「雅亮(満佐須計)装束抄」から、みづらの結い方に言及している部分の抄出です。大分前にTwitter向けの外部テキストサービスに置きっぱなしになっていたので、此方でも公開します。
原文がほとんどかなで読みにくいので、適宜漢字に直したものをまず記し、その後に原文を置いてあります。
()内の振り仮名は底本に基づいたものと、筆者が補ったものがあります。
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満佐須計装束抄(抄出)
(巻二)
童(わらは)殿上のこと
闕腋(わきあけ)の装束(さうぞく)物具(ものゝぐ)常の如し。袍(うへのきぬ)赤色なり。常の五位の袍の赤みたる様なり。紋に葵(あふひ)常の事なり。下襲(したがさね)常の躑躅(つつじ)、表綾、裏単衣、文榮して打ちたり。中倍(なかへ)あり。半臂(はんぴ)は黒半臂、襴緒(らんを)などは羅といふものなり。
夏は薄物、常の衵(あこめ)の色心にあるべし。但し濃装束ならば、蘇芳(すはう)の衵青き単衣にて、濃き打衣(うちぎぬ)着るべし。表袴(うへのはかま)織物、上達部(かんだちめ)の装束の体なり。これは濃き装束、裏も濃し。大口(おほぐち)も濃かるべし。取り重ねて圓座(わらうだ)の上に置きて取り出(いだ)すべし。着るべき次第に置くべし。
帯、角の丸鞆(まろとも)、五位の笏(さく)、引帯、襪(したうづ)、絲鞋(しかい)、扇(あふぎ)を具すべし。淡繪(だみゑ)あり。
夏の下襲赤色、黒半臂なり。色を聴(ゆ)りたる故なり。表袴の裏、大口赤くとも苦しかるまじけれども、幼ければうち任せては濃装束なり。
装束する事は常の闕腋(わきあけ)なり。但し半臂の緒結ふべし。本(もと)を見るべし。装束して後、圓座(わらうだ)にこの兒(ちご)を据へて、びんづらを結ふべし。
揆上(かゝげ)の筥(はこ)の蓋に、挟形(はさがた)二筋(ふたすぢ)、■長さ一尺余(よ)ばかり、細さ五分ばかりに、羅を畳みて、色々の糸にて、鬘手(かづらで)に蝶小鳥(てふことり)を繍(ぬ)ひたり。色半臂の襴のき[れ]か■■紫の糸の太らかにおしよりたるが、■長さ二三尺ばかりなる三筋四筋、櫛二枚がうち、解櫛(ときぐし)一枚、平髪掻(ひらかうがい)一つ、油壺に油綿いれて、■小刀ひとつ、これらを揆上の筥の蓋に入れて、装束に具して取り出すなり。泔坏に水いれて、柳筥(やないばこ)に置きて具すべし。紙捻(かみねり)二筋。
みづらをゆふこと
まづ解櫛(ときぐし)にて、兒の髪を解きまはして、平(ひら)髪掻(かうがい)にて、分目の筋より項(おなじ)を分け下して、まづ右の髪をかみ[ひ]ねりして結ひて、左の髪をよく梳(けづ)りて、油わたつけなでなどして、髻(もとどり)をとるやうにけづりよせて、ひ■■■さきの糸を一筋とりて、その鬟(みづら)のところ、上がり下がりのほど、目と眉とのあはひに当たるほど、前後ろのよりの際(きは)、兒(ちご)の顔(かほ)の広さ細さによりて結ふべし。顔広くば前に寄せ、細くば後ろに寄すべし。但しいかさまにも耳よりは前なり。
髪のもとを五(いつ)から巻きばかり詰め結ひて、かみより下裏に、真結びに結うべし。
まづ下結びをして、髪掻(かうがい)の先を泔坏(ゆするつき)の水に濡らして、結び目を濡らして真結びにすべし。糸を伸べじ料(れう)なり。糸を切らで髪のすそをよく解き下してのち、耳の後ろの髪を、耳の後ろ隠るゝほどに、鬢幅(びんぷく)をふくらかに清(けう)らに引きて、耳を隠すべし。
次に髪の末を兒の肩の前によくよく撫で付けて、兒の胸に押し当てて、乳(ち)のほどにあたるほどをとらへて、また赤糸して三まとひばかりして、真結びに強く結いて、小刀して結び目の際より糸を切るべし。
さてその結ひたる下の髪をよくよく撫でてのち、三(み)つに分けて、三つ組みにすそまで組み下して、そのすその組み果てをかみへ引き返して、元結ひたる糸の切らで置きたるして、この組み果ての元を、元結ひたるところに真結びにしてのち、際より糸を切るべし。
いづくをも、結はんには結び目を濡らせ、糸の寛(くつろ)がぬなり。髪のすゑをば耳の上よりこして、鬢幅のうちに挟むべし。猶末出でば、首紙の内に押し入るべし。
兒幼くて髪短くば、別に付け髪といふものを、元結たる上に結ひ付けて結ふなり。その髪などをよく結い直して、落としなどすまじきなり。
次に挟形(はさがた)をとりて、この元を結ひたる上にあてて、兒の後ろに手をして挟形に結ぶ。その結ひ様かくべきにあらねば、左右の本を結ひて具したり。
まづ左を結ひてのち、圓座(わらうだ)ながら引き回して右を結ふべし。我が回るも骨(こち)無(な)ければ、この料(れう)に圓座には据うれども、君の御鬟(みづら)などに参りたらんには便(びん)なし。我回るべし。泔坏(ゆするつき)の水は、糸の結目濡らさん料なり。
次に兒を立てて、闕腋(わきあけ)の尻を掲(かか)ぐ。下襲によく重ねて乱るまじく、針に糸を付けて、上の端を所々綴ぢて背縫ひをす。そより中折(なかをり)に上へ折上(おりのぼ)せて、左の腋下より前に引きこして、後ろは兒の丈と等しきほどにて、その中程をわなに押し折りて、裾を上にて、縫目をば身の方になして、左の袂にわなを後ろへうちこして、肘の上に打ちかけたれば、尻の裾は前の方に下がりたるなり。
次に絲鞋(しかい)を履く。襪(しとうづ)を履きてその上に履くべし。陣(ぢん)を歩むほどは、履屧(くつのしき)をぬきて履くべし。絲鞋を履きては殿上へも御所へも参るなり。
左大臣どの常仰せらるなるは、内の御鬟(びんづら)は変るなり。別(べち)の事に非(あら)ず。御髪(ぐし)の末の耳に挟む所を、元巻(もとまき)の糸の上にくるくるとある限り巻き置きて、結ひ付けたるなりと仰せらるなるは、僻事(ひがごと)にやと思(おぼ)ゆ。いかに難(むづか)しげならん。
幼くおはします御髪の付髪下らば、先(せん)に結ひたる方の元結の糸を切らで、御頂(いただき)より引きこして、右の元結に結ひ付けよ。
馬に乗らせ給ふ時は、上手に尻は掻く。常の束帯の定なり。[すけゆきが手にて掻きて押したり。]
(宿直装束のこと)
宿直装束(とのゐそうぞく)と云ふは、常の衣冠(いくわん)なり。指貫下袴常の如し。その上に闕腋(わきあけ)を着て、狩衣の帯をするなり。尻の懸様(かけよう)は束帯に同じ。着前も丈と等しく着すべし。
宿直装束には、下鬟(さげびづら)とて結ふなり。事の次第は同じことなり。結う様又同じことなり。元結ひたる糸を真結びに結びて、際(きは)より剪りて中を結はず。裾を組までよくよく肩の前に髪の裾撫で下げて、紫村濃(むらさきむらご)の糸の、三作に紙縒(こおより)のほどに寄りたる、九尺ばかりあるして、元結の紫の糸の上を、諸鉤(もろかぎ)に結ふなり。その鉤は、長さは兒の乳(ち)のほどまでさがるべし。裾は膝にあたる程まであるべし。糸短くばそれより短くてあるべし。髪の末も、この糸の裾も、羂(わな)も、裏表(うらうへ)ながら肩の前より下がるべし。これも園座(わらうだ)に据えて、まづ左を結ひて廻して結ふべし。この太き糸を足津緒(あしづを)と云ふなり。斯く足津緒して結ひたる上に、うるはしき鬟(※前出の上鬟)の様に挟形を結ふ事あり。宿直装束のと思ひて、引き繕う折の事なり。
