班自体が墜ちた訳じゃなかったんだね…(泣)
ちゃんと外ロケあるし、空も自然も映るし、セット奥行きあるし、カメラがアップばっかってこともないし、
状況説明なしの感情押し室内会話大半とかでもないし、愁嘆場orゆるいの二者択一でもないし、
必殺仕事人とかクラスのゆっるい時代言い回しを、ふわっふわした(脚本家の考える)中世っぽい感じに機械翻訳したベースに、資料から切り抜いた単語コラージュしただけの粗雑な日本語でもないし、
誰かさんの考案したカッコイイコスプレ(笑)が陳列されたりもしない。
人間関係というのがちゃんと封建制度に則して描かれてる。
会津公と家臣達との距離の適正さ。
それでこそ感じられる厳粛さ。
こういう「あたりまえ」が去年欲しかった…。
どう考えても去年の太政大臣より、今年の一藩主のが威光感じられるよ…。
清盛や後白河さんの在り方の異様さっていうのも、
「本当はこういうのがまともで」っていう裏打ちがないから、ただのうっとうしいヒャッハーさんだったもの。
別にさ、人物や史実の解釈とかで冒険するなとは言ってないよ。ギャグ入れるなとかゆる脚本だめとかも。
ただ、本当に2くらいしかINT値がないのに必要Lv10の仕事をしようとするのは無理だってば。ていうこと。
バカとか逸脱とか横着とか、尖ったことやりたきゃその前に力つけないと、潰れるに決まってるでしょうが。
私はINT25くらいの人がゆるっと10の仕事でかます余裕のおバカっぷりとかは大好きです。
なんか八重がまともすぎてつまらないという人もいらっしゃるみたいですが…
そういう方は一瞬流行った藤沢周平原作作品とかどう御覧になっていらしたのだろう。
八重がつまらないんなら、民放の大衆娯楽時代劇とかでよいんでは。
大河くらいゴリゴリの硬派でいて欲しいよ…。ていうか、そういうバラエティっていうか、棲み分けがないとさー。
誰でも満足できるものなんて作りようがないんだし、好きなタイプを選べるっていう、選択肢がたくさんあるっていうのがだいじだと思うんだよね…。
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