全日本及び三千世界のみづら愛好家のみなさま、こんにちは。
ただいまみづら祭を開催中です。
今回は…
恥を忍んで申し上げなければなりません。
先回、みづら概説にて「古代みづらの様子は埴輪から推測しただけのもの」というようなことを
書いてしまったのですが、その後で
1983年に茨城県土浦市武者塚古墳にて、
みづらの遺物が発見されていた
…ことを知りました。
うぎゃー恥ずかしい!!!無知って怖い!!
発見当時はかなり騒がれたようですが…。
立体再現した模型の写真を見ることが出来たのですが、なんだか微妙に複雑な形…。
さらに、筑波大学図書館の「遺跡リポジトリ」サービスにて、
当時の調査報告書をpdfで読むことが出来ましたので、
武者塚みづらを再現!
というようなことをやってみました。
武者塚古墳は、副葬品などから、7世紀後半頃(飛鳥時代)に作られた、終末期の古墳と考えられています。
『新治郡新治村上坂田、桜川左岸の標高28~30mほどの台地上に位置する。同地区内には17基の古墳の所在が確認されており、坂田古墳群と呼ばれている。武者塚古墳は、その中の1基である。』(茨城県教育委員会HP)
そこから見つかった人骨のうち一体の頭部横に、束ねた髪のかたまりが発見されました。これが、美豆良と考えられます。反対側の髷は失われてしまっていましたが、顎髭も残っていました。
さてさてそれではみづら再現レポートです。
遺物のみづらの実測は、全長(高さ)7.5cm。小さく思えますが、経年劣化で繊維が細ったのでしょう。
フレッシュな状態ならもっとボリュームがあったんでしょうね。
何しろ骨は粉々になってしまっていたり、どうして髪だけ残ったのか不思議なくらいです。
残念ながら筆者の髪は今はそれほど長くないので、ナマ美豆良というわけにはいきません。
用意したのはモヘア毛糸です。質感が遺髪っぽかったので(モヘアに謝れ)
水で溶いたヘアワックスをつけました。
(古代では、蔓植物から抽出した粘液や椿などの実から採った油、獣脂を整髪料にしていました。
整髪料や理容具についても回をとってお話ししようと思います)
なんとういうかこう、手作り感が……夏休みの自由研究みたいだねw
************************
1)とりあえず概算で45cmの毛糸束をつくり、結び目を元取と想定して結い始めます。
(ここで既に、元取りを結った紐の余りを垂らしてあるという想定です)
2)元取の位置が高さの中央になるように輪を作ります。
3)上部をひねります。 4)毛先が出てくるので、巻き付けます。
5) 6)ひねった部分を折り込みます。
7) 8)元結の紐を巻き付けて結びます。武者塚のみづらは樹皮で結ってあったらしく、
中央2.5cmほど結び目の跡らしきものがのこっていたそうです。
なお、復元図より上気味に結ばないと、編み込みで作ったこぶが紐から飛び出てしまいます。
9) 完成。ちなみに、めのこ結び。
************************
おわりに:
今回は固定していない状態で結いましたが、頭から生えている髪を結う場合は、
こんなに全体にひねりを入れなくても、上部をねじりながら折る、くらいでいいかも知れません。
途中で毛先を揃えたりして、最終的に解いた長さは40cm強といったところ。
耳から垂らすとみぞおちくらいですかね。
この、毛先を巻き込みながら捻り込む方法は、
長めの髪を結うときに毛先を始末する手段の一つと考えてもよいのではないでしょうか。
亡くなったときの髪型なのか、埋葬されるときに結い直されたのかは解りませんが、
結い直されたのだとすると、盛装に近い形だったのかも知れません。
被葬者の身分などが不明である為、これが「いわゆる下げ美豆良=上位階級」という図式の反証になる
…とまでは言い切れませんが。
埴輪に造形上の誇張あるいは省略が入っていることも改めて考えなければならないな、と、実物を見て思いました。
もちろん、耳の上につけて遊びましたが、さすがに写真は撮りませんでしたw
いかがでしたでしょうか。
ちなみに、リポジトリで読んだ発掘調査書は、克明な日誌や、石室内の見取り図、科学警察や医師による人骨の鑑定なども添えられていて、すごく生々しかったです…。考古学の先生のみづらに対する当時の考察が読めたのも、私は嬉しかった。
興味がお有りの方は是非ご一読をお勧めします~。
◆◇みづら祭の目次はこちら◇◆
ただいまみづら祭を開催中です。
今回は…
恥を忍んで申し上げなければなりません。
先回、みづら概説にて「古代みづらの様子は埴輪から推測しただけのもの」というようなことを
書いてしまったのですが、その後で
1983年に茨城県土浦市武者塚古墳にて、
みづらの遺物が発見されていた
…ことを知りました。
うぎゃー恥ずかしい!!!無知って怖い!!