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満佐須計装束抄(抄出)
(巻二)
わらハ殿上のこと
闕腋のさうぞくものゝぐつねのごとし。うへのきぬあかいろなり。つねの五ゐのうえのきぬのあかみたるやうなり。もんにあふひつねのことなり。したがさねつねのつゝじ、おもてあや、うらひとへ、もんやうしてうちたり。中倍あり。はんぴハくろはんぴ、襴緒などハ羅といふものなり。なつハうすもの、常のあこめのいろこゝにあるべし。ただしこきさうぞくならバ、すはうのあこめあをきひとへにて、こきうちぎぬきるべし。うへのはかまおりもの、上達部のさうぞくのていなり。これハこきさうぞく、うらハこし。大口も濃かるべし。とりかさねて圓座のうへにをきてとりいだすべし。きるべきしだいにをくべし。
帯、角の丸鞆、五ゐの笏、引帯、襪、絲鞋、扇を具すべし。淡繪あり。
なつのしたがさねあかいろ、くろはんぴなり。いろをゆりたるゆへなり。
うへのはかまのうら、大口あかくともくるしかるまじけれども、おさなけれバうちまかせてハこきさうぞくなり。
さうぞくすることはつねのわきあけなり。たゞしはんぴの緒ゆふべし。本を見るべし。さうぞくしてのち、わらうだにこのちごをすへて、びんづらをゆふべし。
揆上の筥のふたに、挟形二筋、■ながさ一尺余ばかり、細さ五分ばかりに、羅をたゝみて、いろ々のいとにて、鬘手に蝶小鳥を繍ひたり。いろはんぴのらんのき(れ)か■■むらさきのいとのふとらかにおしよりたるが、■ながさ二三尺ばかりなる三すぢ四すぢ、櫛二枚がうち、解櫛一枚、平髪掻一つ、油壺に油綿いれて、■小刀ひとつ、これらをかゝけのはこのふたにいれて、さうぞくにぐしてとりいだすなり。ゆするつきに水いれて、柳筥にをきてぐすべし。紙捻ふたすぢ。
みづらをゆふこと
まづ解櫛にて、ちごのかみをときまはして、平髪掻にて、分目の筋より項をわけくだして、まづ右のかみをかみ(ひ)ねりしてゆひて、左のかみをよくけづりて、あぶらわたつけなでなどして、もとどりをとるやうにけづりよせて、ひ■■■さきのいとをひとすぢとりて、そのみづらのところ、あがりさがりのほど、めとまゆとのあはひにあたるほど、まへうしろのよりのきは、兒のかほのひろさほそさによりてゆふべし。かほひろくバまへによせ、ほそくバうしろによすべし。たゞしいかさまにもみゝよりハまへなり。
かみのもとを五から巻きバかりつめゆひて、かみよりしたうらに、まむすびにゆふべし。
まつ下結びをして、かうがいのさきをゆするつきの水にぬらして、むすびめをぬらしてまむすびにすべし。いとをのべじれうなり。糸をきらでかみのすすをよくときくだしてのち、みゝのうしろのかみを、みゝのうしろかくるゝほどに、鬢幅をふくらかに清らに引きて、みゝをかくすべし。
つぎにかみのすゑをちごのかたのまへによく々なでつけて、ちごのむねにをしあてて、乳のほどにあたるほどをとらへて、またあかいとして三まとひバかりして、まむすびにつよくゆひて、こがたなしてむすびめのきはよりいとをきるべし。さてそのゆひたるしものかみをよく々なでてのち、三つにわけて、みつぐみにすそまでくみくだして、そのすそのくみはてをかみへひきかへして、もとゆひたるいとのきらでをきたるして、このくみはてのもとを、もとゆひたるところにまむすびにしてのち、きはよりいとをきるべし。いづくをも、ゆはんにハむすびめをぬらせ、いとのくつろがぬなり。かみのすゑをバみゝのおへよりこして、びんぷくのうちにはさむべし。なをすゑいでバ、くびかみのうちにおしいるべし。ちごをさなくてかみみじかくバ、べちにつけがみといふものを、もとゆひたるうへにゆひつけてゆふなり。そのかみなどをよくゆひなどして、おとしなどすまじきなり。
つぎに挟形をとりて、このもとをゆひたるうへにあてて、ちごのうしろにてをしてはさがたにむすぶ。そのゆひやうかくべきにあらねバ、ひだり右の本をゆひてぐしたり。
まづひだりをゆひてのち、圓座ながらひきまはして右をゆふべし。わがまハるもこちなけれバ、このれうにわらうだにハすうれども、きみの御みつらなどにまいりたらんにハびんなし。われまハるべし。
泔坏の水ハ、いとのむすびめぬらさんれうなり。つぎにちごをたてて、わきあけのしりをかゝぐ。したがさねによくかさねてみだるまじく、針にいとをつけて、うへのはしをところ々とぢてせぬひをす。そより中折にかみへをりのぼせて、ひだりのわきのしたよりまへにひきこして、うしろはちごのたけとひとしきほどにて、そのなかほどをわなにをしをりて、すそをうへにて、ぬひめをバ身のかたになして、ひだりのたもとにわなをうしろへうちこして、ひぢのかみにうちかけたれバ、しりのすそハまへのかたにさがりたるなり。つぎにしかゐをはく。したうづをはきてそのうへにはくべし。陣をあゆむほどハ、履屧をぬきてはくべし。しかゐハはきてハ殿上へも御所へもまいるなり。
左大臣どのつねおほせらるなるハ、うちの御びんづらハかはるなり。べちのことにあらず。御ぐしのすゑのみゝにはさむ所を、元巻のいとのうへにくるくるとあるかぎりまきをきて、ゆひつけたるなりとおほせらるなるハ、ひがごとにやとおぼゆ。いかにむづかしげならん。をさなくおはします御gしのつけがみさがらバ、先にゆひがるかたのもとゆひのいとをきらで、御いたゞきよりひきこして、右のもとゆひにゆひつけよ。
馬に乗らせ給ときは、うはてにしりハかく。つねのそくたいの定なり。[すけゆきがてにてかきておしたり。]
とのゐそうぞくといふハ。つねの衣冠なり。さしぬきしたのはかまつねのごとし。そのうへにわきあけをきて、かりぎぬのをびをするなり。しりのかけようハそくたいにおなじ。きまへもたけとひとしくきすべし。
とのゐそうぞくにハ、さけびづらとてゆふなり。ことのしだいハおなじことなり。ゆふやう又おなじことなり。もとゆひたるいとをまむすびにむすびて、きハよりきりてなかをゆはず。すそをくまでよく々肩のまへにかみのすそなでさげて、紫村濃のいとの、みつくりにこおよりのほどによりたる、九尺ばかりあるして、もとゆひのむらさきの糸のうへを、もろかぎにゆふなり。そのかぎハ、ながさハちごの乳のほどまでさがるべし。すそハひざにあたるほどまであるべし。いとみじかくバそれよりみじかくてあるべし。かみのすゑも、このいとのすそも、わなも、うらうへながらかたのまへよりさがるべし。これもわらうだにすへて、まづひだりをゆひてまハしてゆふべし。このふときいとをあしづをといふなり。かくあしづをしてゆひたるうへに、うるはしきびづらのやうにはさがたをゆふことあり。とのゐそうぞくのとおもひて、ひきつくらうおりの事なり。
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底本:「新校群書類従 第五巻装束部(一)」(内外株式會社)所収『満佐須計装束抄』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879736/315 (NDL)
原文がほとんどかなで読みにくいので、適宜漢字に直したものをまず記し、その後に原文を置いてあります。
()内の振り仮名は底本に基づいたものと、筆者が補ったものがあります。
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満佐須計装束抄(抄出)
