先日、御引直衣をちょこっと描いたのですが
バストアップで…
引いてない全然引いてない!!と不完全燃焼だったので
描いてみました。
清涼殿は臣下にとっては厳儀を求められる場所であるのに
御引直衣の型は、ふつうの直衣の裾を丈長に仕立てただけで
襴や蟻先(裾にくっついてる四角)もそのまま残っています。
衣紋道の方がきちんと裾を整えるときは、上の図のようにびしっと四角にするようです。
バストアップで…
引いてない全然引いてない!!と不完全燃焼だったので
描いてみました。
御引直衣、童形。
御引直衣は帝の日常着です。
もともと、帝の内々の御料で、直衣を帯を用いずに着たものでした。
下げ直衣といい また放ち直衣ともいいました。
そのため、普通の直衣よりもかえって裾は短かったそうです(「禁秘抄講義.」)
しかしこのまま御簾内から御出ましということになるとやっぱり具合が悪い。
そこで徐々に体裁が整えられていったようで、略儀と晴儀ふたつのパターンが出来ました。
清涼殿は臣下にとっては厳儀を求められる場所であるのに
帝にとっては日常生活の場でもあり
くつろぎ着が高位の装束にすり替わってしまうという。
御衣のふしぎさというか おもしろいところですね。
晴儀での構成は、
袍(うえのきぬ)
・引直衣(長く仕立てた直衣)
・当帯(直衣と共布)
下具
・長衣(ながのころも)裾長に仕立てた衵。
・長打衣(ながのうちごろも)同上、張りを出す加工を施してある。表からは見えない。
衵を二枚重ねするので、合わせて二つ衣ともいう。
・長単(ながのひとえ)裾長の単。
・張袴 表袴。
・長袴 下袴。下着。
・大帷子(おおかたびら) 襟付きの肌着。
他に、笏、檜扇、帖紙、外出時は挿鞋を履く。
髪型は上げみづらに夾形(リボンのような細帯)を結ぶ。時に被髪。
※成人の場合は垂纓冠(後世は立纓)。
在位中は冠のみ着用で、烏帽子を被ることはありません。
御引直衣の型は、ふつうの直衣の裾を丈長に仕立てただけで
襴や蟻先(裾にくっついてる四角)もそのまま残っています。
衣紋道の方がきちんと裾を整えるときは、上の図のようにびしっと四角にするようです。
下に重ねる装束(下具)は
長く仕立てた衵も袴も二枚重ねで、内に着るものは「打衣」といって、
張りを出す加工をしてあります。着重ねて形を整えるためのものでした。
童形と成人とでは、全体的に小さく仕立ててあるだけで、違いはないようですが、
年齢によって色味に違いがあります。
御引直衣に限りませんが、若年のころは、『二藍』の赤味を強くするのがお約束で、
幼少時は紫がかった紅。(衣紋道の高倉流では、四十以下はみな蘇芳)
幼少時は紫がかった紅。(衣紋道の高倉流では、四十以下はみな蘇芳)
二藍とは、特定の色を差すのではなく、紅(呉藍、くれない)と藍(蓼藍)、
二つの藍の染め具合によって変わるグラデーションを指します。
二つの藍の染め具合によって変わるグラデーションを指します。
四十歳になると紅を使わない、藍だけの縹(はなだ)となります。
つまり、紅い程若い、幼いということで、縹は大人の色でした。
冬の料だと、表の白綾に裏地の紅がうっすらと映ります。
夏の料は、直衣を裏無しの顕文紗に替え、冬の料の裏地と
衵(衣・打衣)も裏地を除いた『引倍木』とします。
略儀ではかなりばっさり下具は省略してしまい、
引直衣の下は、大帷子(半襟付き単衣の下着)と紅生絹の袴だけになります。
なお、衵と単については、白か紅染かは任意とのことで
上に描いた色目とは紅白逆の場合もあると思われます。
なお、「濃装束」といって、童形や未成年のうちは
衵、単衣、袴など お約束で紅に染めてあるものを
濃色(こきいろ。深い紫紅色)に代えることがありました。
殿上童の装束についてはこれが適用されていたようなので
童形の御引直衣にも、濃色が使われていたかも知れませんが
きちんと確認出来なかったので今回は見送りました。
ううーん。描いてみたいけどなー。
参考資料:
「有職故実図典-服装と故実-」(著・監修/吉川弘文館)
「有職故実大事典」(同上)
「原色日本服飾史」(井筒雅風/光琳舎出版
「宮廷の装束」展図録(高倉文化研究所/京都国立博物館)1999
「日本の色辞典」(吉岡幸雄/紫紅社)
「素晴らしい装束の世界-いまに生きる千年のファッション-」(八条忠基/誠文堂新光社)
「平安文様素材CD-ROM」(八條忠基/マール社)
『雅亮装束抄』
「新校群書類従 第五巻装束部(一)」(内外株式會社)所収
『法中装束抄』『法体装束抄』
「新校群書類従 第六巻装束部(二)」(内外株式會社)所収
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