発見当時はかなり騒がれたようですが…。
立体再現した模型の写真を見ることが出来たのですが、なんだか微妙に複雑な形…。
さらに、筑波大学図書館の「遺跡リポジトリ」サービスにて、
当時の調査報告書をpdfで読むことが出来ましたので、
武者塚みづらを再現!
というようなことをやってみました。
武者塚古墳は、副葬品などから、7世紀後半頃(飛鳥時代)に作られた、終末期の古墳と考えられています。
『新治郡新治村上坂田、桜川左岸の標高28~30mほどの台地上に位置する。同地区内には17基の古墳の所在が確認されており、坂田古墳群と呼ばれている。武者塚古墳は、その中の1基である。』(茨城県教育委員会HP)
そこから見つかった人骨のうち一体の頭部横に、束ねた髪のかたまりが発見されました。これが、美豆良と考えられます。反対側の髷は失われてしまっていましたが、顎髭も残っていました。
さてさてそれではみづら再現レポートです。
遺物のみづらの実測は、全長(高さ)7.5cm。小さく思えますが、経年劣化で繊維が細ったのでしょう。
フレッシュな状態ならもっとボリュームがあったんでしょうね。
何しろ骨は粉々になってしまっていたり、どうして髪だけ残ったのか不思議なくらいです。
残念ながら筆者の髪は今はそれほど長くないので、ナマ美豆良というわけにはいきません。
用意したのはモヘア毛糸です。質感が遺髪っぽかったので(モヘアに謝れ)
水で溶いたヘアワックスをつけました。
(古代では、蔓植物から抽出した粘液や椿などの実から採った油、獣脂を整髪料にしていました。
整髪料や理容具についても回をとってお話ししようと思います)
なんとういうかこう、手作り感が……夏休みの自由研究みたいだねw
************************
1)とりあえず概算で45cmの毛糸束をつくり、結び目を元取と想定して結い始めます。
(ここで既に、元取りを結った紐の余りを垂らしてあるという想定です)
2)元取の位置が高さの中央になるように輪を作ります。
3)上部をひねります。 4)毛先が出てくるので、巻き付けます。
5) 6)ひねった部分を折り込みます。
7) 8)元結の紐を巻き付けて結びます。武者塚のみづらは樹皮で結ってあったらしく、
中央2.5cmほど結び目の跡らしきものがのこっていたそうです。
なお、復元図より上気味に結ばないと、編み込みで作ったこぶが紐から飛び出てしまいます。
9) 完成。ちなみに、めのこ結び。
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おわりに:
今回は固定していない状態で結いましたが、頭から生えている髪を結う場合は、
こんなに全体にひねりを入れなくても、上部をねじりながら折る、くらいでいいかも知れません。
途中で毛先を揃えたりして、最終的に解いた長さは40cm強といったところ。
耳から垂らすとみぞおちくらいですかね。
この、毛先を巻き込みながら捻り込む方法は、
長めの髪を結うときに毛先を始末する手段の一つと考えてもよいのではないでしょうか。
亡くなったときの髪型なのか、埋葬されるときに結い直されたのかは解りませんが、
結い直されたのだとすると、盛装に近い形だったのかも知れません。
被葬者の身分などが不明である為、これが「いわゆる下げ美豆良=上位階級」という図式の反証になる
…とまでは言い切れませんが。
埴輪に造形上の誇張あるいは省略が入っていることも改めて考えなければならないな、と、実物を見て思いました。
もちろん、耳の上につけて遊びましたが、さすがに写真は撮りませんでしたw
いかがでしたでしょうか。
ちなみに、リポジトリで読んだ発掘調査書は、克明な日誌や、石室内の見取り図、科学警察や医師による人骨の鑑定なども添えられていて、すごく生々しかったです…。考古学の先生のみづらに対する当時の考察が読めたのも、私は嬉しかった。
興味がお有りの方は是非ご一読をお勧めします~。
◆◇みづら祭の目次はこちら◇◆
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