(巻二)
童(わらは)殿上のこと
闕腋(わきあけ)の装束(さうぞく)物具(ものゝぐ)常の如し。袍(うへのきぬ)赤色なり。常の五位の袍の赤みたる様なり。紋に葵(あふひ)常の事なり。下襲(したがさね)常の躑躅(つつじ)、表綾、裏単衣、文榮して打ちたり。中倍(なかへ)あり。半臂(はんぴ)は黒半臂、襴緒(らんを)などは羅といふものなり。
夏は薄物、常の衵(あこめ)の色心にあるべし。但し濃装束ならば、蘇芳(すはう)の衵青き単衣にて、濃き打衣(うちぎぬ)着るべし。表袴(うへのはかま)織物、上達部(かんだちめ)の装束の体なり。これは濃き装束、裏も濃し。大口(おほぐち)も濃かるべし。取り重ねて圓座(わらうだ)の上に置きて取り出(いだ)すべし。着るべき次第に置くべし。
帯、角の丸鞆(まろとも)、五位の笏(さく)、引帯、襪(したうづ)、絲鞋(しかい)、扇(あふぎ)を具すべし。淡繪(だみゑ)あり。
夏の下襲赤色、黒半臂なり。色を聴(ゆ)りたる故なり。表袴の裏、大口赤くとも苦しかるまじけれども、幼ければうち任せては濃装束なり。
装束する事は常の闕腋(わきあけ)なり。但し半臂の緒結ふべし。本(もと)を見るべし。装束して後、圓座(わらうだ)にこの兒(ちご)を据へて、びんづらを結ふべし。
揆上(かゝげ)の筥(はこ)の蓋に、挟形(はさがた)二筋(ふたすぢ)、■長さ一尺余(よ)ばかり、細さ五分ばかりに、羅を畳みて、色々の糸にて、鬘手(かづらで)に蝶小鳥(てふことり)を繍(ぬ)ひたり。色半臂の襴のき[れ]か■■紫の糸の太らかにおしよりたるが、■長さ二三尺ばかりなる三筋四筋、櫛二枚がうち、解櫛(ときぐし)一枚、平髪掻(ひらかうがい)一つ、油壺に油綿いれて、■小刀ひとつ、これらを揆上の筥の蓋に入れて、装束に具して取り出すなり。泔坏に水いれて、柳筥(やないばこ)に置きて具すべし。紙捻(かみねり)二筋。
みづらをゆふこと
まづ解櫛(ときぐし)にて、兒の髪を解きまはして、平(ひら)髪掻(かうがい)にて、分目の筋より項(おなじ)を分け下して、まづ右の髪をかみ[ひ]ねりして結ひて、左の髪をよく梳(けづ)りて、油わたつけなでなどして、髻(もとどり)をとるやうにけづりよせて、ひ■■■さきの糸を一筋とりて、その鬟(みづら)のところ、上がり下がりのほど、目と眉とのあはひに当たるほど、前後ろのよりの際(きは)、兒(ちご)の顔(かほ)の広さ細さによりて結ふべし。顔広くば前に寄せ、細くば後ろに寄すべし。但しいかさまにも耳よりは前なり。
髪のもとを五(いつ)から巻きばかり詰め結ひて、かみより下裏に、真結びに結うべし。
まづ下結びをして、髪掻(かうがい)の先を泔坏(ゆするつき)の水に濡らして、結び目を濡らして真結びにすべし。糸を伸べじ料(れう)なり。糸を切らで髪のすそをよく解き下してのち、耳の後ろの髪を、耳の後ろ隠るゝほどに、鬢幅(びんぷく)をふくらかに清(けう)らに引きて、耳を隠すべし。
次に髪の末を兒の肩の前によくよく撫で付けて、兒の胸に押し当てて、乳(ち)のほどにあたるほどをとらへて、また赤糸して三まとひばかりして、真結びに強く結いて、小刀して結び目の際より糸を切るべし。
さてその結ひたる下の髪をよくよく撫でてのち、三(み)つに分けて、三つ組みにすそまで組み下して、そのすその組み果てをかみへ引き返して、元結ひたる糸の切らで置きたるして、この組み果ての元を、元結ひたるところに真結びにしてのち、際より糸を切るべし。
いづくをも、結はんには結び目を濡らせ、糸の寛(くつろ)がぬなり。髪のすゑをば耳の上よりこして、鬢幅のうちに挟むべし。猶末出でば、首紙の内に押し入るべし。
兒幼くて髪短くば、別に付け髪といふものを、元結たる上に結ひ付けて結ふなり。その髪などをよく結い直して、落としなどすまじきなり。
次に挟形(はさがた)をとりて、この元を結ひたる上にあてて、兒の後ろに手をして挟形に結ぶ。その結ひ様かくべきにあらねば、左右の本を結ひて具したり。
まづ左を結ひてのち、圓座(わらうだ)ながら引き回して右を結ふべし。我が回るも骨(こち)無(な)ければ、この料(れう)に圓座には据うれども、君の御鬟(みづら)などに参りたらんには便(びん)なし。我回るべし。泔坏(ゆするつき)の水は、糸の結目濡らさん料なり。
次に兒を立てて、闕腋(わきあけ)の尻を掲(かか)ぐ。下襲によく重ねて乱るまじく、針に糸を付けて、上の端を所々綴ぢて背縫ひをす。そより中折(なかをり)に上へ折上(おりのぼ)せて、左の腋下より前に引きこして、後ろは兒の丈と等しきほどにて、その中程をわなに押し折りて、裾を上にて、縫目をば身の方になして、左の袂にわなを後ろへうちこして、肘の上に打ちかけたれば、尻の裾は前の方に下がりたるなり。
次に絲鞋(しかい)を履く。襪(しとうづ)を履きてその上に履くべし。陣(ぢん)を歩むほどは、履屧(くつのしき)をぬきて履くべし。絲鞋を履きては殿上へも御所へも参るなり。
左大臣どの常仰せらるなるは、内の御鬟(びんづら)は変るなり。別(べち)の事に非(あら)ず。御髪(ぐし)の末の耳に挟む所を、元巻(もとまき)の糸の上にくるくるとある限り巻き置きて、結ひ付けたるなりと仰せらるなるは、僻事(ひがごと)にやと思(おぼ)ゆ。いかに難(むづか)しげならん。
幼くおはします御髪の付髪下らば、先(せん)に結ひたる方の元結の糸を切らで、御頂(いただき)より引きこして、右の元結に結ひ付けよ。
馬に乗らせ給ふ時は、上手に尻は掻く。常の束帯の定なり。[すけゆきが手にて掻きて押したり。]
(宿直装束のこと)
宿直装束(とのゐそうぞく)と云ふは、常の衣冠(いくわん)なり。指貫下袴常の如し。その上に闕腋(わきあけ)を着て、狩衣の帯をするなり。尻の懸様(かけよう)は束帯に同じ。着前も丈と等しく着すべし。
宿直装束には、下鬟(さげびづら)とて結ふなり。事の次第は同じことなり。結う様又同じことなり。元結ひたる糸を真結びに結びて、際(きは)より剪りて中を結はず。裾を組までよくよく肩の前に髪の裾撫で下げて、紫村濃(むらさきむらご)の糸の、三作に紙縒(こおより)のほどに寄りたる、九尺ばかりあるして、元結の紫の糸の上を、諸鉤(もろかぎ)に結ふなり。その鉤は、長さは兒の乳(ち)のほどまでさがるべし。裾は膝にあたる程まであるべし。糸短くばそれより短くてあるべし。髪の末も、この糸の裾も、羂(わな)も、裏表(うらうへ)ながら肩の前より下がるべし。これも園座(わらうだ)に据えて、まづ左を結ひて廻して結ふべし。この太き糸を足津緒(あしづを)と云ふなり。斯く足津緒して結ひたる上に、うるはしき鬟(※前出の上鬟)の様に挟形を結ふ事あり。宿直装束のと思ひて、引き繕う折の事なり。
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満佐須計装束抄(抄出)
(巻二)
わらハ殿上のこと
闕腋のさうぞくものゝぐつねのごとし。うへのきぬあかいろなり。つねの五ゐのうえのきぬのあかみたるやうなり。もんにあふひつねのことなり。したがさねつねのつゝじ、おもてあや、うらひとへ、もんやうしてうちたり。中倍あり。はんぴハくろはんぴ、襴緒などハ羅といふものなり。なつハうすもの、常のあこめのいろこゝにあるべし。ただしこきさうぞくならバ、すはうのあこめあをきひとへにて、こきうちぎぬきるべし。うへのはかまおりもの、上達部のさうぞくのていなり。これハこきさうぞく、うらハこし。大口も濃かるべし。とりかさねて圓座のうへにをきてとりいだすべし。きるべきしだいにをくべし。
