日蝕。ちょっと見たけど曇っててよくわからなかった。
日本書紀の日蝕の記述で覚えがあったのだが
どうしてかというと、それが
日本初の同性愛に関する記述 ではないか
といわれているからw
神功皇后の摂政元年、二月。新羅攻略後、クーデターを起こした忍熊王(おしくまのみこ)と争っているさなか。紀国の小竹宮(しののみや・いまの和歌山県御坊市小竹)に遷ったときのことだった。
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あの後、ちょっと思い出して昔の講義ノートをあさってみた。
講義ノートっていうか
講義中の落書きのまとめをファイリングしたのを見たら
あったよ、中古の食事についての調べ書き。
しかもどう考えても講義内容のノートより気合いが入っている(色分けとか)
何やってたんだ私。
折角なので少しずつまとめてみようかと。
今回は中古の米食について。
内容をまとめると、
ご飯の調理法には蒸す、炊く(煮る)、焼く、干す、などがあり
蒸す→【強飯】いまの「おこわ」
炊く(煮る)→水の分量によって【固粥/姫飯】いまの「ごはん」、【汁粥】いまの「おかゆ」
焼く→やきごめ
干す→糒(干飯)
があり、時代によって「飯」といえばこれ、というものが推移している。
あと当然【餅】も多く食べられていた。
詳細は続きへ。
内容とはさっぱり関係ないが
食物メモ付近に残されていたらくがき
…なんか疲れた時って
やたらと赤子や幼児がたくさん描いてある…
ささくれにミカンの汁がしみる…
寒の入りを迎えて寒さも増してきましたね。
今日は七草の節供ということで、七草粥炊いてみました~。
といっても、若菜を摘みにいく野もない場所に暮らしてますので、
スーパーでパックに入ったのを買ってきましたけどね。
静岡産。
白粥を炊いて、刻んだ七草は最後に乗せて蓋をして火を止める、くらいでいいらしいです。香りを飛ばさないため。春の味といえば、苦みと香り、とよく言いますしね。
しかし、この節句にも云えると思うのですが
本来は陰暦正月七日の行事…ということは、本来若菜を摘むのは今の二月なわけで、いま七草探しに行っても見つけるのたいへんだよな、きっと。
温暖化で暦が季節に追いついたら、それはそれでせつないけど…。
というわけで、以下に七草の節句についてのメモ。
は、そういえば正月行事について見ていたのですが
正月二日の「姫はじめ」は正月さいしょのほにょほにょじゃなくって「姫飯」(ひめいい)を食べ初めること、だそうです。
正月行事の間は「強飯」(こわいい)蒸し米の堅いご飯を食べて、やわらかく炊いた「姫飯」に切り替えるのがこの日だからとか…
正月からヒワい下ネタを言う人には冷静に突っ込んであげましょうw
…ほにょほにょっていう説もあるらしいですけどね。
序文がくどくなりましたよ~w
北院御室(第六世仁和寺門跡・守覚法親王)の『左記』
序文だけですが読み下してみました。
この部分には源平合戦のときを生きた人の感慨が綴られていて、『平家物語』などを読むのにも良い資料だと思います。
高雅な文章ですが、乱世を嘆き、関わりの深かった平家の滅亡を儚み、また、甥でもある安徳帝を悼むくだりには痛切なものがあります。
ルビのかわりに()内にふりがなつけてみたけど、却って読みにくい気も…。
来年は丑年。
そろそろ年賀状のことで頭が痛い。
というわけで
日本の在来牛について疑問がわいたのでちょっと調べてみた。
主に中古代で。
+乳製品
+牛車の種類についても簡単にまとめてみた。
でも、やっぱり図がないとわかりにくいね…。
つづきから。