帯、角の丸鞆、五ゐの笏、引帯、襪、絲鞋、扇を具すべし。淡繪あり。
なつのしたがさねあかいろ、くろはんぴなり。いろをゆりたるゆへなり。
うへのはかまのうら、大口あかくともくるしかるまじけれども、おさなけれバうちまかせてハこきさうぞくなり。
さうぞくすることはつねのわきあけなり。たゞしはんぴの緒ゆふべし。本を見るべし。さうぞくしてのち、わらうだにこのちごをすへて、びんづらをゆふべし。
揆上の筥のふたに、挟形二筋、■ながさ一尺余ばかり、細さ五分ばかりに、羅をたゝみて、いろ々のいとにて、鬘手に蝶小鳥を繍ひたり。いろはんぴのらんのき(れ)か■■むらさきのいとのふとらかにおしよりたるが、■ながさ二三尺ばかりなる三すぢ四すぢ、櫛二枚がうち、解櫛一枚、平髪掻一つ、油壺に油綿いれて、■小刀ひとつ、これらをかゝけのはこのふたにいれて、さうぞくにぐしてとりいだすなり。ゆするつきに水いれて、柳筥にをきてぐすべし。紙捻ふたすぢ。
みづらをゆふこと
まづ解櫛にて、ちごのかみをときまはして、平髪掻にて、分目の筋より項をわけくだして、まづ右のかみをかみ(ひ)ねりしてゆひて、左のかみをよくけづりて、あぶらわたつけなでなどして、もとどりをとるやうにけづりよせて、ひ■■■さきのいとをひとすぢとりて、そのみづらのところ、あがりさがりのほど、めとまゆとのあはひにあたるほど、まへうしろのよりのきは、兒のかほのひろさほそさによりてゆふべし。かほひろくバまへによせ、ほそくバうしろによすべし。たゞしいかさまにもみゝよりハまへなり。
かみのもとを五から巻きバかりつめゆひて、かみよりしたうらに、まむすびにゆふべし。
まつ下結びをして、かうがいのさきをゆするつきの水にぬらして、むすびめをぬらしてまむすびにすべし。いとをのべじれうなり。糸をきらでかみのすすをよくときくだしてのち、みゝのうしろのかみを、みゝのうしろかくるゝほどに、鬢幅をふくらかに清らに引きて、みゝをかくすべし。
つぎにかみのすゑをちごのかたのまへによく々なでつけて、ちごのむねにをしあてて、乳のほどにあたるほどをとらへて、またあかいとして三まとひバかりして、まむすびにつよくゆひて、こがたなしてむすびめのきはよりいとをきるべし。さてそのゆひたるしものかみをよく々なでてのち、三つにわけて、みつぐみにすそまでくみくだして、そのすそのくみはてをかみへひきかへして、もとゆひたるいとのきらでをきたるして、このくみはてのもとを、もとゆひたるところにまむすびにしてのち、きはよりいとをきるべし。いづくをも、ゆはんにハむすびめをぬらせ、いとのくつろがぬなり。かみのすゑをバみゝのおへよりこして、びんぷくのうちにはさむべし。なをすゑいでバ、くびかみのうちにおしいるべし。ちごをさなくてかみみじかくバ、べちにつけがみといふものを、もとゆひたるうへにゆひつけてゆふなり。そのかみなどをよくゆひなどして、おとしなどすまじきなり。
つぎに挟形をとりて、このもとをゆひたるうへにあてて、ちごのうしろにてをしてはさがたにむすぶ。そのゆひやうかくべきにあらねバ、ひだり右の本をゆひてぐしたり。
まづひだりをゆひてのち、圓座ながらひきまはして右をゆふべし。わがまハるもこちなけれバ、このれうにわらうだにハすうれども、きみの御みつらなどにまいりたらんにハびんなし。われまハるべし。
泔坏の水ハ、いとのむすびめぬらさんれうなり。つぎにちごをたてて、わきあけのしりをかゝぐ。したがさねによくかさねてみだるまじく、針にいとをつけて、うへのはしをところ々とぢてせぬひをす。そより中折にかみへをりのぼせて、ひだりのわきのしたよりまへにひきこして、うしろはちごのたけとひとしきほどにて、そのなかほどをわなにをしをりて、すそをうへにて、ぬひめをバ身のかたになして、ひだりのたもとにわなをうしろへうちこして、ひぢのかみにうちかけたれバ、しりのすそハまへのかたにさがりたるなり。つぎにしかゐをはく。したうづをはきてそのうへにはくべし。陣をあゆむほどハ、履屧をぬきてはくべし。しかゐハはきてハ殿上へも御所へもまいるなり。
左大臣どのつねおほせらるなるハ、うちの御びんづらハかはるなり。べちのことにあらず。御ぐしのすゑのみゝにはさむ所を、元巻のいとのうへにくるくるとあるかぎりまきをきて、ゆひつけたるなりとおほせらるなるハ、ひがごとにやとおぼゆ。いかにむづかしげならん。をさなくおはします御gしのつけがみさがらバ、先にゆひがるかたのもとゆひのいとをきらで、御いたゞきよりひきこして、右のもとゆひにゆひつけよ。
馬に乗らせ給ときは、うはてにしりハかく。つねのそくたいの定なり。[すけゆきがてにてかきておしたり。]
とのゐそうぞくといふハ。つねの衣冠なり。さしぬきしたのはかまつねのごとし。そのうへにわきあけをきて、かりぎぬのをびをするなり。しりのかけようハそくたいにおなじ。きまへもたけとひとしくきすべし。
とのゐそうぞくにハ、さけびづらとてゆふなり。ことのしだいハおなじことなり。ゆふやう又おなじことなり。もとゆひたるいとをまむすびにむすびて、きハよりきりてなかをゆはず。すそをくまでよく々肩のまへにかみのすそなでさげて、紫村濃のいとの、みつくりにこおよりのほどによりたる、九尺ばかりあるして、もとゆひのむらさきの糸のうへを、もろかぎにゆふなり。そのかぎハ、ながさハちごの乳のほどまでさがるべし。すそハひざにあたるほどまであるべし。いとみじかくバそれよりみじかくてあるべし。かみのすゑも、このいとのすそも、わなも、うらうへながらかたのまへよりさがるべし。これもわらうだにすへて、まづひだりをゆひてまハしてゆふべし。このふときいとをあしづをといふなり。かくあしづをしてゆひたるうへに、うるはしきびづらのやうにはさがたをゆふことあり。とのゐそうぞくのとおもひて、ひきつくらうおりの事なり。
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底本:「新校群書類従 第五巻装束部(一)」(内外株式會社)所収『満佐須計装束抄』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879736/315 (NDL)
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またお久し振りの更新になってしまいました。
この間、web拍手や応援のコメントを下さった方、ありがとうございます。
さて、
本年度(2024)の大河、満を持しての平安時代ということで一応、見てはいます。
最初にお断りしますが、褒めてませんので、絶賛評が読みたい方はいくらでも他にあるでしょうから、回れ右してどうぞ検索し直して下さい。
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この間、web拍手や応援のコメントを下さった方、ありがとうございます。
さて、
本年度(2024)の大河、満を持しての平安時代ということで一応、見てはいます。
最初にお断りしますが、褒めてませんので、絶賛評が読みたい方はいくらでも他にあるでしょうから、回れ右してどうぞ検索し直して下さい。
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私は見ていてしんどいです。
何がしんどいって年端のいかない宮様の短い髪で無理矢理下げ鬟結わせてるのを毎週のように見せられることです。
好きなところや、褒められるところがないわけではないのですが、若宮のお姿を拝見してしまうと気力が蒸発して、褒めたいと思う気持ちも失せてしまいます。
今回の大河は出来うる限りカツラを使わない方針のようで、男性も髪を伸ばしてもらって結い上げているようです。
それはいい試みだと思うのですが、ナマ髪感を出すためなのか、敢えて髪油を少なめにしてあるようで、束帯など畏まった姿でも後れ毛が多く、見苦しく感じます。
直衣や狩衣の時ならまだわかるのですが、せめてTPOで変えて貰いたいですね。
また、これもわざわざ地毛で結い上げた髻を見せようとしているのか、烏帽子が異様に透けているのもどうかと思います。
これはどうも大河清盛のときのやらかしをそのまま踏襲してしまっているようで、まだ後を引きますか。ほんと■■だな清盛は。だから嫌だったんですよあの人物デザイナーとか称する輩。
それはいい試みだと思うのですが、ナマ髪感を出すためなのか、敢えて髪油を少なめにしてあるようで、束帯など畏まった姿でも後れ毛が多く、見苦しく感じます。
直衣や狩衣の時ならまだわかるのですが、せめてTPOで変えて貰いたいですね。
また、これもわざわざ地毛で結い上げた髻を見せようとしているのか、烏帽子が異様に透けているのもどうかと思います。
これはどうも大河清盛のときのやらかしをそのまま踏襲してしまっているようで、まだ後を引きますか。ほんと■■だな清盛は。だから嫌だったんですよあの人物デザイナーとか称する輩。
また、烏帽子については、ナレーションで「烏帽子は下着のようなもので脱ぐと恥だった」というようなことを入れてしまってましたが、烏帽子パンツ言説なんて、既に多くのツッコミも入っているにもかかわらず下ネタミーム化しているようなもの、そろそろ火消しに勤めなきゃならないような段階なのに。良識を疑います。しかも今回ナレーションによる説明は極力抑えられているようなのに、それは入れるって何なんでしょうね。
話をみづらに戻します。
おそらくある程度髪を伸ばしてもらった子役さんの髪をそのまま使っているようなのですが、そのせいで長さが足りません。
みづらはもう少し成長した、元服も近くなっている童が、長くなっている髪を結うものです。
また、幼くて髪が短くても儀礼などに際して結わなければならない場合は付け髪をしていたそうです。
「みづらをゆふこと(略)兒幼くて髪短くば、別に付け髪といふものを、元結たる上に結ひ付けて結ふなり。」(雅亮装束抄)
袴着もまだしていなさそうな年のお子さんに童水干や狩衣を着せたりしていますし、そのくせサイズがすごく小さいのです。
そもそも袙でいいような年齢の子にわざわざ着せているのにサイズも合ってないとは……。とても扱いが雑に見えます。子役さんが可愛らしいだけに、普通に当時の宮様はああいう姿だったんだ、可愛いなと思ってしまう視聴者も居そうでつらいです。本当はもっとかわいいのに……。
みづらも童装束も無理があって、あれだけでも精神力が削られました。
また今回も僧侶の法衣袈裟の扱いが酷いです。
法衣が黒ばっかり。
この前花山帝が落飾されてましたが、出家した天皇(作中時点ではまだ授戒してないはずなので法皇ではない)まで黒衣に白五条でした。落飾導師も黒衣に七条袈裟のようでした。市に立っているモブ僧さん、打伏巫女とまひろさん宅にやってきたあやしげなお坊さん、東三条邸に祈禱に訪れたお坊さん達、みんな真っ黒でした。禅僧が多くなる時代と混同している気もしますし、そもそも僧侶のイメージの解像度が低すぎるのでは。坊主は黒にしとけばいいと思って居るのでは?
で、同じ回で一条帝が即位儀に臨み、高御座のシーンがあったのですが、
一条帝は元服前に即位しています。(でなきゃ兼家は『摂政』にはならないわけですし)
なのにあの、玉が簾のようにじゃらっと下がっている冕冠を着けていました。
童形天皇が礼服着用の際に用いるのは『日形冠』といわれるもので、
童なので、髻(もとどり)を入れて固定する巾子の部分がなく、
「土右記」によれば、十二章(冕冠の前後に垂れ下がっている玉飾り)もないようです。
「臨時四 冠 (略)冕冠天皇卽位、朝拜、朝堂儀用之、女帝著寶冠、童帝著日形冠[在内藏寮及東大寺等、]太子著九章冕冠、(略)」(西宮記)
出典:https://dl.ndl.go.jp/pid/1874256/1/572
出典:https://dl.ndl.go.jp/pid/1874256/1/572
「長元九年(1036)七月四日庚辰 (略)此日、御覧禮服御装束。納御装束辛櫃二合、蔵寮官人等舁立殿上前、主上於晝御座御覧。凡有五具。一具、男装束、御冠巾子、櫛仙人[凡本定][但非三山]、前後有櫛形[似羅立有金筋]、押鬘[以金則鏤]、金筋四面端立玉有茎、其前後垂玉瓔珞各十二流、所謂十二章也。其頂有日形像、向中有三足赤烏、以水精二枚令作、日形有光。(略)
一具、童御装束、御冠下作如成人御冠、但無巾子、頂有日形[正面烏同上向方与異可尋]、以金玉錺之、但無十二章、御額立鳳形正面開羽。大袖小袖裳色繍等同上、(略)
一具、女帝御装束、御冠此有平巾子、無櫛形。押鬘上有三花形、以花枝形錺之。前有鳳形、小寄左立、若右方之落失歟。(略)」(土右記)
(余談ですが、童形天皇の装束についての記述は、女性天皇の記述とセットになっている事が多いです。源師房(1008-1077)「土右記」の長元九年(1036)の礼服御覧の記述では、男、童、女の帝の御装束を唐櫃から出して現物を検めています。
つまり、この時点では、女帝の出現は童形天皇と同様にイレギュラーな形であっても、想定の範囲内であり、具体的な準備もなされ、装束が保管されていたことになります。女帝の宝冠は欠損の可能性が記されてはいますが。翻って、一部の人が頑なに女性天皇を受け入れようとしない、現代……。)
しかしドラマの中では、臨時でなのか、髻も結っていたようです。髻を結うことは元服を意味します。結い上げて(本来なら)長く伸びている髪も髻に必要な分を残して切りますから、不可逆なのです。
しかし前述しましたが、兼家が作中で摂政を名乗っている限りは一条帝も元服しないはずです。どうせすぐ本役の俳優さんに切り替わるとは思いますが……。
子役用の袞冕をわざわざ仕立てたんですよね……。そのくらいなら平時の童装束ももうちょっとなんとかして欲しいんですが……。少年には年関係なく半尻か童水干着せとけばいいって決め付けてるのかも知れません。しかも童水干(上流武家の童子の装束として華美化するのはもっと後の時代です)は袴を脛出しで着せるもんだという思い込みがあるのかなにか知りませんが、良家の子息なのに袴を脛上げしちゃってたりしますし。なんか、ちぐはぐですね。
(追記)
大河公式ブログの風俗考証担当の方のコラム、一条帝の即位式のあれこれについて。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts...
(追記)
大河公式ブログの風俗考証担当の方のコラム、一条帝の即位式のあれこれについて。https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts...
風俗考証担当の先生は、童形天皇なら本来はこうはならないというのは、ご承知だろうと思うのですが、解説では一切触れられず、ドラマの中の表現を全肯定されています。
以前からこちらの先生はこういうスタンスを取られる事が多いようです。(鎌倉殿の時に、儀式のしつらえで、榊にほぐした真綿がかけられておりすごく謎だったことがあり、あれはもしかして『木綿(ゆう)』を取り違えてしまったのではないかと思うのですが、その儀式の解説をされていたのにスルーでした)
単純に「考証のミス」だとは思いません。モノとして作るのにも予算や技術や史料不足などの壁もあり、童形天皇の日形冠を作るのはハードルが高かったのかも知れませんし。
そういった事情があったのなら、それはそれで現場の努力や工夫、あくまでドラマの中の表現としておいて、折角こういった場が設けられているのですから、史実ではこのようでしたと解説で仰せを頂きたかったと思います。
フィクション作品の中の嘘は表現ですが、解説の中の専門家の嘘は捏造になってしまいます。
以前からこちらの先生はこういうスタンスを取られる事が多いようです。(鎌倉殿の時に、儀式のしつらえで、榊にほぐした真綿がかけられておりすごく謎だったことがあり、あれはもしかして『木綿(ゆう)』を取り違えてしまったのではないかと思うのですが、その儀式の解説をされていたのにスルーでした)
単純に「考証のミス」だとは思いません。モノとして作るのにも予算や技術や史料不足などの壁もあり、童形天皇の日形冠を作るのはハードルが高かったのかも知れませんし。
そういった事情があったのなら、それはそれで現場の努力や工夫、あくまでドラマの中の表現としておいて、折角こういった場が設けられているのですから、史実ではこのようでしたと解説で仰せを頂きたかったと思います。
フィクション作品の中の嘘は表現ですが、解説の中の専門家の嘘は捏造になってしまいます。
諸々事情はあるのかと思いますが、この公式ブログは歴史に対して不誠実だと感じます。とても残念です。作品というよりは公式広報のやらかしかも知れませんが。
その後花山さんが恨めしげにしていて数珠が切れ、その珠が北斗七星の形になり、即位式での袞衣の背の北斗七星と被るんですよね。そんな小細工演出やるくらいなら童形天皇に無理に髻結わせて冕冠着けさせたり花山さんに雑な法衣着せたりしてる方をどうにかしてくれんかな。と、白けてしまいました。
今回の大河だけの話ではないのですが、そもそも「宗教」とまともに向き合おうとする姿勢に欠けている時代劇が多くなっているように思います。
今回はよく某陰陽師を出していますが、初回にちょっと「陰陽寮って天文を司っていたんだよ」ていうのを見せただけで、後はほぼオカルト担当の拝み屋を一人で引き受けていますね。
今回はよく某陰陽師を出していますが、初回にちょっと「陰陽寮って天文を司っていたんだよ」ていうのを見せただけで、後はほぼオカルト担当の拝み屋を一人で引き受けていますね。
オカルトというインチキ箱に詰め込めるような演出ばかりで、当時の一般的な価値観としての仏教思想がほっとんど出て来ない。
いくら陰陽道の専門家に監修を受けようと、日記資料に照らそうと、「今からみたらインチキで理解に苦しむけど、科学的な知見のない当時の人達はそういうのを信じていたんだよねえ。政敵や恋敵を呪ったり、すぐ祟られてると思い込んだり、それが平安時代なんだよねえ」という、現代人が好奇と蔑みで作り上げたド偏見から脱却できていないから、清新さにも、史実に則したリアリティにも振り切れていないように見えてしまうのです、私には。
女性観や身分階層についても、全般的にそうなんですよね。
最新の研究成果や史料に基づいた筋立てが、政治的な部分ではできている一方、現代的で平易な言葉遣いやラフな起居振舞をやるのはいいですが、その割には人の価値観が二、三十年くらい前の現代日本というか、微妙に古臭い。
特権階級だけど中途半端にフランクな庶民感覚を「いい人」要素として表現し、貴族や藤原氏を貶す風刺激を見て太平楽に笑っていたけれど、主人公達には自分達自身の帯びた特権性に対して自覚がなさそう。特に片方は右大臣家の嫡流なのに。どういうつもりで仲のいいはずの姉君が寵愛を失ったことを揶揄した演目を笑っていたんでしょうね。最新の研究成果や史料に基づいた筋立てが、政治的な部分ではできている一方、現代的で平易な言葉遣いやラフな起居振舞をやるのはいいですが、その割には人の価値観が二、三十年くらい前の現代日本というか、微妙に古臭い。
主人公の貧乏暮らしを「ていねいな暮らし」のように美しく描き、家事をしている姿をキラキラエフェクトつきで垣間見させてうっとりさせる。姫君たちに「お勉強わかんなぁああい」などと甲高い声で言わせる、反教養とミソジニーへの迎合。
平安時代ぽく古いのではなく’00年代の価値観のような微妙な古さ。感じ悪さがあまりにも現代日本にこびりついたダメさそのままで「ずっと昔の人のことだから」で流しにくいんですよね。ただの感じ悪いコスプレ現代人の群れ……。
また、展開的にも20年くらい前の韓流時代劇というか、要するに、ベタなんですよね。それなのに言葉や習俗などで時代萌え出来る要素がそんなに多くない。ベタベタの王道エンタメとしても、史実路線としても中途半端だし、かといってその中間でいいとこ取りしてるようにも見えない。
平安貴族はキラキラみやびで優雅に色恋にかまけてた、のようなステレオタイプを打ち破りたかったのかもしれませんが、しっかり勉強してるの公達だけで、公家女性はキャッキャウフフして遊んでいる。なんですかねあの左大臣家のサロンのことさらに頭の悪い女学生のように仕立てられたノリ。
女はバカで当たり前だった、ですか?
何のためにかな文字があったんでしょうか?
上流の公家女性でも、后がねになるような、生涯土を踏まずに生きていくような人でもなければ、家政を切り回したり、高位の女官として宮中へ出仕することもありました。男性だけがお勉強して女性は従来の平安貴族のステレオタイプ通りに遊び呆けていたかのような表現は、公家女性を貶めているように見えます。
平安貴族のステレオタイプ…というより、ミーム化したおじゃるイメージを打破しようとして、現代日本に蔓延っているジェンダーステレオタイプを呼び込んでしまっている感じですね。
彼女たちは近い将来、主人公の書く源氏物語の読者となる層ですよね。別に源氏物語が世に出てから物語が流行ったわけではなく、今は残っていないような物語もきっとあって、歌も詠まれていて、既に文化が形成されていたはずです。その中から作家紫式部も生まれたのでしょう。主人公ひとりを頭でっかちの変人漢文好きにするために周りの知性を下げているような表現も残念です。
せめて、わざわざ2024年の今、女性主人公大河をやるのなら、もう少し女性同士の連帯を描いたり、女性の知性に信頼をおいたり、女性をエンパワメントする内容であったりして欲しいものですが。
今後の展開はどうなるんでしょうね。
今後の展開はどうなるんでしょうね。
Twitterのほうで2024年大河ドラマの話題で女性名の話になっていたので、女官通解と官職要解を参照してみてたのですが、女官通解の方はどうも現在絶版らしいので、女房の呼称についての部分をメモとして抜き書きしておきます。重複する部分もありますが、官職要解の記述のほうが分かり易いのでついでに。
講談社学術文庫「新訂 女官通解」より【女房の名のこと】
『女房に名づくること、種々の差別あり。候名(さぶらいな)あり、国名(くにな)あり、殿名(とのな)あり、小路名あり、召名(めしな)あり、おさな名あり、かた名あり、たいの名あり。今、その大要をあぐれば左のごとし。■候名は、また侍名とも称し、ひさしき、うれしき、ゆりはな、久、亀、鶴などいえるは、その一例なり。
■国名は、既に、記したるごとく、伊予、播磨、讃岐、美濃、肥前、伊賀、越前、相模、尾張、武蔵、甲斐、備中、下野、丹後、三河、土佐、伯耆、備後、筑前などいうがごとし。
■殿名は、京極殿、堀川殿、坊門殿、大宮殿、春日殿、冷泉殿、近衞殿、一条殿、二条殿、三条殿、高倉殿などいうがごとし。
■小路名は、右殿名に同じ。一条、二条、三条、古のへ、春日は小路名のうちにても上の名なり。大宮、京極は中の名なり。高倉、四条は小路名の中にても下の名なり。
■召名は、按察(あぜち)、大進(だいしん)、少進(しょうしん)、大弐(だいに)、少弐(しょうに)、少弁(こべん)、左衛門(さえもん)、少将(しょうしょう)、左京大夫(さきょうのだいぶ)、右京大夫(うきょうのだいぶ)、民部卿(みんぶきょう)、中納言(ちゅうなごん)、帥(そち)、別当(べっとう)、宰相(さいしょう)、兵衛(ひょうえ)、刑部卿(ぎょうぶのきょう)、治部卿(じぶきょう)、大蔵卿(おおくらきょう)、宮内卿(くないきょう)、兵部卿(ひょうぶきょう)、侍従(じじゅう)のごとき官名の類これなり。
■おさな名は、ちゃちゃ、あちゃ、かか、とと、あこ、あか、あと、ここ、ちゃら、つま、あやの類これなり。
■かた名は、東御方(ひがしのおんかた)、南御方、西御方の類これなり。中にも北、東の御方は上なり。南、西は方角にて劣りたるなり。
■むき名は、かた名に同じ。かた名とむき名とは、かたなの方上りたりといえり。
■たいの名は、一の対は上なり。御妻、二の対などはいささか劣れり。
以上のうち、おさな名は、上臈、小上臈これをつく。中臈もつくることあり。殿名は、上、中臈これをつく。下臈はつけず。小路名また同じ。たいていは、上小上臈のつけ名なり。候名は、上臈、中量、下臈みなつく。召名は、上、中臈を主とし、下臈はつけず。但し侍従、少弁、少納言は、下臈なれども中臈をかけたるによりてつくるなり。
召名の中にても、大納言、按察、民部卿、中納言、左衛門督(さえもんのかみ)、帥、別当、宰相、兵衛督、刑部卿、大蔵卿、宮内卿、兵部卿は小上臈の召名なり。督殿(こうどの)、大弐、中将、弁少将(べんのしょうしょう)、左京大夫、右京大夫、権大夫(ごんのだいぶ)、左衛門佐(うえもんのすけ)、右衛門佐、侍従、少納言、兵衛佐、大進、大輔、少輔、佐は中臈の召名なり。中臈にても公達、蔵人、五位のほかはつけずといえり。
国名は、下臈これをつく。中にも、伊予、播磨、丹後、周防、越前、伊勢は中臈をかけたることあり。対名、向名はみな上臈のつくるところなり。また御所の号あり。北の政所などいうがごとし。対名、向名よりも上にして、粗末につくることなしという。』(引用了)
講談社学術文庫「官職要解」より
『宮仕えの女房は、前にいったごとく、品位(ほんい)の上等なものばかりで、昔はそのなかを上中下の三等にわけて階級を定めた。(…)■上臈(じょうろう)《女房官品》という書物には、上臈の局(つぼね)とあって、御匣殿(みくしげどの)、尚侍(ないしのかみ)、および二位、三位の典侍(ないしのすけ)で禁色(きんじき、赤または青色の装束)をゆるされた大臣の女(むすめ)あるいは孫女(まごむすめ)などをいう。たとい三位以上の婦人でも禁色をゆるされないものは、上臈と称することはできない。(…)
また、小上臈(こじょうろう)というものがあって、公卿の女を称した。織物の唐衣(からぎぬ)、織物の表着(うわぎ)をきることのできるものばかりである。もっとも、場合によっては、公卿の孫女や公卿でないものの女をも小上臈といったことがある。
■中臈(ちゅうろう) 内侍の外の女官、および侍臣の女や、医道の和気氏、丹波氏、陰陽師の賀茂、安倍両氏などの女をいった。命婦(みょうぶ)もまた中臈である。
■下臈(げろう) 摂政関白の家の家司の女や、賀茂、日吉の社司の女などである。女蔵人(にょくろうど)もまた下臈である。
禁中で女房といったのは、この上中下臈と小上臈であるが、仙洞(上皇の御所)および執柄家には、大上臈というものもあった。なお、女房のことは、《禁秘御抄》《女房官品》《女官志》《光台一覧》などにくわしく見えてあるから、本書について知るがよろしい。
この女房たちの名前であるが、大方本名をいわないで、呼名といって男の官名や国名・候名などをつけていた。物語文などにあって大よそ定まっているから、kれをもついでに述べておきましょう。
■官名を呼名につけることは、まず上臈には、大納言局、中納言局、左衛門督、帥、一位局、二位局、三位局(さんみのつぼね)などとつけ、少々ひくいところには、按察使とつける例である。また、小宰相、小督、小兵衛督は、中臈、小上臈につけ、中将、少将、左京大夫、宮内卿、新介(しんすけ)、左衛門督、および侍従、少納言、少弁などは、中臈につける例である。そのなかにも、小の字をつけたのは少しよいほうである。
■国名は、中臈、下臈につける例である。そのなかでも、伊予、播磨、丹後、周防、越前、伊勢は少し上等であるから、中臈につけたのである。
■候名は、国名でもなく官名でもない名称を用いたのである。《今鏡》宇治の河瀬の巻に「うれしき」「いはいを」と見え、《増鏡》村時雨の巻に「女蔵人高砂」、《千載和歌集》に「皇后宮若水」、《続後撰和歌集》に「高陽院木綿四手(ゆうしで)」とある類である。
仙洞、および執柄家の女房には、このほか、かた名、むき名、小路名というものがあった。かた名、むき名は、方角をつけたもので、東の御方、西の御方という類である。そのなかでも、かた名のほうが上等で、むき名のほうが下等である。これは、曹司して住んでいる方角によったもので、また一の対、二の対など、殿舎の称によってつけたのもある。
■小路名とは、京都の町名をつけたものである。《禁秘御抄》上臈の条に「禁中に小路名なし。仍て最上と雖も大納言と号す」とあって、執柄家上臈の女房につけたのである。もっとも、そのなかでも、一条、二条、三条、近衛、春日は上等、大宮、京極は中等、高倉、四条は下等である。
■このほか、宣旨(せんじ)という名をつけたのもあった。これは、立后の時、その宣旨をとり伝えたものであるから、中宮の宣旨といい、また宮の宣旨ともいう。(…)
また、女房の名前の下には、キミ、御(ご)、オモトとつけていったことがある、これは、男の何卿、何ぬしといっているように、敬称をもちいたのである。《紫式部日記》に「民部のおもと」といい、《大和物語》に「少将の御、伊予の御」とかいてある類である。』(引用了)
当ブログのweb拍手、分かりにくいバナーにも関わらず
たまに押して下さってる方がいらっしゃって、チェックはしているのですが
長い間お礼画面を見直して居らず、
噛ませていたレンタルサーバーの都合で表示がおかしくなってたみたいなので
取り急ぎではありますが改修してみました。
お礼画像もちゃちゃっと適当に描きましたのでご笑覧頂きましたら幸いです。
↓試しにって方はどうぞ。
たまに押して下さってる方がいらっしゃって、チェックはしているのですが
長い間お礼画面を見直して居らず、
噛ませていたレンタルサーバーの都合で表示がおかしくなってたみたいなので
取り急ぎではありますが改修してみました。
お礼画像もちゃちゃっと適当に描きましたのでご笑覧頂きましたら幸いです。
↓試しにって方はどうぞ。
Twitterから再録しようと思ってサルベージかけてたんですが、
平安装束絵は座り姿ばっかり描いてるんですよね。
好きだから。
何が好きかというと、大袖や、袿や袴の裾が床に広がっているところ。
ただ広がるだけではなくて、接地面がこう…たわんだり、膨らんで空洞ができたりする…
そういう布の様子が好きなのです。
衣紋掛にしおらしく掛けられているときも、そりゃ美しいには違いないんですが、
衣服として仕立てられた布が輝くのは、やっぱり、人に着られている時。
それも出来れば生きてる中身が居る時なんですよね。
人の動作につれた布の動きはうつくしい……。
というわけで座ってる絵集めました。
まず、のっけが模写ですみませんが高畑勲監督「かぐや姫の物語」から、女房の相模さんのフォルムがいい!!という絵です。
いいでしょ。いいんですよ。
デフォルメしてあるけど、わかっていらっしゃる…!!っていうフォルムなんですよね~~~~~~~~、
ついでに同作品から水夫のおっちゃんです
作品内で一番かっちょいいんじゃないですか?話の都合もあって、あまり素直にかっちょいい人いないので、モブのおっちゃんがなんだかかっこよく見えちゃうのかなとも思うんですが。
女房装束。
立膝の女房。
女性が裳や袴を着けていたり、身幅の広い衣服を着ていた頃は、立膝も別に行儀の悪いものではなかったし、椅座ではなく床にべたっと座ることの多い生活では、膝を曲げて座るのが自然でもあったんでしょうね。
ほらこのなんというか…伏せたお椀のようなフォルムになるのが好きなんですよ…。ねっ!!
おまけ、上の女房さんたちが童女の頃。
こちらは、公園で青いドングリを撮って写真見てたら、
なかなか複雑な色合いなので、かさねの色目にしてみたら渋そう…と思って描きました。
うんうん。渋い。
これは「#リプきた3つの絵文字でキャラデザする」というお題タグで描いたものです
【】で『蛇尼御前(へびのあまごぜ)』
山行中のさる上人に懸想した大蛇が上人を丸呑みに。悔やんだ蛇は髑髏を吐き出し、供養のために人に化けて各地の寺院へ参詣し経をあげているという。
これは狩衣で前傾姿勢になると前に垂れた懐で空洞ができるのが萌える!!
という絵でした。
ねっ。
おまけ:猫に侵入されました。
やっぱりこの、人の身体が支柱になって、幅広のまま仕立てられた装束の生地が、テントの天幕のように空洞を作ったりして、それが床に接する部分がめちゃくちゃ好きです~~~。平安装束の醍醐味のひとつだと個人的には思います。
平安装束絵は座り姿ばっかり描いてるんですよね。
好きだから。
何が好きかというと、大袖や、袿や袴の裾が床に広がっているところ。
ただ広がるだけではなくて、接地面がこう…たわんだり、膨らんで空洞ができたりする…
そういう布の様子が好きなのです。
衣紋掛にしおらしく掛けられているときも、そりゃ美しいには違いないんですが、
衣服として仕立てられた布が輝くのは、やっぱり、人に着られている時。
それも出来れば生きてる中身が居る時なんですよね。
人の動作につれた布の動きはうつくしい……。
というわけで座ってる絵集めました。
まず、のっけが模写ですみませんが高畑勲監督「かぐや姫の物語」から、女房の相模さんのフォルムがいい!!という絵です。
いいでしょ。いいんですよ。
デフォルメしてあるけど、わかっていらっしゃる…!!っていうフォルムなんですよね~~~~~~~~、
ついでに同作品から水夫のおっちゃんです
作品内で一番かっちょいいんじゃないですか?話の都合もあって、あまり素直にかっちょいい人いないので、モブのおっちゃんがなんだかかっこよく見えちゃうのかなとも思うんですが。
女房装束。
立膝の女房。
女性が裳や袴を着けていたり、身幅の広い衣服を着ていた頃は、立膝も別に行儀の悪いものではなかったし、椅座ではなく床にべたっと座ることの多い生活では、膝を曲げて座るのが自然でもあったんでしょうね。
ほらこのなんというか…伏せたお椀のようなフォルムになるのが好きなんですよ…。ねっ!!
おまけ、上の女房さんたちが童女の頃。
こちらは、公園で青いドングリを撮って写真見てたら、
なかなか複雑な色合いなので、かさねの色目にしてみたら渋そう…と思って描きました。
うんうん。渋い。
これは「#リプきた3つの絵文字でキャラデザする」というお題タグで描いたものです
【】で『蛇尼御前(へびのあまごぜ)』
山行中のさる上人に懸想した大蛇が上人を丸呑みに。悔やんだ蛇は髑髏を吐き出し、供養のために人に化けて各地の寺院へ参詣し経をあげているという。
これは狩衣で前傾姿勢になると前に垂れた懐で空洞ができるのが萌える!!
という絵でした。
ねっ。
おまけ:猫に侵入されました。
やっぱりこの、人の身体が支柱になって、幅広のまま仕立てられた装束の生地が、テントの天幕のように空洞を作ったりして、それが床に接する部分がめちゃくちゃ好きです~~~。平安装束の醍醐味のひとつだと個人的には思います。